第25話
このウェオンモールには映画館もある。
「映画か。普段はスマホとかパソコンで観るけど、こういう映画館もよさそうだ」
「全くもって同感ですわ。あなたと一緒に見る映画は、なんでも面白いと思いますわ」
照れ照れしながら、綾島は答える。
「そう言ってもらえてうれしい。で、何を観る?」
「……それがわたくし、映画にはあまり詳しくなくて」
ラブコメのライトノベルなら、綾島はきっと「これですの!」と言いながら、サメ映画やらB級ホラーやら、ニッチな映画を勧めるのだろう。
だが、残念ながら綾島は見てのとおり、映画にはあまり詳しくない様子。
「困った。俺もあまり詳しくはないな……」
とはいえ、話題作ぐらいなら坂巻も知っているし、きっと綾島も知っているだろう。
「あ、これ、最近話題の映画だな。『バッカニア・オブ・パシフィック』」
一言でいえば海賊の映画。主人公が広大な海で宝物を求めて冒険するというものだったはずだ。坂巻の記憶によると。
「わたくしも話には聞いております。面白そうですわね」
綾島も乗り気のようだ。
もし彼女が本物の、というかお嬢様らしい生活しか知らないお嬢様だったら、もしかしたらこの映画の存在自体知らなかっただろう。
彼女は日常の感覚においては、おそらくほぼ「庶民」と変わらないと思ってよいだろう。
それは坂巻にとっても大いに救いだった。
ともあれ。
「観るか?」
「ぜひ!」
彼女は満面の笑みで答えた。
約二時間後、坂巻は綾島とともに映画館から出てきた。
「いい感じの映画だったな」
坂巻はエンディングの余韻を噛み締める。
「でもわたくし、最後でセリアがエドウィンを見捨ててパシフィックの至宝を取りに向かったのが、少しだけ引っ掛かりましたわ」
セリアはひょんなことから冒険に巻き込まれたヒロイン、エドウィンは主人公の海賊である。
「そうか?」
「そうですわ。わたくしだったら、宝物なんかほっといてエドウィンを選んだと思いますわ。だって……恋のお相手は、どんな宝物よりも大事な人ですもの……」
彼女は少しだけ顔を赤らめる。
「……それは逆じゃないか」
しかし坂巻は、反論せずにはいられなかった。
それは、彼が人の思いというものに少しばかり敏感だったからかもしれない。師と友人の姉が、まさしくそれを掲げていたからかもしれない。
「エドウィンがセリアに託したものは、至宝を必ず手に入れるという野心であり願いだった」
――セリアがエドウィンを大事に思うなら、彼の代わりに、というより彼の悲願を継いで、至宝を目指してそれをつかみ取るのは、ごく自然なことだ。
そのように彼には思えた。
「俺は、人も大切にしたいけれども、その信念も大切に扱いたいと思っている」
語りながら坂巻は、しかし悲願を持たない人にとっては、綾島のような考えに至るのが普通であるに違いない、と肌では感じていた。
坂巻や作馬、犬飼海妃のような人間は、きっと少数派なのだろう。犬飼康比斗や綾島、ほか多くの人が至宝より想い人を取るというなら、おそらくは坂巻たちがズレているのだろう。
だが、それでいい。
信念に命を懸ける者ばかりが世にあふれてしまえば、結果的に争いやいさかいは増え、師匠たる作馬が望んだ不戦の理想は、いくぶん遠ざかっていたはずだ。
崇高な信念は、ときに流血を呼ぶ。それは人類の歴史をみれば、ゴロゴロと例が転がっている。
正義は不戦からは遠い。正反対ではないかもしれないが、いずれにしろ衝突しうる理念ではあるといえよう。
……綾島は坂巻の反論に失望したか?
「なるほど。もしあなたが信念に生きるというなら、わたくしはできる範囲で、坂巻様を適度にお守りしつつ、ともにその信念を共有したいと思いますわ」
失望など全くしていなかった。中庸の徳を、理想と現実の均衡を、守るという選択肢を採った。
そして、坂巻も綾島が中庸を守るという点においては、別段異議を発する気にはなれなかった。
「ありがとう」
ただ感謝した。
「ふふ、どういたしまして。わたくしは坂巻様がどの道を選ぼうとも、適度に尊重しつつ、全力でその命をお守りしたいと思いますわ」
彼女は彼の手を優しく握った。
信念だけでは腹が減る。
二人は、夕飯時というのもあり、フードコートへ足を向けた。
「綾島の口に合えばいいけども……」
食事が庶民的すぎることを心配する坂巻だったが、綾島は事もなげに。
「わたくし、たまにこのフードコートでご飯をいただいていますわ」
「えっマジ?」
意外すぎる事実。
「このウェオン・フードコートはかなり夜遅くまで営業していますし、ウェオンモールの外から直通の入口がありますから、事務所の帰り道によくいただいておりますわ」
「……家で飯を食うんじゃないのか?」
「両親と食事時が別になりますから、家政婦さんの手間になりますの。以前お話しした経理の勉強、あれが――」
綾島は日によって経理等の個人指導を受けるため、夕食に間に合わないことがある。そこでそういうときはフードコートで夕食をいただいているという。
倹約家の両親も、家政婦は雇っているらしい。
まあ無理もない。綾島家は総帥の父親だけでなく、母親も一線でバリバリ仕事をしていると坂巻は聞いたことがある。誰か家事担当が必要になるのは必然であろう。仕事と高校の勉強の両方をこなし、さらには高度な簿記や法務といった特別な勉強もしている娘に家事を一任するのも、おそらくは大いに負担がかかる。
「……なるほど」
とりあえず坂巻は納得した。
「ということは、まだ早いこの時間のフードコートは初めてか」
「ええ。坂巻様は?」
「俺も、そもそもこのフードコートはまだ来たことがなかった。事務所帰りにはここの近くの弁当屋で飯を買っていたからな」
「へえ、わたくしにも今度、そのお弁当屋さんを紹介してくださいまし」
「いいけど……」
なぜ、という疑問はすぐに消えた。食事のバリエーションは少ないよりは多いほうがいい。
もっとも綾島は、恋焦がれる微熱のような理由で返答をしたのだが、それを坂巻は知る由もない。
「さて、何を食うかな。……ここ、メニュー多いな!」
坂巻は、びっしりと並ぶメニュー看板に思わず目を丸くした。
彼のひいきの弁当屋を、レパートリーで覆い尽くすような勢いである。
「そうなのです。このフードコート、メニューがすごく多くて、主な料理は一通り押さえられていますの」
まるで自分のことのように、彼女は胸を張る。
坂巻は一瞬だけ見た。普段はあまり主張しない彼女の大きな胸が、このときはたわわにその存在を主張するのを。
彼はすぐに目をそらし、メニューを眺める。
「ええと、カレーもラーメンもあるし、うどんやそば、外国の米料理、肉、海鮮丼、ハンバーガー、ケバブまで……ああパスタもあるな」
迷う坂巻。
しかし正解はただ一つと思われた。
「綾島のお勧めは何かな。それならハズレはありえないだろう」
「エヘ、そうきましたの?」
彼女は喜色満面であった。
「私のお勧めは、カルボナーラですの。平打ち麺がすごくソースに合っておりますわ」
「なるほど、いいね、それにしよう。綾島も選ぶといいよ」
「わたくしは……」
彼女もメニューの看板を見回した。
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