第24話

 しばらくして、ウェオンモールのオフィス用品店にたどり着いた。

「さて、二人で買い出しにってことは、結構な量なんだな。一緒に回ろう」

「買う物はそんなに多くありませんわ。坂巻様は外で休憩でもなさっていてくださいまし」

「えっ」

「えっ」

 顔を見合わせる二人。

「……あっ、ああ、そういえば結構な量ですわね。荷物持ちのようで恐縮ですけど、一緒に回りましょう」

「えっ、量が増えたり減ったり、いったい何を買うんだ?」

「それは、その」

 モジモジ。

「事務所の消耗品を買うってことは、メモか何かがあるのか、見せてくれないか」

「えっと、あの」

 綾島の目は泳ぎ、ほほはわずかに紅潮している。

「どうした。いやマジでどうした」

「……パパッと済ませますわ。買う物は、そう、わたくしの頭の中にメモがありますので」

「おお、頼もしいな、じゃあ俺が荷物を持つよ」

 綾島は終始狼狽していた。


 消耗品の買い物はすぐに終わった。

「これだけか、あまり多くないな」

「……坂巻くん、よくお聞きになって」

 か細い声で彼を呼び止める彼女。

 犬飼を責めるときとは、まるで別人のようだ。

「今日のわたくしの買い物は……」

「買い物は?」

「坂巻くんと一緒にお出かけするための……方便、そう、方便でした」

 彼女の声は上ずり、目は彼を直視しない。しない、ではなく、できないのか。

「本当は、坂巻くんと二人きりで、色々、きれいな服を買ったり、一緒にフードコートでパフェでも食べたり、とか、そういうことをしたかったのです」

 彼女は振り絞るように語る。

「事務所の活動の時間を使ったのは、確かに悪いことですわ。犬飼に留守番をさせて、同じ事務員であるはずのわたくしは、遊びのために、本来労働に充てるべき時間を使うとすれば、責められて当然というものです」

 坂巻はひたすら黙って傾聴する。

「でも、それでもわたくしは、あなたと一緒の時間を過ごしたかった。罪深い女です」

 彼女は一言一句をかみしめるように。

「もし坂巻くんにひとさじの優しいお心があるなら、どうかわたくしのお願いを叶えてください。わたくしはずっと、ずっと……」

 沈黙。

 ショッピングモールの喧騒が、まるで遠い潮騒のごとく。

 長く短いこの時に、邪魔者はどこにもいない。

 やがて、坂巻は答えた。

「分かった。今日はオフだ。高校生らしく、一緒にこのモールで気晴らしでもしよう」

「坂巻くん……ありがとう」

 だけど、と彼は付け足す。

「犬飼に一応お伺いを立てよう。彼は留守番だからな。もし犬飼が不服なら、そうだな、あいつもオフにして帰らせよう。幸い、こないだ電話を俺のスマホに転送する設定を、いつでも切り替えられるようにしたし、メールも俺のスマホから読める。連絡のたぐいは、事務所の建物にいなくてもできるようにしてある」

 そもそも、限りなく個人、フリーランスに近い自営業なので、それは当然と言えば当然だった。

 今後、テレワークの環境を整備してもいいかもしれない、と彼は思う。

 ともあれ。

「犬飼もいいってさ。あいつ、引き続き留守番をするらしい。真面目だな」

「よかった……!」

 綾島の表情は明るくなり、花の咲いたような笑顔を向ける。

「じゃあ行こうか。俺も女子と遊ぶ経験は少ないけどな」

「わたくしも男子とお出かけした経験はないですけど、でも、一緒に行くところは決めていますわ!」

 参りましょう!

 彼は彼女に手を引かれてついていく。

 少し照れ臭かった。


 服飾店に二人で入る。

「エヘヘ、やっぱり定番といえばファッション店ですわ」

 傍目にも分かるほど、綾島は浮かれている。

 しかし、それでもよいと坂巻は思った。

 男性なら誰だって、隣にいる女の子が楽しそうにしていれば、悪い気はしない。

「坂巻様、どれがわたくしに似合うと思います?」

「そうだな……」

 彼は彼女の服を選びながら、考える。

 財閥令嬢。本来なら、自分で服を選ばずとも、お付きの者やコーディネーターが最適な服を選んでくれる身分。

 しかし綾島は、どうやら自分で服を買いに来ることには慣れている様子。

 まあ、これも両親の教育方針とやらなのだろう。

 浮世離れしたリッチな生活を送らせない。

 それが、両親が倹約家であることの方便なのかどうかまでは分からない。

 されど、その教育方針はきっと悪くないのだろう。

 もしこのお嬢様がお嬢様らしい生活に適応していたら、今回のように男子と一緒に街へ繰り出すこともなかっただろうし、服飾店で服を自分や坂巻が選ぶこともなかっただろう。

 ……本当に、なぜお嬢様言葉を身につけたのか謎である。社交のためというのも、坂巻からみては違う気がする。最近の「一般的なお嬢様」が、お嬢様言葉を使うようには思えなかったのだ。

 謎といえば、綾島が勝負師として「治安活動」をすることを両親が許したこと、仮に許してはいなかったとしても黙認していたこともよくわからない。

 大衆的な暮らしというより、もはや戦いに飢えた女である。

 その戦いに飢えた綾島が、坂巻事務所でいまのところ大人しくしているのは、坂巻にとって、というより大衆にとって、幸運といえば幸運だろう。

「この服なんかどうだ?」

 彼はシンプルでかつゆるふわ系の服を示した。

 あの悪役令嬢にゆるふわ系である。

「綾島、黙っていると可愛いから、ふわっとした服が似合うかと思って」

 坂巻は女性のファッションに詳しくない。だから、例えばこういった服を正しくはなんと呼ぶのかも知らない。

 ただ、これを勧めると喜ぶのではないかという直感が働いた。

 客観的に似合うかどうかではなく、勧められた綾島が喜ぶという話である。

 そして。

「ふふ、坂巻様はこれがわたくしに似合うと思うのですね」

「ああ。似合うと思うぞ」

「へえ……ふーん……これが似合うんですの、フヒヒ」

 案の定、大喜びだった。

「買いましょう」

 そして即決。

「待て、試着ぐらいしようか」

「エッヘッヘ」

 彼女は顔を大いに崩しながら、試着室へと向かった。


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