第二章 その3

「いやー、前回のあの畳み掛けるような追い討ちには痺れましたよー。さすが先輩です」

「下手なお世辞はいい」


 事務所にやってきた犬成と俺は本題に入る前に他愛のない雑談をしていた。


「いえいえ、本心です。あー、でも、できればねちっこいモードの先輩も見たかったですね」

「何だよ、ねちっこいって」

「先輩って、罪を認めない犯人と対峙すると人が変わったように徹底的にねちっこく追い詰めるじゃないですか。刑事としては一度でもいいから、あんな風に犯人を追い詰めたいもんです」

「たくっ、変なことに憧れるんじゃねぇ」


 犬成の変なことへの憧れには困ったものである。

 さて、今日はこんな雑談をするために犬成と会っているわけではない。きちんとした本題があるのだが、本題以外の話ができるのはこの時間くらいだろう。

 だから俺は本題に入る前に、一つ気になっていることを犬成に確認することにした。


「……若山さん達の方はどうだ?」

「大人しく取り調べに応じてますよ。こっちも相手は未成年なんでそれなりの対応をしています」

「そうか」


 若山さん達は事件の犯人であり、千倉さんをイジメていた主犯であるが、少しの時間だが一緒に過ごしたクラスメートでもあったため、多少その動向が気になっていた。

 犬成の話を聞く限り、取り調べには応じているようなのでこれからじっくりと自分の罪と向き合っていくことになるだろう。

 険しい道だろうが更生してほしいとは思っている。

 しかし、あの事件にはまだある問題が残っていた。


「ただ問題なのは、フェイクスキルの入手経路でして」

「……だろうな」


 今回の事件で使用されたフェイクスキルは当然のことだが、入手するのは容易ことではない。

 事件を推理していた時も片隅にその疑問はあったのだが、若山さん達が事件の犯人であることは間違いないことだったので、疑問は一旦片隅に置いたままにしていた。


 だが、事件が解決したことでその疑問に向き合わなければならなくなった。

 それは犬成も同じことだ。いや、特犯のトップである犬成は俺よりも真剣に向き合わなければならないか。


「若山亜子達の供述によれば、メッセージアプリで知り合った売人と思われる人物から仲間内でお金を出し合い、購入したそうです」

「ちょっと待て。仲間内でお金を出し合ったって?」


 犬成の話を聞き、俺はすぐさま聞き返した。

 フェイクスキルは容易に入手できるものではないため、その値段も高額だ。

 間違っても、高校生がお金を出し合って買える額ではない。

 だから俺は偶然に近い形で若山さん達がフェイクスキルを手に入れたと考えていたが、どうやら違うらしい。


「やっぱり先輩もそこが気になりますよね。高校生が出し合える金額でフェイクスキルが買えるなんて、恐ろしい事態ですよ」

「売人の行方は?」

「それについては現在、サイバー犯罪対策課と協力して捜査を進めています。それと、入手経路以外に問題点がもう一つ。今回使用されたフェイクスキル自体についてです。若山亜子達の取り調べと並行して詳しく調査してみたところ、今回使用されたフェイクスキルが本来の威力と比べたら相当低い粗悪品であることが分かりました」

「粗悪品か。まぁ、威力が低い粗悪品なら価格が安価なのにも納得がいくな」

「ただ、単なる粗悪品じゃないんです」

「どういうことだ?」

「かなりの知識を持つ人間が、高価な部品ではなく、代用品となる安価な部品を使って作成した粗悪品なんです。ちなみに代用品はそこら辺のホームセンターで購入できるもので、なんと高校生が出し合った金額でもしっかりと利益が出ます」

「そいつは……マズイな」

「ええ。粗悪品で威力が小さいとはいえ、決して無視できるものではない。さらに安価な部品で作成できるということは、量産が容易であるということ。そんなものが街中で、しかもテロリストにでも使われた日には一大事です。そういった事情もあり、高校生が起こしたお粗末な事件は気付けば対テロの関連部署までが首を突っ込む事件になってます」

「……あー、あれだな。そんな状況で呼び出してすまん」


 ここでようやく俺は犬成が今、この場にいるのが奇跡と言えるほど、忙しい状況であることに気付いた。

 というか、そういった事情を考えると、若山さん達の件について犬成はだいぶ庇ってくれていることになる。

 テロの可能性まで出てきたとなれば、若山さん達の取り調べはもっと厳しいものになっていてもおかしくはないからだ。


「気にしないでください。むしろいい息抜きになりますよ」

「そうか。なら、いいんだがな。……さて、世間話はこんくらいにして本題に入るか」

「はい。ではまず、金谷郷家についてです」


 今回、俺が犬成とこうして会って話そうとしている本題。

 それは、俺が犬成に依頼していた調査の結果を聞くことだった。


「金谷郷家の血筋を辿ると、もとはこの辺りの土地を治める大名の一族で、近代化後は巨大な財閥を築き、この頃から政界や財界への影響力を持つようになりました。財閥解体後もしぶとく生き延び、世界間大戦では戦争で需要が高まったありとあらゆる分野に手を出してその地位を不動のものにして日本を代表する金持ち一族になった、といった感じに金谷郷家については調べても、どんな経緯で政界や財界に太いパイプを持つようになったのかが分かるくらいでこれといった不祥事は特にありません。握りつぶされている可能性はありますが」


