第49話

 通信機から指示。

〔まず会社の裏手、海と面している側に回ってほしい。そこに狭いハシゴがあるはず〕

 言うとおり、三人は闇に紛れ、人通りも少ない裏手に回る。

 すると言うとおりハシゴがあった。

〔そのハシゴは換気ダクトにつながっている。以前、営繕管理の部署にいたことがあるから分かるんだ。そこから潜入する。狭いけど、頑張ってほしい〕

 坂巻が尋ねる。

〔換気ダクト……入口は空いているのですか、どこにつながっていますか?〕

〔入口は空いている。思いのほかさびていたので、取り外しているはず。……一本道のダクトを出ると、四階の物置部屋に出られる。そこは鍵もついていないので、人の気配に注意しながらなら、見つからないはず〕

 しばらくハシゴを登ると、これもまた話通り、ダクトがあった。

「これ狭いな。犬飼、綾島、気をつけてくれ」

 坂巻がダクトの穴を調べる。幸い、詰まったりするほど狭くはないようだ。

「ここから先は敵の建物の中だ、静かにいくぞ」

 彼は深く息をつき、人工的な暗い穴の中に身を入れた。


 闇を最小出力の灯火魔術で照らしつつ、ひたすら這ってゆく。

 中は定期的には掃除されているようだが、それでも外とつながっている穴だからなのか、多少の汚れがあった。

 綾島はあまり好まないだろうな、と坂巻は思ったが、考え直した。

 汚れまみれになりたくないのは、坂巻や犬飼も同じである。それに、そんなことを言っていられる状況ではない。

 ずいぶん経っただろうか。やがて灯火魔術ではない光が見えた。

 あそこか。

 坂巻は光のもとまでたどり着くと、索敵と警戒を維持しつつ、慎重に降りた。


 犬飼と綾島まで無事に降りてくるのを確認すると、彼は小声で話す。

「汚れを入念に払ってくれ。衣服に汚れがあると警戒もされるだろう」

「そうですわね。おっしゃる通りですわ」

「綾島は大丈夫だったか?」

 聞くと、意味が分かったようで、彼女は優雅に一礼する。

「この程度、なんでもありませんわ。真のレディは必要な時に必要なことをするのみです」

「レディだってさフフフ、コハッ!」

 綾島から軽い貫手が入った。

 そして通信機から音声。

〔この物置には監視カメラはない。部屋を出たらまっすぐ行くと、右手に非常階段がある。そこから十階まで登れる。そこで一回、空中庭園に出るはず。庭園の案内は着いてからさせてもらう〕

