第一章 新たな人生
第一章 その1
金谷郷政太郎の屋敷で発生した殺人事件は結果から言ってしまえば呆気なく解決した。
現場に到着した警察官達が屋敷を捜索してすぐに旭さんの私室から凶器である血の付いたウン百万もするオブジェを発見し、旭さんを問い詰めたところ犯行を自供したからだ。
こうして事件は無事に解決し、めでたしめでたしとなったわけだが、スキルが事件に関わっていることを知る俺だけはまったくめでたくなかった。
今回の殺人事件は、事件自体の構造はシンプルなものであったことから警察はスキルの存在をまったく考慮することなく事件の幕引きを図ってしまった。
この警察の対応はスキル犯罪が登場してから生まれてしまった悪しき警察の怠惰である。
スキル犯罪はスキルが文字通り何でもありなせいで捜査は難航して当たり前。捜査の方向性すら決まらない時だってある。
かつてスキル犯罪のど真ん中で働いていた俺なんて日々、胃薬が手放せなかったほどだ。
だから臭いものには蓋をするように、解決した事件にスキルが関わっているかもしれないという事実から警察が目を背けることが残念なことに間々あった。
さらに、俺には納得できていないことがある。それは、旭さんが俺を殺した動機だ。
旭さんが自供した俺を殺害した動機は曖昧な内容らしい。
らしい、というのは関係者として簡単な事情聴取を受けた際に、警察官から又聞きしたためだ。
もっとも、曖昧な動機など警察からしてみたら大した障害でもなく、動機が曖昧なまま旭さんの身柄は警察から検察に移されることが決まった。
だが、殺された俺からしてみたらその決定は到底容認できるものではない。旭さんが俺を殺した動機は是が非でも知りたいところだ。
そんなわけで俺も旭さんの動機について考えてみたのだが、答えを出すことはできなかった。
そもそも俺と旭さんは探偵と依頼人という関係でしかなく、怨恨の線はほぼないと言える。
となると突発的な殺人だったと考えられるのだが殴られて殺されたショックのせいなのか、金谷郷政太郎の私室に入ってから意識を取り戻して金谷郷政太郎になっていた間までの俺の記憶はひどくおぼろげなものだった。
そのため突発的な殺人の動機について俺は心当たりを思い出せずにいた。
ただ、思い出せないままじっと過ごしていてもどうにもならないと考えた俺は、今回の事件に関する諸々のことを証言しようと警察に赴いた。
だが、殺されて気付いたら犯人が仕えていた主になっていたなんて話、スキルという存在があっても、特犯ではない一般の警察官にはそうそう信じてもらえる話ではなかった。
さらに悪しき警察の怠惰の影響か俺の事情聴取を担当する警察官は老いの影響で耳が遠くて居眠りをするような人物であり、俺の証言はまともに取り合われることはなかった。
それでもこの時点ではまだどうにかなると俺は高をくくっていた。
なぜなら俺には特犯時代の伝手が今でもあり、その伝手を頼れば警察もまともに捜査を行うだろうと思っていたからだ。
しかし、俺のそんな考えはすぐに粉々に砕け散ることになる。
「…………」
金谷郷正太郎となった俺は、椅子にだらしなく座り込んでいた。
「お待たせいたしました、旦那様」
座り込んでいる俺に奥山さんが近づいてくる。その両手には、骨壺が抱えられていた。
「岩井様の骨壺を引き取ってまいりました」
警察に赴いていた俺は知る由もなかったのだが、俺が証言をしている最中に俺、岩井猛の死体は司法解剖を終えて返却され、そのまま一日葬という形で葬儀が行われた。
俺がそのことを知った時には火葬が執り行われる寸前で、大慌てで俺は火葬場に向かうが、時すでに遅しであった。
火葬場に駆けつけた俺は、奥山さんと共に自分の骨を箸で拾うことになったのである。
さすがにこの出来事に俺は多大な精神的ショックを受け、殺人事件にスキルが関わっていることを暴く気が完全に失せてしまった。
そして岩井猛の体が骨になってしまったということは、俺が岩井猛に戻ることはもう永遠に叶わないということになる。
無論、自分の元の体が死体になっている時点でその可能性は限りなく低いことは分かってはいたのだが、スキルが関わっている以上、その限りなく低い可能性があるかもしれないと心のどこかで思っていた。
その可能性は俺にとって、まさにクモの糸だったのだ。
しかしそのクモの糸は、奥山さんが持つ骨壺という現実によってプッツリと、切れてしまったのである。
