第一章 その10

 犬成がどう説明したのかは分からないが俺は警察が捜査を続ける現場の片隅に留まることができた。

 俺は氷漬けのオブジェクトを見つめたまま、妙案を考えるが思いつくことはなかった。


 この事件は、間違いなく時間をかければ警察が解決することができる事件だ。

 だがその時間が問題だ。この事件は、千倉さんを傷つけないように解決するという観点で考えると、可能な限り早く事件を解決する必要がある。


 だからこそ、妙案を思いつく必要があるのだが、考えれば考えるほど思考は袋小路に入ってしまう。

 事件の真相は見えているのに、事件を早期に解決する方法がないのがこれほどまでにもどかしいとは。

 そんな風に俺の中でどんどん焦りが大きくなってきた時だった。


「旦那様」


 ここ数日、聞きなれた奥山さんの声が耳に入り、俺は慌てて視界を奥山さんの声が聞こえた方に向ける。

 奥山さんは規制線内の、俺のすぐ近くに立っていた。


「奥山さん? どうしてここに?」

「いつまで待ってもお戻りにならないので探したところ、ここにいると伺ったので」

「いや、規制線とかあったよね?」

「警察の方に金谷郷家の使用人だと伝えたら簡単に通してもらいました」

「なるほど……」


 これ以上ないほど説得力のある回答であった。

 規制線の前に立つ警察官が触らぬ神に祟りなしの精神で奥山さんを通す姿が容易に想像できる。


「それで、旦那様こそ規制線が張られたこの場所で何をなさっていたのですか?」


 さて、奥山さんのこの質問にどう俺は返答するべきか。

 しばらく考えた末、俺は犬成との関係など多少の事実は隠しつつ、真実を伝えることにした。


「……そう、でしたか」


 事件の経緯、千倉さんがスキラーだと疑われていること、おそらく若山さん達が犯人であること、千倉さんを傷つけないためには事件を早期に解決する必要があることなど、俺は丁寧に奥山さんに説明した。