〔十一階からはまた別なんですか?〕

〔そう。十一階からは特別なフロアで、人も少なくなる。空中庭園に出れば、実質、社長室までもうすぐだ。そこに『根源』はある〕

 道なりに行くと、やがて非常灯のついた扉があり、その小窓から様子を見ると、先に非常階段らしきものを発見した。

「ここか。行こう」

 彼は気合を入れ直し、扉を開けた。


 長い階段を、不気味なほど何事もなく、ひたすら登る。

「坂巻」

「どうした犬飼」

「もうすぐ僕たちは、姉さんの病気の原因に手が届く」

 神妙な声色で彼は続ける。

「長かった。もう少しで、諦めかけていた姉さんの快復に到達できるんだと思うと、僕は感慨深いよ」

 綾島もいまは黙っている。

「俺だって、うみさんが色々な活動に復帰するのは喜ばしいぞ。まあ犬飼は肉親だからな、比較にならないのかもしれない」

「比較する気はないさ。ただ、なんかこう、とてもまぶしいものを見ている気分だよ」

 再び沈黙。

「坂巻、ありがとう。事務所を開いて、一緒に戦って、姉さんの快復を、半ば結果的にではあるけど共に果たせてよかった」

「……犬飼、まだ事は済んでなんかいないんだ。感慨を語るのは、『根源』を破壊してからでも遅くはない」

 未だ喜んで浮かれるべき時ではない。

 坂巻もこみ上げるものはあるが、それは全部終わってからのこととして、とりあえず冷静になるべきだ。

 まだ敵中である。

「そうだね。よし、最後に向けて頑張ろう」

 犬飼は自分に活を入れたようで、また黙って階段を登り続ける。


 しばらくして、空中庭園と思われる場所にたどり着いた。

「ふう」

 坂巻は少しにじみ始めた汗をぬぐう。

「坂巻、ここいらで少し休憩しないかい、ちょうどあそこに東屋がある」

「そうだな」

 彼は通信機に呼びかける。

〔万全の体調で終盤に臨むため、ここで小休止したいと思います。危険などはありますか?〕

〔ないはず。ここには監視カメラもないし、あまり目立たなければ大丈夫だと思う〕

〔ワイも同意するわ。警戒にはぴよちゃんを使ってくれたらええ。念のため分離して二羽で見張るで〕

 言うと、ぴよちゃんが空中でシャカシャカ変形分離し、二体のかなり小型のぴよちゃんになった。

「おお、すごい」

〔時間もまだある。ゆっくり態勢を整えるといいと思う〕

 言葉に甘えるまでもなく自らの判断で、彼は東屋の椅子に腰かけ、ぐっと伸びをした。


 しかし、しばしの休息も長くは続かなかった。

「敵の気配がするな」

 緊張。

 数拍置いて通信音声。

〔敵襲や、ぴよちゃんが敵影を発見したで、数は……五十ぐらいか!〕

 身構えると、武装した敵が続々と駆け付けてきた。

〔まだ増援も来るみたいや!〕

「不審者はお前らか!」

「男二人、女一人、高校生ぐらいの年恰好……班長、間違いありません!」

 聞くと、班長が何か機械を使って照合する。

「顔は九十八パーセント一致、同一人物と認定!」

 一方、坂巻たちは。

「まずいな、個々の強さはそれほどでもないけども、数が多すぎる」

「坂巻」

 犬飼が至って平静な声で語りかける。

「ここは僕と綾島に任せて、きみは「根源」に向かってほしい」

「犬飼、しかし」

「大丈夫。僕の切札を使えば、数はぐっと減らせる」

「切札?」

 坂巻が問うが、犬飼は首を振る。

「説明している時間はない、僕たちは大丈夫だ、行ってくれ!」

 坂巻の戦士としての感覚は、その提案を是としている。

 ならば、やるしかない。

「……すまない、先に行く!」

「よろしい! 僕たちも気合を入れるよ!」

「坂巻様、ご無事で!」

〔十一階への階段は、そう、そっちの花壇の先だ〕

〔いい判断やで坂巻はん。ぴよちゃんは片方を坂巻はんに、もう片方を犬飼はんたちにつけるで。仲間を信じて進め!〕

 こうして、ただ一人となった勇者は、遠くでいまも苦しんでいる姫の呪いを解くため、単身で魔王の居所へと向かう。


 犬飼が、警棒を持った那須私兵たちに向き直る。

「ちょうどいい。綾島、カメラの向こう側の皆さん、いまから僕がすることをよく見ていてください」

「犬っころ、いったい何を――」

 犬飼の周囲に魔力が展開される。

 否、魔力は漏れ出ているのだ。

「僕は一般的な戦いにはそれほど向いていない。まあここの兵士一人一人よりは上だけど、綾島、そしていうまでもなく坂巻よりは普通のぶつかり合いに弱いのは確かだ。……でも代わりに、僕には広域殲滅魔術の才能があってね」

 広域殲滅魔術。またの名を戦略攻撃魔術。主に軍事の文脈では後者が用いられる。

「ふうぅ……!」

 魔力の高まりが、異様な存在感となって空間を震わせる。

 周囲がわずかに歪む。

「なんだこれは……!」

 兵士たちが戸惑い、ざわめく。

「広域殲滅魔術って、そんな、世界最強よりすごいものを」

「範囲を広げれば、一発で首都圏全体ぐらいは吹き飛ばせる。今回はそれを、極限まで絞って、ちょうどこの空中庭園を覆うぐらいにするよ」

 ちりちりと、空気までもが恐れおののく。

「大丈夫、手加減はするから人は死なないし、綾島も除外目標で無傷で済む。まあ増援は後から来るかもしれないから、それは『普通』の僕と一緒に掃討しよう」

「犬飼……あなたは、そんなものを隠し持って」

 犬飼は、親友を恋い慕っている令嬢に向けて、冷たくも温かく言い放った。

「きみは今後も坂巻に寄り添っていればいい。本当に彼の窮地を、いつか救うのは、あなたではない――この僕だ」

 犬飼は、いくつかの音節で成り立つ短めの術、天に選ばれた闘士の証、その術式を高らかに唱えた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る