 たしかにそれだけ歴史があって政界や財界にパイプを持つとなると、汚点となりそうなことを握りつぶしていても不思議はない。


「で、次に金谷郷政太郎についてなんですが今から五年前、父親である金谷郷家の前当主、金谷郷剛三郎ごうざぶろうが死亡したことで当主の座を引き継ぐことになりました」

「金谷郷政太郎の父親か……。剛三郎の死因は?」

「もともと金谷郷剛三郎は酷い喘息持ちで、発作の程度によっては薬を吸引しないと命の危険があるほどだったそうです。で、ある日のこと、就寝の途中に起きて向かったトイレの中で重い発作が起こり、運悪く寝ぼけていた金谷郷剛三郎は薬を枕元に置いたままトイレに来てしまっていたため薬を吸引することができず、そのまま亡くなったようです」

「その死に、不審な点はあるか?」

「金谷郷剛三郎が政界や財界に影響力を持っていることもあってかなり入念に捜査はしたようです。ですが不審な点は見つからず、病死で処理されました」

「なるほど……。当時の捜査資料はあるか? あるなら見ておきたい」

「そう言うと思って持ってきましたよ」


 話が早い後輩で助かる。俺は犬成から当時の捜査資料を受け取り、内容を確認する。


 現場の写真には、トイレの便座の右横の床にうつ伏せに倒れこんでいる寝巻き代わりの浴衣を身にまとった剛三郎が写されていた。

 死体の下半身の様子から尿意を解消するためトイレに来たことが推測できる。

 死因は司法解剖の結果、持病の喘息の発作による窒息死で、薬を吸引していれば助かっていたようだ。

 その他の捜査資料について、不審な点はなし。


 ただし、記載内容が少しあやふやだ。

 例えば剛三郎の死体を見つけた第一発見者は金谷郷家の関係者と書かれていて、個人名が書かれていない。

 捜査資料として読めなくはないが、そういったあやふやな記載がところどころにあり、俺は少しばかり金谷郷家の力を感じてしまう。

 ただ、その点に目を瞑ると病死にしてはかなりしっかりとした捜査をしていて、その上で不審な点がないのだ。

 だから、剛三郎の死が病死であると結論付けても問題がないと言える。


 少し気になるのは剛三郎が死んだトイレが、内装が少しだけ異なるが金谷郷政太郎の私室にあるトイレによく似ていて、そのトイレは今朝方も俺が使用して…………よし、この件については忘れよう。


「金谷郷政太郎について、話を続けてもいいですか?」

「あ、ああ。頼む」

「当主の座を引き継いだ金谷郷政太郎は当時小学六年生でしたが、幼い頃から会社経営などの勉強をしていたようで、すぐに会社の経営に携わるようになったそうです」


 小学六年生で会社の経営者か。少し前までそんな人間がいるなんて想像もしていなかったな。

 今、そんな人間というか、本人になってしまっているが。


「で、会社の経営を始めてからすぐのことでした。金谷郷政太郎の悪評が目に付くようになったのは。最初は子供が当主になって会社経営を行うことを妬んだ人間が流した嘘だと自分は考えたんですが、どうもそうじゃないみたいです。金谷郷政太郎は態度が悪い、いつも誰かを睨みつけるような顔をしていて物にあたることもあるなど、嫌われても無理のない性格だという証言が多種多様な方々からとれました」

「その点については、俺もその証言者になれるな」

「そうですか。まぁ、悪評こそありますが、金谷郷政太郎の会社を経営する手腕はたしかなようで、悪評は全て、その手腕で握りつぶしていたようです」


 たしかにわずかな時間しか交流をしていない俺ですらあそこまでイラつくほどの性格なのに今なお経営者でいるのは、それこそが金谷郷政太郎の手腕がたしかな証明か。


「で、岩井猛の死について、なぜ金谷郷家は圧力をかけた?」

「すいません、それについてはまだ分かっていません。ただ、金谷郷政太郎が圧力をかけたわけではないと思います」

「ああ。少なくとも岩井猛が死んだ後の金谷郷政太郎は俺、だからな」

「となると、金谷郷政太郎以外の金谷郷家の実力者、もしくは金谷郷政太郎の名を使える人間がそうさせた、あるいは金谷郷家で発生した殺人事件を穏便に解決しようと周りの人間が忖度したか…………まだ可能性は絞り込めませんね」