 俺の話を聞いた奥山さんは今まで見たことがないほど落ち込んだ様子を見せていた。

 なぜ奥山さんがそんな様子を見せるのか、心当たりがないこともない俺は奥山さんにそのことについて聞いてみることにした。


「奥山さん、聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」

「なんでしょうか」

「昨日、奥山さんが言っていた用件って、若山さん達から千倉さんを守ろうとしたって認識でいいのかな?」


 昨日の放課後、奥山さんは主である俺に断りを入れた上で、どこかに行った。

 そのことについて俺は、若山さん達から千倉さんを守るための何らかの策を講じるための行動だと推測していた。

 そしてそれがおそらく、今こうして奥山さんが落ち込んだ様子を見せる要因の一つであろう。


「はい。旦那様のおっしゃる通りです。昨日、私は千倉様がご自宅に戻るまでの間に何かよからぬことに巻き込まれないか、見守っておりました」


 奥山さんはすぐにその通りであると返答した。


「旦那様、昨日千倉様に不審な点はなく、まっすぐ自宅にお戻りになりました。もしも警察への証言が必要ならば、証言いたします」

「残念ながらその証言は千倉さんの助けにはならない。奥山さんが千倉さんを見ていたのは、学校から自宅へ戻るまでの間だけで、それ以降のアリバイは証明できないからね」

「やはり、そうですか」


 奥山さんが残念そうに発言する。……奥山さんがなぜそこまでして千倉さんを守ろうとするのか、確認しておくべきか。


「奥山さんは、助けたいと思うほど、千倉さんと親しいのかな?」

「いえ。千倉様とは特別親しいというわけではありません」


 だが、奥山さんはあっさりと千倉さんとは親しくないと発言した。

 ではなぜ、奥山さんは親しくない千倉さんをそこまで守ろうとするのだろうか。

 そんな疑問は、奥山さんが続けて口にした言葉によって解消した。


「理不尽な差別を、私個人が受け入れられないだけなのです」


 そう発言した時の奥山さんの表情は、一言では表せないとても複雑なものであった。

 ただ、奥山さんが差別というものに、強い嫌悪感を抱いていることは理解できた。

 そうした奥山さんの内面を知り俺は、ある決意をした。


「奥山さん。少し考える時間をください」


 この事件は千倉さんを、そして奥山さんを傷つける。そのことを許せないと思った。

 だから、解決しなければならない。早期に、この事件を。


「……はい、かしこまりました」


 一方、奥山さんは唐突に俺が発した言葉の意味が分からない様子だが、メイドとして一先ず主に対する肯定の返答をした。


 そして奥山さんの返答を聞いたあと、俺は制服のポケットからあるものを取り出した。

 それは、昨日犬成から返却された俺の音楽プレイヤーであった。


「早くもこいつの出番か」


 そう言いながら俺はイヤホンを両耳に刺し、音楽プレイヤーの再生ボタンを押した。

 次の瞬間、俺の両耳に流れてきたのは、ななかちゃんのデビューシングル『私は想森ななか』であった。


 俺には考え事をする時に一つ、あることを行うことが多い。それこそが、『私は想森ななか』を聴くというものだ。

 昔、ある一室で起こった殺人事件の捜査中、部屋の中で『私は想森ななか』が永遠と流れていたことがあった。

 現場保存の観点から『私は想森ななか』は止められることなく、しばらくの間流しっぱなしとなったのだがどういうわけか『私は想森ななか』が流れている最中、俺の思考力は格段に上がり、結果的に事件は早期に解決することができた。


 それが切っ掛けだった。

 以降、俺は考え事をする時、特に考えを整理したい時や詰まった時に『私は想森ななか』を流して思考力を上げるようになった。

 同時に、俺はななかちゃんのファンになっていったのである。


 さて、この事件は既に解決したも同然だ。事件のあらましも、容疑者も全て分かっている。警察が捜査をすれば裏づけも問題なく完了するだろう。

 ただし、このままでは事件が解決するのは先のことになる。事件が解決するまでの間、千倉さんは理不尽な差別を受けることになるだろう。それは回避しなければならない。


 ならばやるべきことは決まっている。警察の裏づけを待たずしてこの事件を解決する。

 そのためには決定的な証拠、フェイクスキルを使用したあとの空の容器を見つける必要がある。


 探すべき場所の検討はついている。問題は、探しても短時間で見つかる可能性が奇跡に頼らざる得ないほど低いということだ。

 逆に言えば、俺が導き出すべき答えは一つ。空の容器を短時間で見つけるその方法。たったこれだけだ。

 だが、言葉にするだけなら簡単でも現実的には難しい。そもそも警察という大きな組織が探しても時間がかかるのだ。

 俺個人が方法を考えたところでその効果はたかが知れて――――。


 と、考えていた時、俺の視界にあるものが入った。

 それは、校舎の窓ガラスに反射して映る俺、金谷郷政太郎の姿であった。

 

 そして、その姿を視界に捉えた俺は、そのまま視線を真新しい校舎に向け、気付いた。

 俺は元刑事である私立探偵、岩井猛ではない。今の俺は、金谷郷政太郎なのである。


 今回の事件に関して俺は元刑事として……すなわち、警察の立場として物事を考えていた。だからこそ、警察では事件の早期解決は難しいことが分かっていた。

 だが、政界や財界に影響力を持つ金持ち、金谷郷政太郎ならばどうだろう。

 きっと、警察にはできないことができるはずであり、行動の選択肢もぐっと広がるはずだ。


 そして俺は思考を巡らせ…………一つの方法を思いついた。


「ねぇ、奥山さん。こんなことはできるかな?」


 俺は耳からイヤホンを取り外し、その方法が実行可能か、すぐに奥山さんに問うた。

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