【完結】探偵リスタート

東谷尽勇

プロローグ

プロローグ

 俺の名は岩井いわいたける。元刑事にして今はしがない私立探偵をやっている。そんな俺は今、非常に困った事態に直面している。

 どれくらい困ったことか例えることができれば少しくらいは俺の今の気持ちを伝えることができるかもしれないが、あいにく俺が直面しているのは例えることができないレアケースと言える事態だ。


「思案中にすいません」


 と、困り果てていた俺はとある人物に声をかけられ、その人物に視線を向ける。


「ただいま警察への通報と、救急車の手配が完了しました」


 俺に声をかけてきたのは透き通るような白い肌に、短く整えられた綺麗な黒色の髪を持つ日系イギリス人のメイド、エイリー・奥山おくやまさんであった。


「あ、ああ、どうも」


 俺はぎこちなく奥山さんにお礼の言葉を述べる。


「ただ、救急車が到着しても……」

「ええ、この方はもう助からないでしょう」


 奥山さんの言葉に続くかのように話し始めたのは、白髪交じりの髪をした還暦を迎えているにも関わらず佇まいが美しい執事のあさひ一之助いちのすけさんであった。


「これほどの傷を負っては……」


 そう言いながら旭さんは片膝をつき、あるものに手を差し伸べていた。

 旭さんが手を差し伸べたいもの。それは、男の死体であった。


 元刑事にして私立探偵である俺の前に死体が一つ。

 何だ、例えなんていくらでも出てくる事態じゃないかと思うかもしれないが、そう単純な話ではないのだ。


 順を追って説明しよう。

 警察を辞めて私立探偵となった俺の懐事情は厳しいものであった。

 このご時世、探偵にくる依頼などたかが知れているし、いざ依頼を受けても値切ってくる依頼者が多いこと、多いこと。

 さらに収入の大半をある個人的な趣味に費やしてしまっていて、俺は慢性的な金欠状態であった。

 そんな中、俺の事務所に奥山さんと旭さんがやってきた。


 そして二人は自分達が俺でも名前くらいは知っている金持ち一族の主に仕える使用人であることを打ち明けた上である依頼をしてきた。

 その内容は二人が仕えている主が近々政界、財界の有力者を招いてパーティーを開催するそうで、そのパーティーで主の身辺警護を行ってほしい、というものであった。


 なぜ、身辺警護を私立探偵である俺に依頼するのか、そもそも俺に頼まなくても、もっと優秀で、それこそ専門的な知識を合わせもつ警備会社の人間を何十人も雇えるはず、といった依頼内容に関する様々な疑問を当然俺は持った。

 しかし、二人が提示した報酬額に目がくらんでしまった俺は、そんな疑問を紙飛行機のようにどこかへ飛ばし、快く依頼を引き受けた。


 そして、その依頼を引き受けて二人の主が暮らす屋敷にやってきた俺は、なぜ二人が主の身辺警護を私立探偵である俺に依頼してきたのかを理解することになる。

 俺が身辺警護をすることになった主は、とにかく人に嫌われていたのである。


 例えば、屋敷にやってきた俺が主の身辺警護をすると知った使用人達には同情され、俺は使用人達に手厚くおもてなしをされることになる。


 例えば、おもてなしをされ、屋敷のリビングでコーヒーを飲んでいると、パーティーに先だって屋敷に来ていた比較的主と親しいはずの参加者から主の悪口を聞かされる羽目になる。


 例えば、主の悪口を聞かされ、まだ半分以上残っているコーヒーをげんなりとしながら見ていると、出先から戻ってきた主がリビングにやってきて、俺を無言で睨みつけてすぐにリビングをあとにしたかと思えば、リビングに戻ってきて俺に向かって缶コーヒーを投げつけ、その主の行為を庶民のお前には缶コーヒーがお似合いだという意味で受け取った俺は引きつった笑顔をしながら、必死に怒りを押さえることになる。


 例えば、例えば、例えば、例えば、例えば…………と、そんな例えばがいくつも続いたため、主の性格が最悪で、多くの人々から嫌われていることを俺は十分に理解することになる。