 そう言いながら犬成は資料の束を机の上に置き、俺は何気なく資料の束に視線を向け、


「あれ?」


 と、声を漏らしてしまう。

 視線の先にある資料の束。その真ん中辺りからはみ出た一枚の写真がある人物を収めていることに気付いたからだ。


 その人物とは、奥山さんであった。


 なぜ資料の中に奥山さんの写真があるのか気になった俺は資料から写真を抜き取り、犬成に聞いてみることにした。


「この写真は?」

「ああ、一応今、事件当時現場にいた人間を一人ずつ、調べているんですよ」


 なるほど、そういった理由か。まぁ、調べる観点としてはあって然るべきものだ。


「あのー、その写真の女性について、先輩につかぬことをお聞きしたいのですが」

「何だ?」

「先輩ってその女性と、何か特別な関係だったりします?」

「はぁ? ……ああ、金谷郷政太郎としてか?」


 突然何を言い出すのかと一瞬俺は思ったが、すぐに金谷郷政太郎である俺が奥山さんと親しいのか、と犬成が聞いたのかと考えた。

 だが、そうではなかった。


「いいえ。岩井猛としてです」

「なら、ない。せいぜいあるとしたら、依頼人と探偵程度の関係だな」

「そう、ですか」

「どうしてそんなことを聞いた?」

「実は先輩が殺された日、先輩が遺体安置所に運ばれたと知って俺、遺体安置所にすっ飛んでいったんですが先客がいまして、それがその写真の女性、エイリー・奥山でした」

「それは、ただ金谷郷家の使用人として付き添っていたからじゃないのか?」

「それが彼女、俺が遺体安置所に入った時、先輩を見て泣いていたんです」

「泣いていた?」


 岩井猛である俺と奥山さんの関係は、探偵と依頼人という関係であり、そこに涙を流す理由はない。


 ただ、奥山さんが岩井猛の死体を見て泣く理由に、心当たりがないわけでもなかった。

 奥山さんは分かっていたのかもしれない。遺体安置所に横たわる岩井猛の死体が誰なのか。

 その人物は、一人しかいない。金谷郷政太郎だ。


 俺が持っている疑問の一つ、金谷郷政太郎の意思はどこに行ったのか。

 俺は、俺と金谷郷政太郎の意思が入れ替わった可能性を考えているが、犬成が話した内容はその可能性をより強固にするものだった。


 しかし、まだ断言できるほどではない。それを証明する証拠だって少なすぎる。

 だからもっと知る必要がある。金谷郷政太郎に対して涙を流すほどの思いを持つ、奥山さんについて。


「奥山さんに関して、今分かっていることはなんだ?」

「金谷郷家の使用人であり、金谷郷政太郎の同級生でもある女性。使用人としての経歴に不審な点はありません。その他に挙げることがあるとすれば、孤児であることですかね」

「孤児?」

「ええ。元々、事故で両親を亡くして施設で暮らしていました。で、今から五年前、金谷郷剛三郎が死ぬ前のことです。金谷郷剛三郎と金谷郷政太郎がチャリティー活動で施設を訪問した際、彼女に出会い、そのまま使用人として引き取ったそうです」

「そうか……」


 奥山さんが孤児。まったく知らなかった情報を知り、俺はすぐにある仮説を立てた。

 金谷郷家が奥山さんを引き取ったことに対して、奥山さんは恩義を感じているのではないだろうか。

 だから恩義を感じている金谷郷政太郎の死を知り、涙を流した。


 ……いや、ならなぜ、俺が金谷郷政太郎であることを奥山さんは容認しているんだ。

 やはりまだまだ情報が不足しているか。と、俺が頭の中で思考を続けている時だった。


「すいませーん」


 事務所の扉の外からそんな声が聞こえた。

 おそらく依頼しに訪れた、依頼人だろう。


「あっ、はい、どうぞ」


 だから俺は条件反射で、事務所の主たる探偵として返答するのだが、


「先輩何言っちゃってるんですか!」

「……しまった」


 犬成の慌てた声を聞き、自分がしでかしたことにすぐに気付いた。

 秘匿されるべき資料を机の上に並べ、特犯のトップと話す金持ちの高校生。

 見られては困る光景だ。


 大慌てで俺と犬成は机の上の資料を隠す。

 そして、資料を隠し終えたタイミングで事務所の扉が開き、依頼人が入ってきた。


「失礼しま……はぁ? 何で金谷郷がここにいるんだよ?」

「江月さん?」


 事務所の扉を開いたのは、クラスメートの江月さんであった。

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