第一章 その7

「すまん、熱くなった」

「い、いいえ。想森ななか……さん関連のことでしたら、しょうがないっす」


 犬成の顔が丸く腫れあがった頃、ようやく俺は冷静さを取り戻し、俺と犬成は事務所にあるソファーに対面する形で座った。


「てか、先輩、なんですよね」

「ああ、そうだ。どういうわけか今は、金谷郷政太郎になっているがな」

「本当にそうなんですね! 俺、先輩が殺されたって知らされた時はもう……もう……」


 と、嬉し泣きしながら犬成が喋る。

 犬成の反応に俺はこそばゆさを感じるが、犬成がそんな反応をするのは予想の範囲内の行動ではあった。


 犬成は刑事だった時の俺の後輩であり、共に特犯で捜査をしていた戦友でもある。

 そして、いわゆるキャリア組で若くして特犯に配属された犬成に刑事のイロハを教えたのは他でもない俺自身だ。

 そんなこともあり、俺が警察を退職する際には犬成から直接自分が目指すべきあこがれの先輩だと言われるほど犬成から俺への信頼は厚く、今も時折連絡を取るなどその関係は続いていた。

 ちなみに余談だが、俺はノンキャリである。


「それで、そうなっているのはやっぱりスキルが原因ですよね」

「ああ。けど、どんなスキルが使われたのかは検討もつかないし、元の体はもう火葬されて骨になっちまったから調べようもない」

「どうしてすぐに相談してくれなかったんですか?」

「お前に頼ろうとした前に俺の体が火葬されちまってな。火葬されたあとにお前を頼ってもって思って相談できず、今に至るってわけだ」


 そう。俺が頼ろうとした伝手とは、犬成のことだったのである。


「そうでしたか……」

「まぁ、あの聞く耳を持たなかった警察の態度を考えると、お前に頼ったところで満足な結果を得られるか、今更ながら疑問に思ったりもしちまうがな」

「聞く耳を持たれなかった……やっぱり何かあるな」

「何か気になることでもあるのか?」

「それを説明するには、先輩を尾行していた理由を話す必要があります」

「俺を……いや、お前からしてみたら金谷郷政太郎か。何か、掴んでいるのか?」

「まず先輩を殺害した旭一之助が話した動機については、曖昧な内容で要領を得ませんでした」

「それについては俺も多少、把握している。動機が曖昧な以上、突発的な犯行が考えられるが正直なことを言うと俺、殴り殺されたせいか殺された前後の記憶があいまいでな。突発的な犯行に繋がりそうな原因については証言できないんだ」

「そうですか。一応、突発的な犯行の線も疑ってはいますが俺はもう一つ、ある可能性を考えています」

「ある可能性?」

「先輩は、元特犯の刑事です。ですからそこがらみの、何らかの特殊な怨恨の線です」

「あー、それがあったか」

「なので一度、特犯で事件の捜査を行うことにしたんです。それこそ、スキラーが事件に関わっている可能性だって十分にあるわけですし」


 刑事というのは恨みを買いやすい職業だ。それが特犯の刑事ともなれば、スキラーからの恨みを買いやすくなる。

 だから元特犯の刑事である俺が殺された事件について、犬成達特犯の刑事が動くのは違和感のない行動だ。


「けど、捜査を初めてすぐに圧力がかかって、捜査は打ち切られました」

「何? 圧力って、どこからだ?」


 しかし、その次に発した犬成の言葉は想像していなかったものだった。しがない私立探偵が殺されただけの殺人事件に、普通は圧力などかかるわけがない。


「圧力をかけてきたのはある政治家でしたが、その政治家と先輩に繋がりと呼べるものはありませんでした。しかし、詳しく調べてみると先輩が殺された犯行現場の主である金谷郷家がその政治家に多額の献金をしていることが分かりました。となると、金谷郷家が政治家に圧力をかけるよう、働きかけた可能性があります。だから金谷郷家の当主である金谷郷政太郎を調べることにしました」


 なるほど。政界や財界と繋がりが深く、殺人事件の現場の主でもある金谷郷家の人間が元特犯の刑事の殺人事件に圧力をかけたとなると、何か裏があると思うのは当然のことであり、犬成が金谷郷政太郎について調べようとするのも納得できる。


