第二章 その5

「お帰りなさいませ、旦那様。あと数分旦那様の帰りが遅かったら、私は金谷郷家の将来の行く末を心配しすぎて倒れて救急車で運ばれているところでした」


 屋敷に戻るとすぐに奥山さんが駆け寄ってきて、ありがたい小言を口にした。


「ご、ごめんなさい」

「まぁ、無事にご帰宅なさり何よりです。さぁ、お食事にいたしましょう」

「はい。……あっ、奥山さん」


 俺はリビングに向かおうとする奥山さんを呼び止めた。屋敷に戻ったら奥山さんにあることを聞こうと思っていたからだ。


「何でしょう?」

「ちょっと奥山さんに聞きたいことがあるんですけど」

「聞きたいことですか。構いませんが、何を?」

「俺の、父さんについて」

「……剛三郎様についてですか?」

「うん。奥山さんから見て、俺の父さんってどんな人だったかな?」


 剛三郎がどんな人間であるか、俺は詳しく知らない。

 犬成の調査結果からも、今のところ分かっているのは表面上の部分だけだ。


 剛三郎について、俺はもう少し知りたいと思った。

 そして、剛三郎について聞くのにもっとも適している身近な人物は、奥山さんであると判断した。

 少なくとも奥山さんは俺と違って、生きていた剛三郎と接しているはずだからだ。


「そうですね……私が使用人となり、この屋敷で過ごすようになってから剛三郎様と交流させていただいた期間はそう長くはないのですが、金谷郷家のことを一番に考えているお方でした」

「それってどのくらい?」

「言葉が悪いかもしれませんが、金谷郷家の名誉を守るためならばどのようなことでも行う。たとえそれが犯罪でも。そんな覚悟を持っているお方でした。ただ、実際に罪は犯していないと思いますよ。罪を犯したことが露呈したら、それこそ金谷郷家の名誉が傷つくことになりますから」

「……なるほど」


 と、奥山さんの返答に対して俺は口では同意するが、内心では同意し切れなかった。

 金谷郷家の力を考えると、罪を犯していない可能性よりも、罪を犯して隠蔽している可能性の方が高いと思ったからだ。


 まぁ、奥山さんから剛三郎の人間性については聞くのはこれくらいでいいだろう。

 それとは別にもう一つ、俺は剛三郎について聞きたいことがあった。

 そのことを金谷郷政太郎である俺が奥山さんに聞くのは変な話なのだが、遠まわしではなく、あえてストレートに本題を聞くのがいいだろう。


「ちなみに何だけどさ、父さんが死んだ日のこと、奥山さんは覚えてる?」

「ええ、覚えてますよ。旦那様は覚えてらっしゃらないのですか?」

「うん。あんまり覚えておきたくない記憶だからかもしれない」

「たしかにそれは無理のないことかもしれません。亡くなった剛三郎様を最初に発見したのは旦那様なんですから」


 さっそく当たりだ。犬成が見せてくれた捜査資料には剛三郎の死体を発見したのは金谷郷家の関係者と書かれていて、金谷郷政太郎の名はどこにも書かれていなかった。

 おそらく次期当主である金谷郷政太郎の経歴に少しでも傷が付かないよう、誰かが根回ししたのだろう。


「詳しく教えてもらえるかな?」

「はい。あの日テレビで放送されていたホラー特集を一人で見て心細くなった私は……」


 と、そこまで話したところで、まるでバカ正直に喋り過ぎたことを後悔するかのような表情をしながら、頬を赤らめる奥山さんはしばらく固まり、


「こほん。あの日、優秀な使用人である私は、屋敷の見回りをしておりました」


 咳払いをしてから話を再開した。……奥山さん、ホラー系苦手なんだな。


「その時、私は旦那様の部屋の前を通ったので何気なく……そう、何気なく、旦那様の様子を確認しようと部屋の中を覗いたのですが、旦那様の姿がありませんでした。心配になった私はすぐに旭のもとに向かい、一緒に旦那様のことを探し始めました」


 旭さん、か。

 俺、岩井猛を殺害した張本人。その名が出てきたことに少し身構えてしまったが、金谷郷家の執事なのだから奥山さんの話に旭さんが登場するのは当然のことか。


「ほどなくして、旦那様が剛三郎様の部屋の前で座りこんでいるのを私と旭が見つけました。旦那様が見つかり、私は一安心しました。しかし旭は旦那様の様子を見て不信に思い、剛三郎様の部屋に入りました。そして、旭が剛三郎様のご遺体を発見いたしました」


 金谷郷政太郎だけでなく、旭さんも剛三郎の死体を見ているのか。


「それからすぐに旭が救急車と警察を呼び、私には自分の部屋で旦那様と一緒にいるようにと指示しました。私は指示に従い、剛三郎様のことは旭に任せて、旦那様と一緒におりました。震えている旦那様の姿はチワワのようでとてもかわい……こほん。余計な情報でした」


 それが、奥山さんが知る剛三郎が死んだ日の全てだった。

 新たな情報として第一発見者が金谷郷政太郎であることが分かった。

 ただ残念ながら事件当時、奥山さんはほぼ金谷郷政太郎につきっきりのようで、これ以上の証言は望めそうにないが、収穫としては十分だろう。


「そっか。……うん。そういえば、そんなんだった気がする」

「今度は私が一つ、お伺いしてもよろしいでしょうか?」

「何ですか?」

「どうして急に剛三郎様のことを?」


 死んだ父親のことをわざわざ尋ねるのは変な話だとは理解し、奥山さんが疑問を口にするのも予想はしていた。


「何となく、思い出したほうがいいかなって思っただけだよ」


 だが、予想はしていても事前に明確な回答を用意していなかった俺は、あやふやな返答をするしかなかった。


「そうですか……。では、話はこのくらいにして、食事にいたしましょう」

「はい」


 それで誤魔化せたのかは微妙なところであったが、奥山さんの方から話を切り上げたのでよしとしよう。

 内面ではまだ、奥山さんは納得していないかもしれないが。

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