「では先ほどお伝えしました通り、岩井様の墓は私どもの方で準備させていただきます」
俺は既に両親と死別しており、親戚もいない。そのため、骨壺を引き取る人間が誰もおらず、俺は無縁仏になっていた。
そんな事情を知った奥山さんが色々と手を回してくれたようで金谷郷家の財力で立派な墓を用意し、既に墓に入っている俺の両親の骨壺はそちらに移され、俺の骨壺は両親と同じ墓に納められることになっていたのだ。
「お疲れのようですね」
メイドとして、主である金谷郷政太郎の身を案じる言葉を奥山さんが口にする。
奥山さんの言葉は呆けている俺の耳にも入り、
「……ねぇ、奥山さん。俺、いつもと違わない?」
俺はそう奥山さんに問いかけた。奥山さんは一度、俺の顔をよく見たあと、
「何をおっしゃっているのですか。その優柔不断な態度、なよなよとした感じ、なのに態度は大きく、人を睨みつけるような表情。紛れもなく、いつもの旦那様です」
と、明らかにけなしているだろうとツッコミたくなるようなことを言った。
「……そうですか。なら、いいです」
しかし、俺はツッコミを入れることなく、大人しく引き下がった。
さて、俺の立場はかなり歪なことになっている。
俺、岩井猛の体は骨壺に納められて元の体に戻ることは不可能となった。
すなわち俺は今後、今の俺の体である金谷郷政太郎として生きていかなければならないのだ。
そんな状況で、俺は二つの疑問を持っていた。
一つは、俺が金谷郷政太郎になっていることに違和感を持ち、指摘をする人間がいなさすぎるというものだ。
初対面に等しい相手を演じることなど不可能だ。だから、多くの人間が俺に対して違和感を持っていてもおかしくないのだが、いまだそんな指摘を俺は受けていない。
ただ、この疑問はある程度、解消されている面もある。
金谷郷政太郎という人間になって、あらためて金谷郷政太郎は他人から嫌われているということが分かった。
他人から様々な負の意味が込められた視線を向けられ、話かければ露骨に嫌な顔をされる。そんな人間に対して、好き好んで違和感を指摘する人間などいない。
ただ一人の例外を除いて。
今、俺の目の前にいる奥山さんこそがその例外だ。
金谷郷政太郎になってもう一つ、分かったことがある。それは奥山さんが金谷郷政太郎と距離の近い人間であるということだ。
ちょっとしたことをその場にいた使用人に聞こうとすると奥山さんに聞いてくれと投げやりに返答され、元の体が火葬されて俺がショックを受けている時には真っ先に奥山さんが駆け寄ってきてくれた。
そして何よりも、誰もが金谷郷政太郎に関わろうとしない中、奥山さんだけは先ほどのような軽口を金谷郷政太郎に言うことができる。
それだけ距離が近い人間ならば、俺が金谷郷政太郎であることに違和感を持ち、そのことを指摘するはずだが、いまだ奥山さんは指摘しないどころか、金谷郷政太郎として俺に接している。
奥山さんがそんな行動を取り続けているのには、間違いなく何かしらの理由があるはずだ。
さて、俺が持つもう一つの疑問。それは、金谷郷政太郎のことについてだ。
俺、岩井猛は気付いたら金谷郷政太郎になっていた。
では、金谷郷政太郎の意思はどこに行ってしまったのだろうか。
創作物でのお約束的なことで考えると、俺と金谷郷政太郎の意思は入れ替わった、ということが考えられる。
だがその場合、金谷郷政太郎の意思は俺、岩井猛の体に行ったことになるが、既に俺の元の体は火葬されてしまっている。
つまり、俺と金谷郷政太郎の意思が入れ替わったのならば、金谷郷政太郎の意思はもうこの世に存在しないということになる。
もっとも、俺の元の体が火葬されてしまった以上、それを確かめるのは至難の技と言える。
だがそれは、スキル犯罪の捜査においては常日頃のことだ。どんなに困難なスキル犯罪でも解決していくのが特犯に所属する刑事の仕事であり、今でも俺はその時の刑事としての誇りを持っている。
だからこそ、どれだけショックを受けようと気付けば俺は今回の事件について考察を始めていた。
「旦那様、そろそろ屋敷に戻りましょう」
考察中の俺に対して奥山さんが話しかけてきた。
「……分かりました」
俺は奥山さんに対して、金谷郷政太郎として返答した。金谷郷政太郎のフリをして今の生活を続ける。
謎を解決するための一番の近道がそれだと思ったからだ。
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