第二章 その6

 食事を済ませて私室に戻った俺は、ベッドに横になって音楽プレイヤーで『私は想森ななか』を聞きながら今日分かった情報の整理をしていた。


 俺、岩井猛の死について金谷郷家が圧力をかける理由は、以前不明で今ある情報だけでは明らかにすることができない。

 そして思考を繰り返す内に俺は、俺自身の記憶……旭さんに殺害された前後の曖昧な記憶に注目し始めていた。

 この曖昧な記憶に、次に繋がる何かがあるかもしれない。

 そう考えた俺はイヤホンを外してベッドから起き上がり、部屋の入り口に移動した。


 今、俺がいるこの部屋こそが、俺が殺害された犯行現場であり、ここで事件当日の状況を再現して記憶を追っていけば何か思い出すかもしれないと思ったからだ。

 事件当日、俺は金谷郷政太郎を見失い、屋敷中を探しまわっていた。

 そして、探している途中、俺はこの部屋に入った。


「金谷郷さん、いますか?」


 と、俺は言いながら部屋の奥へと進み始め、部屋の中にある風呂やトイレの扉にクローゼットには目もくれずベッドに近づいた。

 理由なんてない。ただ真っ先に目に付いたからだ。


 ベッドに近づいた俺は、いないとは思っていたが毛布の中に金谷郷政太郎がいないか確認する。

 もちろん予想通り、そこに金谷郷政太郎はいない。


 ここまでは、覚えている。間違いなく俺は、こう行動していた。

 問題はここからだ。このあと俺は旭さんに殺されることになるが、その直前の記憶がとにかく薄い。

 

 思い出せ……思い出せ…………待てよ。そもそも、どうして俺は旭さんの存在に気付かなかった?

 バカ正直に、真正面から鈍器で殴られる人間などいない。


 ……そうだ。俺は何かに気を取られて殴られる直前まで旭さんの存在に気付かなかったんだ。

 旭さんの存在に気付いた時には、旭さんが振るった鈍器が俺の目の前に来ていた。

 じゃあ俺は、何に気を取られていた?


 俺は必死に頭を働かせ、記憶を思い出そうとする。

 そして思い出そうと部屋のあちらこちらに視線を向けていると、ベッドの横にあるサイドテーブルが視界に入った。


「……ノート」


 思い出した。あの時、俺はサイドテーブルについている引き出しが少し開いていることに気付き、引き出しを開けた。

 中には一冊の赤いノートが入っていて、内容は覚えていないがそのノートを読んでいたため俺は旭さんの存在に気付くのが遅れたんだ。


 そして、そのことを思い出した俺はサイドテーブルに近づき、引き出しを開けた。

 中には、何も入っていなかった。

 警察の捜査で押収されたか、それとも何者かによって持ち去られたか。

 可能性はいくつか考えられるが、確実に選択肢を狭めていくのが得策だ。

 そう考えた俺はスマートフォンを取り出し、犬成に電話をかけた。


『もしもし』

「おう、犬成。今、大丈夫か?」

『大丈夫ですよ』

「お前に追加で頼みたいことがある」

『何でしょう?』

「屋敷で起きた俺の殺人事件で、赤いノートが押収されてないか調べてくれ」

『赤いノートですか』

「ああ。内容は覚えていないが殺される直前、赤いノートを見ていたのを思い出した」

『なるほど。分かりました。調べてみます』


 これで少なくとも赤いノートが今、警察の手元にあるかどうかは分かるだろう。

 そう考えたら安心したのか、俺は無意識に息を深く吐いていた。

 と、息を吐いている途中、俺の視線がたまたま私室にあるトイレの扉に向いた。


 剛三郎の病死に関する捜査資料を見た俺は、一度忘れると決めたのに結局あることを確認していた。

 この部屋の個室トイレは内装こそ少し変わっていたが、間違いなく剛三郎が死んだトイレであったのだ。

 つまり俺は、知らぬまま人が死んでいるトイレで毎日ことをしていたのだ。


 とても嫌な事実だが、そんな事実を突きつけるトイレを見たからか、俺の頭に剛三郎のことが思い浮かんだ。

 俺は奥山さんからある程度、剛三郎について聞くことができたが、まだ剛三郎については知らないことが多い。

 そんな剛三郎について、もう少し知っておいた方がいい気がするのだ。


 こんな時、気になることを確実に調べてくれる相手が電話越しにいる。

 であるならば、とるべき行動は一つだ。


「すまん。もう一つ依頼を追加だ。剛三郎個人について、少し詳しく調べてくれ」

『例えば個人の趣味、主義、主張などですか?』

「可能ならそれも」

『分かりました』

「悪いな。あれもこれもと頼んじまって」

『気にしないでください。あっ、そうだ。先輩、事務所を訪ねてきたあの子にはうまく誤魔化せましたか?』


 唐突に犬成が江月さんについて聞いてきた。

 どうやら犬成はあのあと、ちゃんと誤魔化せたか気にしていたようだ。


「それについては大丈夫だ。お前の名演技のおかげもあってな」

『そりゃあ、良かったです』


 犬成の安堵する声を聞いた時、俺はある問題を思い出した。

 その問題を解決するには犬成に頼るのが何よりも早いのだが、それは犬成にさらにもう一つ、調査を依頼することになる。

 だが、既に二つも依頼をしているのだから今更一つ増えたところで同じだろう。


「犬成、本当にすまないんだがもう一つ、頼みたいことがある」


 そんな開き直りに近いことを考えた俺はすぐさま犬成に新たな依頼を伝えるのだった。

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