第二章 その4

 突如、事務所を訪れた江月さんの姿を視界に収めた俺は、なぜ江月さんが探偵事務所なんかにやってきたのかという当然の疑問を持った。

 何か依頼があるのか、それとも目的地を間違えてしまったのか、はたまたどちらにも当てはまらない理由か。

 そんなことを頭の中で考えていると、


「必ず探偵さんに伝えてくださいね!」


 犬成が大きな声をあげながら俺の両手を掴みとってきて、俺の思考は強制的に犬成に向かうことになる。


「彼女の飼い猫が見つからなかったら僕、振られちゃうんですよ! だから絶対に探偵さんに見つけるように伝えてください!」


 突然の出来事に一瞬だけ混乱するものの、すぐに犬成の行動がこの場を誤魔化すための演技であることに気付き、俺は犬成の演技に合わせることにした。


「分かりました。わた……所長の方には、ちゃんと伝えておくので」

「お願いします! では、僕はこの辺で」


 そして、どうにかこうにか犬成は事務所から脱出することに成功する。


「なんだよ、今の?」

「あー、猫探しの依頼だね」


 だが、俺は犬成と同じようにこの事務所から脱出することはできない。

 事務所にやってきた江月さんを相手に、引き続き演技をして誤魔化さなければならないからだ。


「何でお前が依頼を引き受けてんだよ?」

「それは…………実は俺、ここの所長さんに弟子入りして今、修行中の身なんだ」


 もちろん嘘八百な内容であるが、それで押し通すしかない。


「金持ちなのに探偵?」

「ゆ、夢なんだよ」

「ふーん。で、そのお前が弟子入りしている所長さんはどこにいるんだ?」

「……猫探し中」

「猫探しばっかだな」

「探偵の実情なんてそんなもんだよ……」


 誤魔化すために言ったものの、なぜだか俺の胸の内は空しさで一杯になった。


「そんなもんか。まぁ、いいわ。出直すわ」


 身を削るような誤魔化しのおかげもあってか、俺と犬成が話し込んでいたことを特に不信に思うこともなく、江月さんはこの事務所から出て行こうとした。

 それは俺が望んでいた結果であるはずなのだが、俺の心にはある引っかかりがあった。


 出直すという返答から察するに、江月さんの目的地がこの探偵事務所であることは間違いない。

 つまり、江月さんは何かを依頼しようと、わざわざ訪れたということになる。学校の最寄り駅から二駅も離れたこの探偵事務所に。


 江月さんが依頼しようとした内容を聞かなくていいのだろうか。

 その内容はそれなりのものではないだろうか。

 このまま江月さんを帰して本当にいいのだろうか。


「よければ、俺が話を聞こうか」


 そんな思いがふつふつと湧き上がっていた俺は、気付けば江月さんに話しかけていた。


「お前さ、女子高生がクラスメートに話すようなノリで探偵事務所に来ると思うか?」

「てことは、探偵に依頼しようした何かがあるんだね?」

「……余計なこと言っちまった」


 バツの悪そうな顔をする江月さんを見て、俺は江月さんがそれなりの理由で探偵に依頼しようとした事情を持っていることを確信する。

 こういった時は無理に聞きだすのは悪手だ。依頼人が話したいと思うまで、探偵はただ待つのみである。


 そして、しばらく悩んだあと、江月さんが口を開いた。


「なぁ、一つ聞いていいか?」

「何かな?」

「この前の学校の騒ぎ、解決したのはお前ってのは、本当か?」


 実を言うと若山さん達が起こした事件は、表向きは警察が解決したことになっていて俺が事件を解決したことは限られた人間しか知らない。

 そのため一体どこからその情報が漏れたのかはかなり気になるところだが今は江月さんの質問に対して肯定するのが正解だろう。


「ははっ、どこから漏れたんだろうな。まぁ、事実と言えば事実だよ」

「そっか…………」


 俺の返答を聞いた江月さんは先程よりも長く悩み始めた。

 俺はじっと待ち続け、悩んでいた江月さんは決意を固めた表情をして、まっすぐと俺を見た。


「私の話、聞いてもらってもいいか? もちろん、内容は他言無用で」

「その点は心配しなくていいよ。俺は探偵……の卵だからね。さぁ、座って」

「ああ。……なぁ、もうちょっと片づけたらどうだ?」


 俺に即され、江月さんがソファーに座るが、その視線はソファーの前に置かれた机の上に注がれていた。

 先ほどまで犬成が持ってきてくれた資料を広げていたこともあり、机の上はある程度のスペースが確保されているのだが、机の隅々には紙束やらグッズやら様々なものが置かれていて、世間一般的な基準で言えば、片付いていない分類に入る状況であった。


「あー、それはそこに置いてあるのがベスト……って、所長さんが言ってた」


 片づけられない人間の言葉だということは分かっている。

 だが、生活している内に自分なりのベストな位置というのは決まっていくもので、俺にとっては今の状態が最善なのだ。他人には理解されないだろうが。


「こういう、チラシとかも捨てるんじゃなくて、ここに置いておくのがベストなのか?」


 と、言いながら江月さんが持ち上げたのは、色々なチラシが入ったクリアファイルであった。

 そのクリアファイルに入っているチラシはどれもななかちゃん関連のチラシであり、疲れた時には手に取ってそのチラシを見ることで心の安定化を図っているので、俺にとっては大切な品物である。