「そんで尾行していた相手が俺の事務所に入るのを目撃して、またとないチャンスだと思って俺をとっ捕まえたってわけだ」

「そうです。……あの、さっきは本当すいませんでした」

「いいさ。俺だってお前と同じ立場だったら同じことをしていた」


 それは俺の嘘偽りのない言葉だった。

 特犯は扱う事件の特質性から常に危険と隣り合わせだ。

 しかも全国で発生するスキル犯罪の捜査において特犯は中心的役割を担っており、忙しさも生半可なものじゃない。


 その分、苦難を乗り越えた仲間との間には一言では言い表せない連帯感が生まれ、そんな仲間の敵討ちともなれば事件にかける思いは強いものになる。

 ましてやそれがもっとも信頼を寄せる仲間だった時は…………いかん、いかん。余計なことを考えてしまった。

 このことについて、深く考えるのはよそう。


 また、思い出してしまうからな。


「……犬成。お前は引き続き金谷郷家と金谷郷政太郎のことを調べてくれ」

「えっ? でも、それを調べるのは今、金谷郷政太郎になっている先輩の方が適してるんじゃないですか?」

「いや、逆に調べづらいんだ。金谷郷政太郎、かなり他人から嫌われていて、話もままならないんだ。だから、外部にいるお前の方が容易に調べられるはずだ。頼めるか?」

「そういうことですか。分かりました。任せてください、先輩。いやー、それにしてもこうして先輩から命令を受けるなんて、昔を思い出しますよ。これで福栄ふくえさんもいてくれたら……あっ」


 福栄れん。俺が特犯に所属していた頃の、俺の相棒。

 そして俺が警察を辞めることになった切っ掛けであり、先ほど俺が思い出しかけ、頭から振り払おうとした人物。


「す、すいません、先輩。俺……」


 犬成は悪気なく、久しぶりに俺からの命令を受けたことが嬉しくて、ついにその名を漏らしてしまっただろう。

 犬成が俺に対して謝るのは違うと断言できる。悪いのはそんな気遣いを犬成にさせてしまっている俺なのだ。


「気にするな。俺の中ではもう気持ちの整理はついている。それよりも調査を頼むぞ」


 だから俺は犬成を励まそうと、犬成の肩にやさしく手を当てながら犬成のやる気を上げる言葉を口にした。


「……はい!」


 そして犬成は俺の想定通り、やる気を上げて力強い返事をした。


「あっ、そうだ。先輩、これお返しします」


 そう言って犬成は懐からあるものを取り出した。それは俺、岩井猛の音楽プレイヤーだった。


「お前、これどこで?」

「先輩が殺された時に持っていた私物、一応証拠品として管理してたんですが事件に関係がないとはっきりしたものについては遺品として返却することになりました。ただ先輩の遺品を引き取る方がいらっしゃらなかったので、俺の方で預かってたんです。で、こいつは先輩の形見として貰っちゃおうかなって思ったんですが、先輩が生きているのならお返しします」

「貰っちゃおうってお前な……」

「いやー、こいつ持ってたら先輩の推理力にあやかれそうな気がしまして」

「形見を持っているだけで推理力が上がるならスキル犯罪に苦労なんてしないだろ」

「それもそうですね」


 と、他愛のない会話をしながら俺は犬成から音楽プレイヤーを受け取った。

 犬成の推理力にあやかろうとした、という話は納得できなくもない話であった。

 というのも俺は考え事をする時にこの音楽プレイヤーを使ってあることをすることが多く、そんな姿を犬成は間近で見ていたため、犬成があやかってみようと思ってもおかしくはなかったからだ。

 まぁ、せっかく戻ってきた音楽プレイヤーだ。有効に使わせてもらおう。


「あっ、というか先輩の遺品、他にも返せるやつは先輩に返しちゃった方がいいですよね?」

「そうだな。金谷郷家の屋敷に送ってもらってもいいか? 宛名は、金谷郷政太郎で」

「分かりました。たしか遺品の中に先輩のスマホもあったので、今後の連絡はそこに入れます」

「ああ、頼む」

「よーし、根掘り葉掘りしっかりと調査してやる!」

「ああ、でも捜査の方は一度圧力がかかったんだよな。また圧力がかかるかもしれないが、大丈夫か?」

「それについては心配いりません」


 犬成はソファーから立ち上がり、こう言葉を続けた。


「圧力をかけるなら、かければいい。けどその時は、特犯のトップに圧力をかけたらどうなるか、分からせてやるまでです」


 犬成耕平。警察庁刑事局特殊能力犯罪捜査課の現、課長。この肩書きが意味するのは、犬成が日本におけるスキル犯罪捜査のトップの一人であるということだ。

 俺はそんな、気付けば偉くなっていた後輩の姿に寂しさと頼もしさを感じるのだった。




 そして、翌日。俺は早々に犬成と再会することになる。


「さぁ、先輩! 今この現場には俺と先輩しかいません! 今なら捜査し放題ですよ!」


 意気揚々と話す犬成の姿を見て、俺は深いため息をするしかなかった。

 なぜ、俺が深いため息をつくことになったのか。それを説明するには、今朝の出来事を話す必要があった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る