 とはいえ、どれだけ性格が最悪でも依頼を引き受けた以上はしっかりと主の身辺警護をこなそうと俺は決めていた。


 ところが、開催されたパーティーの最中、俺はあろうことか身辺警護の対象者である主を見失ってしまったのだ。

 結果、俺は大慌てで屋敷をひっくり返さん勢いで主を探すことになる。


 そして、主の私室に俺が入り…………しばらく時間が経ち、現在の状況となった。

 既に屋敷内で殺人事件が発生したことはパーティーの参加者の耳にも入っており、ほとんどの使用人達は混乱する参加者達への対応に追われている。


 一方、俺、奥山さん、旭さんの三人は現場保存のため、殺人現場となった主の私室に留まっていた。

 俺は部屋の中心に横たわっている死体の額に視線を向ける。

 鈍器で一振り。傷口の深さから素人目でも助からないことは明白だ。


「どうやら警察が到着したようです」


 奥山さんが言うように気付けば窓の外からパトカーのサイレンの音が聞こえてきた。


「では、。私は警察の方のお迎えに行ってまいります」


 と、奥山さんが俺に向かって言い、


「は、はい、よろしくお願いします」


 俺は奥山さんにそう返事をした。

 そして奥山さんが部屋を出て行くと同時に、俺は視線を再び死体に向ける。


 俺の視界に入ったのは、今回の殺人事件の被害者である、私立探偵、岩井猛の死体であった。


 死体を見ながら俺は深いため息をし、そのまま視線を部屋に置かれた、いかにも高そうな鏡に移す。

 鏡に映っているのはこの屋敷の主、金谷郷かなやごう政太郎まさたろうの姿だった。


 今回発生した殺人事件、その被害者は俺である。

 だが、どういうわけか殺されたあと、気付いたら俺は屋敷の主、金谷郷政太郎になっていたのである。


 普通の人間からしたらこれ以上ないくらい訳の分からない事態であり、取り乱してもおかしくはないのだが、俺自身は多少動揺こそしたものの、取り乱すほど混乱はしていなかった。

 なぜ混乱しなかったのかといえば、それには俺の前職が関係している。


 俺は元刑事である。そして刑事として俺が所属していたのは警察庁刑事局特殊能力犯罪捜査課、通称特犯とくはんと呼ばれる部署であった。

 特殊能力の文字から察せると思うが、俺が相手にしていた犯罪はただの犯罪ではない。


 この世界には、スキルという超能力を使うスキラーと呼ばれる人間が存在し、そんなスキラーが起こした犯罪をスキル犯罪と言う。

 このスキル犯罪こそが、俺が相手にしてきた犯罪だ。

 つまり俺は、スキル犯罪捜査の元エキスパートということである。

 その前提があれば、俺がこの状況で混乱しなかったことにも納得がいくだろう。


 そんなわけで俺が置かれた状況になんらかのスキルが関わっているのは間違いない。

 ではどんなスキルが関わっているのかというと、そこがスキル犯罪のやっかいなところである。


 十人十色、様々な人間がいるようにスキルもまた様々な能力があり、例えば、体から炎を出し、自在に操るスキルがある。これは視覚的に見て分かりやすいし、犯罪に使用されてもスキル犯罪として捜査がしやすい。

 だがスキルというのはそういった目に見えて分かりやすい超能力ばかりではないのだ。


 かつて実際にあったスキル犯罪の事例として、目線を合わせた相手を昏睡状態にするというスキルを使った事件があった。

 このスキル犯罪では主にスキルと被害者の因果関係の証明が捜査の大きな壁となった。


 簡単な話だ。

 毎年どれだけの人が昏睡状態になっているのか。

 そして昏睡状態の原因が病気とスキル、どちらなのか区別がつくのか。

 そもそもそんなスキルは存在するのか。

 といった感じに、答えを出すのが難しい問題が次々と出てきてしまうのだ。


 このスキル犯罪は結果的には、数多の偶然と奇跡により犯人を逮捕することができたのだが、証明が難しい、身体的、心的、超常的なスキルを使用したスキル犯罪の捜査は難航するのが常であった。


 おかげで警察は一見ただの空き巣事件でも実は何かしらのスキルが使用されているのではないかと考慮して捜査をせざるを得なくなり、実際にスキルを使って人の記憶を読み取り、暗証番号を盗み見ることで何件もの盗みを働いた空き巣事件という事例があったりしたほどだ。


 では、今回の俺の身に起きている事例はどうだろう。

 俺の経験則からすると、暗礁に乗り上げてもおかしくはないほどの特殊なスキルが関わっているのはまず間違いないと言える。


 しかし、スキルによって俺が殺害されたかというと、その可能性はないと断言できる。

 なぜ断言できるのかといえば、被害者である俺の死体を見ればその理由が分かる。

 俺の額には、死因となったであろう大きな傷口がある。額に傷があるということは、被害者である俺は犯人に真正面から殴られたことになる。


 そう。俺は、俺を殺した犯人をしっかりと目撃しているのだ。


「…………私が、あんな依頼をしなければこの方は」


 俺の死体を見ながら旭さんが嘆くがぶっちゃけた話、俺を殺した犯人はこの人である。

 スキルなど使用せず真正面から鈍器でゴツンだ。

 だから殺された俺からしてみたら旭さんの嘆きを見ても、なんと安い芝居をしているのだろうか、という感想しか出てこない。


 さて、ここまで説明すれば俺が直面した非常に困った事態について推測できたことだろう。

 この殺人事件、俺はどう証言し、どう解決に導けばいいのだろうか。

 扉越しに聞こえる奥山さんと警察官達の足音を耳に入れつつ、俺は悩ましい問題について考え、頭を痛めるのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る