第36話

 坂巻たちが事務所でゴロゴロしていると、久しぶりに新たな仕事がやってきた。

「実は、僕に戦いを教えてほしいのです。自分で一騎討ちに勝たないと意味がないのです」

 その男、長尾は、勝負師に一騎討ち以外の仕事を望んでいるようだった。


 坂巻は聞き返す。

「戦いを教える? 一騎討ちなら、私が代行で挑んだほうが早くはないですか?」

「それが、代行をお願いしたら目的は果たせないのです。自分で勝たないといけないのです」

「ほう……?」

 首をかしげる坂巻だったが、そこで一つ思い出した。

 かつて作馬に教わったこと。

 ――一騎討ちには、ほとんどの人は代行を使う。私も代行で成り上がったクチだ。それが普通で、自ら一騎討ちを戦う人なんてのは稀だ。けれど、代行によらない戦いを背負う人というのも、まれにいる。

 自分が戦わなければ意味がないという事情を負った人だな。そういう人に無理に代行を勧めてはいけない。そういう事情を背負った人間も確かにいる。

 一騎討ちの、ある意味本来の形ってのは、本人同士の戦いだ。代行は理屈の上では、イレギュラーなんだよ。戦わなければ果たせない、つかみ取れないものがあるというなら、その思いを最も強く持っている本人が一騎討ちを挑むというのは、原始の形だ。

 そういう場合、代行は、出る幕がないか、あるいはせいぜい本人に魔力体術やら白兵魔術やら、戦い方を教えるにとどまる。お前も将来、そういう人に出会うことがあるかもしれないから、まあ、頭の片隅に入れておいてほしい。

 ……いま、目の前にいる長尾は、まさにその人であるようだった。

「詳しくお話を聞きましょう」

「ありがとうございます」

 彼は事情を話し始めた。


 長尾は二十六歳。村上という同年代の女性に想いを寄せている。

 彼女とはテニスをする社会人サークル「アラインメント」で知り合った。彼女は容姿端麗であり、誰に対しても優しく、まさに彼にとって理想となる女性だった。

 しかし、やはりというかこの恋にはライバルがいた。

 武田という、同じサークルの男であった。彼はテニスが非常に上手く、また整った容姿をしていることからサークルの女性陣にかなり人気らしい。

 長尾が日々悶々としていると、ある日、武田は一騎討ちを持ち掛けてきた。

 村上へ告白する権利を懸けた勝負である。

 彼からの条件によれば、長尾も武田も、代行を用いず、本人が「正々堂々と」挑むことが必要であるという。また、立会人は二人の想い人である村上に務めてもらうという。

 武田は勝負師としてもそれなりの腕を持つ人間らしい。一方、長尾は一応魔力回路を開き、魔力体術も操れるものの、おそらくは武田よりは格下。

 だが、この勝負、長尾にとって負けるわけにはいかない。

 そこで彼は自力で坂巻事務所を発見し、こうして相談に及んだ。


 恋の戦いというわけである。

「いくつか確認させていただきたいことがあります」

 坂巻は冷静に話をする。

「長尾さんと武田さんの一騎討ちの話、現段階で村上さんは了知していらっしゃるのですか、いやまあ立会人になるとのことですから、最終的には村上さんの知るところにはなるでしょうけれども」

「現時点で彼女も知っています。勝負の話の際に彼女も同席して話を聞いていました」

「彼女は一騎討ちを止めなかったのですか?」

「特に止めませんでした。というかほぼ無言でした」

 悪女か?

 坂巻は思った。

 自分を争奪する一騎討ちについて、事情を知りながら、ことさら止めることもなく、恋のさや当てを楽しんでいるようにも思える。

 だが、これだけでそう決めるわけにもいくまい。

 彼は気を取り直した。

「武田さんが提示した条件を詳しくお願いします」

「村上さんに告白する権利です。それを受けるか断るかは、彼女の自由にゆだねられています」

「まあ……そうでしょうね」

 長尾と武田の一騎討ちなら、村上に対してなんらかの強制力を及ぼすことは、原則としてできない。同意があれば別だが、今回はそういったものではなさそうだ。

「武田さんの勝負師としての力はどのぐらいですか?」

「それが、よく分かりません。指標になるような記録も、僕は分かりません」

「むむむ。彼の実戦経験のほどもご存知ではない……?」

「はい。情報が足りなくて申し訳ありません」

「いえ、謝られるには及びません」

 長尾が謝るべきではない。しかし、情報が圧倒的に乏しい。

 坂巻事務所が行うべきは、長尾の鍛錬とともに、武田を様子見し、また村上に本心を聞きに行くことだろう。

 分からないことだらけだが、とりあえず方針は見定まった。

「とりあえず鍛錬をしましょう。私が指導します」

 坂巻にとっても、誰かに技術を伝授することは初めての試みだったが、かといって依頼を断るという選択肢はない。

 彼は「しばらくは私が師匠です」と手を差し出し、固く握手をした。


 河川敷。鍛錬にはうってつけの場所。

 坂巻は長尾と血沸き肉躍る組手を……しなかった。

 まだその段階にないと判断したからだ。

「全身の魔力回路を、丹念に『感じて』ください。静かにで構いません」

「スゥ……ハァ……」

 わずかずつながら、長尾の魔力回路に魔力が満ちていくのを、坂巻も感じ取っていた。

「その調子です。次は、その魔力回路の魔力量を増やしたり減らしたりしましょう。呼吸をするように、膨張させたり絞ったりという感覚です」

 言いながら、坂巻はかつて作馬の導きで同様の訓練をしたのを思い出していた。

 勝負師にとって、全ての基礎となる訓練だと、彼は言っていた。

 長尾の魔力が、回路において増減を繰り返す。

 実際のところ、格闘の技術を磨くのも必要ではあるが、魔力回路の操作、感覚への馴染ませのほうが、魔力を用いた戦いにおいては重要だと作馬は言っていた。

 全ての基礎となる要素だって言ってたかな。

 坂巻はもういない師匠の姿を思い描いた。

 その姿を振り払い、彼は目の前の依頼者を見る。

「その調子です。いい感じですね。……今後、空き時間ができたらこれを繰り返してください。場所はどこでも構いません。落ち着いて、冷静に回路を訓練してください」

 はい、と長尾は答えた。


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