第31話
勝負が決まるのは、まさに一瞬だった。
だが、決してまぐれで決まったのではないことは、観衆全員が分かっていたことだった。
「大丈夫ですか?」
坂巻が手を差し伸べるが、彼女は自力で立ち上がる。
「心配ない。あたしは大丈夫」
最初の位置に戻って一礼すると、それぞれの仲間たちが駆け寄る。
「坂巻、よくやったね」
「犬飼。まあやるときはやるさ」
「坂巻はん、いい勝負が撮れましたで」
「それはよかった。簡単なインタビューでもしますか?」
倉に水を向ける。
「今回は月川はんに取材させてもらいます。あんはんは、そうやな、後で改めてやな、改めて。しかしいい試合を見せてもらいましたで。おおきに、おおきに」
何か企んでいそうな倉だったが、坂巻は気にしない。
「それで安芸山先生、日野下部長、条件のほうはぜひ」
「もちろん。何かあったら一騎討ち部として協力させてもらう」
「部長としても、これほどの試合を見せてもらったからには、協力せざるをえないね」
両方ともごねずに納得した。
「まあそれはそれとして、坂巻くん、暇があったらいつでもうちに来ていいからね」
「私は仕事をしなければなりませんので、なかなかそうは」
「まあまあ。うちの部員に何か教えるだけでもいいからさ」
ちゃっかり者の部長である。
だが、いずれにしても校内の戦力とつながりができたのは確かだ。
大事にしていこう。
彼は彼なりに今後の活動を思い描いた。
勝負を終えた一行は、ほどなくして坂巻事務所に到着し、入口に営業中の札を掲げた。
とはいえすぐに人が殺到するような商売でもない。
「さて、ゴロゴロしますわね」
綾島がすぐに和室で畳に寝そべる。
「ひどいご令嬢だね。もうゴロゴロするのか……」
「犬っころはなにかしますの?」
悪役令嬢――もうこの二つ名で呼ばれることも減ってきた――が聞くと、犬飼は答える。
「ちょっと収入の資料を見たくて」
「それなら二番目の棚にありますわ。ご自由にご覧になって」
寝そべったままの彼女が言うと、犬飼は「おお、ここだ」などと手に取る。
そこへ坂巻が話を切り出す。
「ところで、ちょっと考えたんだけども」
「なんですの?」
振り向く二人。
「今後の事務所の形態について、ちょっと話を聞きたくて」
彼は話し始める。
いわく。いまの自分たちの仕事のあり方では、正直な話、事務所という「箱」は不要なのではないか。
以前から彼は思っていたが、業務に関してはもっとスリム化する余地がある。
例えば現状、事務所が締まっているときの電話やメールは、転送設定で坂巻の個人スマホで受けるようにしている。ということは、そもそも事務所の電話は、その気になればいつでも坂巻のスマホに一本化し、撤去することができるということではないか。彼のプライベートと仕事を分けるとしても、業務用スマホを追加契約すれば済む話である。
メールアドレスは業務用ということで、それ自体は維持すべきである。しかしこれも坂巻のスマホから閲覧することができるし、彼の個人用パソコンでも工夫すればチェックできるだろう。とすると、事務所のパソコンからわざわざ見る必要性は薄いのではないか。スケジュールほかの管理機能に関しても同様、基本的にスタッフ全員のクラウド共有で足りる。
郵便物はバーチャルオフィスを利用すれば転送が可能で、仮に事務所の「ハコ」を残すとしても、定期的に事務所の郵便箱を見に来ることで回収できる。そもそも坂巻の自宅に住所地、というか郵便宛先を設定してもほぼ支障はないし、さらには郵便物自体、現状ではそんなに来ない。
依頼者との打ち合わせ等は、事務所の箱で行う必要がありそうにも思えるが、これも依頼者からの予約を受け、バーチャルオフィスの会談スペースや各所の貸し会議室等を逐次借りて対応できる。ペロチュッチュ倉原口との日程調整についても、事務所をことさらに使う必要はないはず。
事務所を撤収する場合、犬飼と綾島はテレワークということになるが、話し合いが必要であればビデオ会議や、書類をデータ化してクラウド共有するなど方法はある。
強いていえば紙媒体の書類の管理はどうしても必要になるが、これも坂巻か、経理である綾島の自宅にそのスペースを作って管理することは充分に可能と思われる。
「六条門から事務所の土地建物を、貸借とはいえ無償で融通してもらったのは確かに感謝しなければならない。おそらく綾島も関わっているだろうから、お礼は言うよ、ありがとう。……だけど工夫次第でどうにでもできることもまた事実」
彼は、土地建物の間接的な貸主である綾島を尊重しながらも、言うべきことを言う。
「というわけで、事務所の撤収を話し合いたい」
彼が問いかけると、静寂。
「理屈は確かにその通りだけど、考えたことはなかったなあ」
犬飼は頭をかきつつ。
「そう、理屈は確かにその通りですわ。だけど……」
「だけど?」
「ここから先は、感情論と言われそうですけれども」
おずおずと彼女は口を開く。
「スタッフが直接集まって、対面することでしか分からないものというのがあると、わたくしは思いますの」
「ほう」
「こう、絆というか連帯、結びつきというものは、組織の形を保つために必要ではないかと思いますわ」
彼女はなおも、言葉を選ぶように。
「正直に言うと、顔を合わせないで、多くもない業務に携わるのは、さびしい、ですわ」
ちらりと彼女は坂巻の顔を見る。
「わたくしは毎日、坂巻様と会いたい、ついでに犬と賑やかにしていたいですわ」
「むむむ」
まっすぐな、それでいて正直な一言。
それを理解できないほど、坂巻は愚かではなかった。
「僕も同意だよ。坂巻の提案のうち、諸々のクラウドシステムの利用については、確かに坂巻とか僕たちが家でも確認できるように強化してもいいと思うし、ビデオ会議とか電話のうんぬんも、まあ環境整備しても損はないと思う。だけどせっかく箱はあるんだし、資料置き場、郵便、依頼人との話し合いとかに関しては、ここを使うのがむしろ色々便利で良いと僕は考えるけどなあ」
犬飼もいくつかについて付け足す。
「事務所でする業務量は、確かに見直しで結果的には減らせるけど、まあ、たまり場も必要なんだよ、僕らはせっかく高校生なんだからさ」
「まあ……士気にかかわるなら無理にはしないけども」
坂巻とて、どうしても自分の意見にこだわりたいわけではなかった。
「決まりですわね。この事務所は残しつつ、通勤もして、一方で業務構造の見直しはするということで。坂巻様、いきなりそんなことをおっしゃるから、わたくし嫌われたのかと思いました」
「そんなことはない。綾島を嫌うなんてありえない」
綾島は一瞬だけ虚を突かれたかのような表情をした後。
「フヒヒヒ……」
恒例の緩みきった笑みを浮かべた。
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