第8話

 その後、問題なく契約は締結され、双方ともに契約書を交わして、その場はお開きとなった。

 しかし、事務所に帰ったところで唐突に犬飼が口を開く。

「坂巻。前から気になっていたことだけど」

「どうした」

 少し改まったような様子の彼に、坂巻は問う。

「どうか真面目に聞いてほしい」

「おう」

「坂巻の目指すものは一騎討ちの廃絶。そのために、矛盾するようだけど発言力を高めるべく、一騎討ち代行業を始めた」

「そうだな」

「そして、その矛盾に巻き込まれるのは僕らだけではない」

 犬飼は彼の目を見る。

「まあ他の勝負師にも、職を失う人が少なからず出るな」

「その通り」

 勝負師の職業は、なにも一騎討ち代行だけではない。

 軍人、自衛官、傭兵、警備員、警察。他にもあるが、ともかく特殊なコースと待遇で勝負師を集めている職業もある。

 だが、それでも、やはり勝負師は一騎討ち代行業に多く分布している。坂巻の宿願が叶えば、同時に多くの勝負師が、少なくとも転職や業態変更を余儀なくされる。

「君の、というか僕らの理想は想像以上に多くの人を巻き込む。同業者の多数は、僕たちの理想を達成すれば、不幸にもなる」

「……そうだな」

「乱暴な物言いなのはごめん。だけど坂巻は盛んに業界の狭さとか、倉さんの業界への貢献とか、口にしているからさ。最終的には僕たちは、一騎討ち代行の業界を潰す側になることを忘れてはいけない」

 犬飼の声は真剣そのものだった。

「俺は、理想の達成までは長い道のりだから、それまで当分は業界のことを考えなければならないと思っていた。けども確かに犬飼の言うとおりだな。最後には業界を潰す側になる」

「その通り。プロ意識と業界帰属精神は、普通はいいことだけども、僕たちの目標からみると過剰に持ってはいけないものだよ」

「微妙な位置だな。ともあれ言動と信念と、その他もろもろのあり方には気をつけるよ」

「分かっていればいいよ。少しでいいから、常に頭の中に入れておいてほしい」

「分かった」

 横で綾島が「とりあえず坂巻様は六条門グループに永久就職すればいいと思いますわ」などと、脈絡を無視した寝言をほざいていた。


 それから少しして、とうとう事務所の扉の鈴がチリチリと鳴った。

「お?」

「いらっしゃいませ!」

 綾島が反射的に挨拶をする。

 見た目は老紳士のようだ。

「倉さんからの紹介で来た。勝負師の坂巻事務所はここかね」

「はい。こちらです。私が坂巻です」

 坂巻が答える。

「急ですまんが、一騎討ち代行をお願いしたい」

「はい。ひとまずお話をうかがいたいので。そちらにおかけになってください」

 坂巻は衝立の後ろの相談スペースを指した。

 しかし老紳士はしかめ面。

「話を聞く? 一騎討ち代行は戦いだけすればいいのではないかね。金ならある」

 事務所の三人は悟った。これは厄介なお客ではないかと。

「戦いを避けられるなら交渉で済みますし、何か戦いのヒントが隠れている可能性もあります。ひとまずお話をお聞かせ願えれば、悪いようには致しませんので……」

「だけどもこっちは一騎討ち代行と聞いて来ているんだ。戦ってくれんのか」

「全てはまず事情をうかがうところからです。そうすれば戦うにしても戦わないにしても、いくぶん滑らかに事が進みますので」

 実際、老紳士の言うことにも一理ないわけではないが、一騎討ち代行は詳しく事情を聞くのが、半ば業界の常識となっていた。

「む……仕方がない、話すとするか」

 彼は相談スペースのソファにどっかと座った。


 事情は老紳士、尼子の自業自得――では決してなく、むしろ同情に値するものであった。

 尼子は資産家。六条門財閥などには遠く及ばないが、一般人よりははるかに資産を築いている人間である。

 ある日、彼のいくつかの資産を妬む、小金持ち界隈のトラブルメーカーが、彼に専属勝負師がいないことについて目をつけて、無理矢理一騎討ちを申し込んだ。

 条件は彼の希少な愛犬、ほか際立って貴重な資産の譲渡である。貴重といっても、単に高価なものという意味ではなく、いわゆるプライスレスな貴重さを含むものだった。金で済むものならまだいいが、そうではないし、相手も本心ではおそらくそんなに欲しいと思っていないあたり悪質である。

 しかも申し込み方も悪い。煽り、挑発、というか偽計を手段としている。

 彼の根も葉もない悪評を流そうとしたり、息子と仲違いさせようとしたり、ありもしない罪を地元紙に売って界隈から追い出そうとしたりしたようだ。

 とにかく、尼子から聞く限り、事情は同情に値するものだった。

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