「あ、ああ。そのチラシも、紙屑じゃなくて所長さんにとっては、大事なもんなんだ」

「ふーん。……たしかに、そういう他人には理解されない大切なものもあるよな」


 江月さんは俺の説明に納得してくれたようで、特に深く突っ込むこともなくチラシが入ったクリアファイルを元々あった場所に戻してくれた。


「そ、それで、何を相談しに?」


 これ以上余計な指摘を受けないよう俺は江月さんに相談内容を話すよう即した。


「昔つるんでた奴が今、何をしているのか知りたい」




 江月さんが話した依頼内容をかいつまんでまとめるとこうだ。

 江月さんは中学時代によく遊んでいた友人、谷山たにやま亮二りょうじと数日前にたまたま街中で再会したそうだ。


 久しぶりに再会したこともあってか江月さんは谷山と思い出話に花が咲き、そのまま遊んだのだが、そこである違和感を持つことになる。

 それは谷山の羽振りが異常に良いというものであった。


 最初こそ、江月さんは高収入のアルバイトでもしているんだと考えたが、谷山と数時間遊んでいる内にその考えは吹き飛んだ。

 そして江月さんが谷山にどうやってこんなに金を稼いだのか、と聞いたところ谷山は突如激昂した。

 そんな谷山の反応を見て、江月さんは谷山が何か後ろめたいことに手を染めていると直感し、必死にそのことから足を洗うよう説得したそうだが、言葉の応酬を繰り返している内に江月さんも最終的に激昂してしまい、そのまま谷山とは喧嘩別れとなってしまった。


 しかし時間が経つにつれていらだつ気持ちが落ち着き、江月さんは喧嘩別れした谷山のことが再び心配になり、連絡を取ろうとした。

 だが、谷山と連絡を取ることはできず、どうすればいいのか悩んでいたところ探偵に依頼してみるという案を思いつき、色々と調べてこの探偵事務所を見つけ、今に至ったというわけだ。




「なるほど。依頼内容は分かった。谷山の顔写真はあるかな?」

「あー、すまん。前のスマホが壊れて買い換えたからないな」

「そうか」


 残念ながら江月さんは谷山の写真を持っていないようだ。

 どうやら谷山の写真を入手するところからスタートするしかないようだ。


「ちなみになんだけどさ、こういう依頼で払うことになるお金ってどんくらいなんだ?」

「そうだね。だいたい、こんなもんかな?」


 どうやら江月さんは依頼料金については調べてなかったようなので、俺は近くに置いてあった電卓を叩き、はじき出した金額を江月さんに見せた。


「うっ、リアルな額だな……」


 江月さんの依頼を探偵として引き受ける場合、その額は高校生が気軽に出せるものではない。

 だから、江月さんの反応は予想通りのものであった。


 さて、本来ならこんなことはしないが、俺は今、自称探偵の卵であり、金持ちで金には困っていない。

 そして、依頼人である江月さんは俺のクラスメートだ。

 俺は、そういった事情を加味して今回限りのある提案をすることにした。


「一つ提案があるんだけど」

「何だ?」

「探偵に依頼内容を遂行してもらうならこの額になるけど、探偵の卵である俺が遂行するならクラスメートのよしみで、タダで引き受けてもいい」

「いいのか?」

「うん。で、どうする?」


 一応、聞き返しはしたが、江月さんは俺の提案を受け入れるだろう。

 事実、迷いながらも俺の提案を受け入れることを決めたのが、江月さんの表情から見て取れる。


 そして江月さんが返答を口にしようとした、まさにその時だった。

 江月さんのスマートフォンに着信が入った。


「あっ、悪い。ちょっと待って」


 江月さんは慌ててスマートフォンを取り出し、画面を確認する。

 すると驚きながら一瞬、俺に視線を向けたあとソファーから立ち上がり、俺から距離をとってようやく電話に出た。


「もしもし。何だよ?」


 江月さんの口調から電話の相手がそれなりに親しい間柄の人間であることが伺え、江月さんが俺から距離をとったのも納得がいく。


「……マジか! あっ」


 と、江月さんは驚いているが、どこか嬉しそうに大きな声を上げる。

 そしてすぐに近くに俺がいることを思い出し、俺に背を向けて電話を続けた。


「何でもない。あーと、えーと、このあとすぐ行くから。うん、うん。じゃあな」


 そう言って電話を切るとすぐに江月さんは申し訳なさそうに俺の方に視線を向けた。


「あー、悪い。ちょっと急用できたから、そっちに行く」

「そっか」

「あっ、でも依頼については、お前がいいなら引き受けてほしい」


 江月さんのプライベートを詮索するつもりはない。

 だから探偵として俺は、江月さんのその答えが聞けただけで十分だった。


「分かった。じゃあ、詳しいことは明日の放課後にまたこの事務所で話そう」

「ああ、頼む」


 こうして俺は探偵の卵として、江月さんの依頼を引き受けることになった。

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