第一章 その2
屋敷に戻った俺は私立探偵、岩井猛として生きていたら一生住むことができなかったと確信できるほど広々とした金谷郷政太郎の私室で暮らすことになった。
殺された前後は色々と混乱していたこともあり、あまりよく見ていなかったがあらためて金谷郷政太郎の私室を見て、その広さに俺は金谷郷家がとんでもない金持ちであることを再認識した。
そもそも私室の入口付近に専用の風呂場と個室のトイレが配置されている時点でスケールが違う。
そして部屋の中で特に存在感を放つ巨大なベッドは、今までの人生の中で横になったどのベッドよりもふかふかで、そんなベッドで眠った俺の体の疲れは翌朝しっかりと取れていた。
しかし、精神的な疲れはまったく取れていなかった。
なぜなら俺が眠った金谷郷政太郎の私室は、私立探偵、岩井猛が殺された犯行現場だからである。
奥山さんは既に部屋の改装は済ませているので問題なし、と言っていたがそれではいそうですか、と納得できるわけがない。
というかこの世に自分が殺された部屋で寝て清々しく起きられる人間など存在するわけがない。
そんなわけで朝起きても憂鬱な状態となっていたのだが俺は今、鏡に映る自分の姿を見て頭を抱えたくなっていた。
「今日も似合ってらっしゃいます、旦那様」
奥山さんは鏡に映る俺の姿を見ながら発言する。
鏡に映る俺は、とある高校の制服を身に纏っていた。
そう、金谷郷政太郎は金谷郷家の当主にして、現役の高校生なのである。
身辺警護の依頼を引き受けた時点で知っていた情報ではあるのだが、こうしていざ金谷郷政太郎となった俺自身が制服を着てまた高校に通うことになるという現実に直面したら頭を抱えたくなるのも当然のことと言えよう。
「では、お車の準備も済んでいるのでさっそく学校に向かいましょう」
俺に話しかけてきた奥山さんの服装はメイド服から同じ高校の制服へと変わっていた。
見た目や態度が大人びていたこともあり、てっきり奥山さんは二十代くらいの年齢かと思っていたのだが実は金谷郷政太郎と同じ学校に通う高校生だったようだ。
「旦那様? 聞いておりますか?」
「あっ、はい、すいません、聞いてます」
「それは良かったです。私はてっきり金魚すくいのポイのような旦那様の鼓膜が、か弱い私の声で破れてしまったと思っていたのですが私の思い込みすぎのようでしたね」
「あ、あははははっ」
奥山さんの皮肉が混じった分かりにくい例え話に俺はぎこちなく笑うしかなかった。
「ここか」
学校に到着して車から降りた俺は、校舎と登校する生徒達を眺めていた。
金谷郷政太郎が通う高校は、校舎は新しいが、学校名が記述されたプレートの先頭には県立と書かれていて、登校する生徒達はどこにでもいる普通の子供達と、実に庶民的な学校であった。
「いつ見てもこの学び舎は素晴らしいですね。旦那様が通うことになって建て直した甲斐があるというものです」
前言撤回。別ベクトルで凄いことをしていた。恐るべし、金谷郷家。
「さぁ、いつまでも案山子のように突っ立っていないで私達の教室に向かいますよ、旦那様」
「私達の教室……ああ、一緒のクラスなんですね。……ん?」
奥山さんと会話していた俺は誰かに監視されているような視線を感じ、辺りを見渡した。
視界に入るのは、腫れ物のように俺のことを見る登校中の生徒の姿だけであった。
「どうしたのですか、旦那様? 旦那様がこの学校に通う生徒達から腫れ物のように見られるのはいつものことですよ?」
「あっ、すいません……」
奥山さんの辛辣な言葉に俺は苦笑いをしながら返答するしかなく、大人しく校舎に向かうことにした。
奥山さんは当然のように一歩下がって俺の後ろについてくる。
しかし俺はすぐに立ち止まり、後ろを振り返った。
「あのー、奥山さん。先に進んでもらってもいいですか?」
「構いませんがなぜ……ああ、そういうことですか。かしこまりました。ただ、旦那様の特殊な性癖に私は金谷郷家の将来を憂慮してしまいます」
一体どんな風に奥山さんの中で処理されたのか考えるだけで冷や汗が止まらないが、奥山さんが俺の前を歩き始め、俺はそのあとをついて行った。
なぜ奥山さんに前を歩いてもらったのかは単純明白。
金谷郷政太郎が所属するクラスの教室の場所など、俺が知るはずもなかったからだ。
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