第5話

 とある空き地に案内された坂巻は、勝負師の指輪を指にはめる。

 彼がこの世界に足を踏み入れてから、一度も砕けたことのないものである。

「戦いは好きではない。けど、必要な戦いから逃げるほど臆病でもない」

 彼の眼は、しかと敵を見すえた。

「俺は理想のために戦うと決めた。師匠とうみさんのため。無駄な戦いは今後もしないつもりだけど、必要な戦いからは決して逃げない」

「坂巻様、さっきから気になっていたのですけれど」

 綾島は指輪をはめながら小首をかしげる。

「うみさんって誰ですの? 調べた限り、坂巻様に恋人はいないはずなのですけれど」

「そんなことまで調べるとかストーカ」

「犬飼ィ!」

「ホントのことじゃないか!」

 犬飼は若干泣き顔である。

「せっかくだから答えよう。そこにいる犬飼の姉、犬飼海妃さんのことだ。よく分からないけど原因不明の難病を患っている。元気な時は一騎討ち廃絶のために動いていたんだけども」

「へえ」

「ちょっと昔は師匠……作馬さんというんだけど、その人と並んで、一騎討ち廃絶派の若き中心人物だったんだけどなあ。だから俺は、作馬さんとうみさんの思いを背負って、廃絶のために戦うつもりだ」

「へえ。それは恋愛感情ですの?」

 綾島が濁った表情をした気がした。

 横でなぜか犬飼がおびえていたが、坂巻は気に留めなかった。

「違うな。あまりに立派で、病気のために理想を断念したのが不憫すぎて、恋愛感情を向けるような相手じゃない。俺はうみさんから戦いを教わったわけじゃないけど、作馬さんと並ぶ存在だから、まあ言うなれば第二の師匠かな」

「それはよかったですわ」

「よくはないだろ。いまもうみさんは重病と戦っている。生きているうちに理想の達成された世界を見せないといけない」

「そこまで……やはりよくなかったですわね」

「その通り。タイムリミットがあるんだ。いつまでなのかは見えないけど」

 微妙にかみ合っていない会話。

 しかしなんやかや、一騎討ちの準備は整った。

「始めようか」

「合図は犬飼で構いませんわよ」

「分かったよ。……三、二、一、始め!」

 理想へ向かうための第一歩が始まった。


 坂巻のたぐいまれな実力により、一瞬で勝負は決する……わけでもなかった。

 彼は、目の前の悪役令嬢がかなりの腕利きであることを感じ取っていた。

 かの「治安活動」に携わっているその力量は、確かに飾りではない。うかつに飛び込めば、さすがにそれだけで坂巻が反撃を食らって負けることはないが、長期戦に持ち込まれるであろうことは容易に予想がついた。

 やるべきことは奇襲であろう。機会はおそらく一度きり。彼はそう直感した。

 奇襲。この場合の奇襲とは、すなわち魔術。通常は戦闘には用いられないことを、彼は考える。

 先に述べた通り、魔術は詠唱があるため、戦闘では隙を生むことからあまり好んでは使われないものである。

 しかしごく少数の素質ある魔術師は、詠唱の大部分を省略して使うことができる。これを詠唱省略といい、それができる魔術師は「白兵魔術師」として、至近距離でもその魔術を撃ち放ち、もって魔術を戦闘に組み込む。

 そして坂巻は素質のある白兵魔術師である。

 綾島の、わずかに気が緩む一瞬。雑念が少しだけ入り込む刹那の弛緩を見逃さなかった。

【zelt】

 坂巻はその短い文言を素早く詠唱し、自らの魔力を引き出した。

「……これは!」

 術式を通して、圧縮され物理的な破壊力を帯びた魔力の弾が、綾島の身体をえぐった。

「かはっ……!」

 彼女の勝負師の指輪が砕け散った。


 綾島の体調が落ち着くのを待って、三人は約束の確認をした。

「さて、約束通り一人のスタッフとして、綾島には協力してもらうよ」

「坂巻様、これでもまだわたくしは過小評価をしていたとは……坂巻様に関する一騎討ちの噂を集めて、白兵魔術の対策も立てておりましたのに」

 相手が白兵魔術を使える場合、その事前調査をして対策を練ることが、この業界の定石である。そうでないと白兵魔術には対応できない。

 だが、それでも勝てるとは限らない。勝負における不条理ともいえる。

「俺の場合、事前に調べられて対策を研究されていても、やり方次第で勝てるみたいだな。実力差で大概の相手は押し流せるんだってさ。昔、師匠がそんなことを言っていた」

 実際、ごく一部の強力な白兵魔術師には、事前調査をしていても相手側が追いつかない場合があるという。現にそれなりの力量がある綾島でさえ、坂巻に対策をしきれなかった。

 しかし、綾島はあることを問うた。

「お師匠様が言っておられたって、まるでご自身ではピンときていないかのような物言いですわね、坂巻様」

「目の前に相手がいれば、実力の具合を見てそう予想することはできる。だけど『全体における俺の立ち位置』が昔からよく分からないんだ。なぜか知らないけれど」

「認識阻害……? まあいいですわ」

 話を切り替えようとしたが、犬飼が疑問を差し挟む。

「あの、坂巻の調査をしていたって、一騎討ちが決まったのはついさっきだよね、まさか日頃から調べて、それなんてスト」

「犬飼ィ!」

「うぅ……僕、間違ったこと言ってないよね?」

 犬飼が縮こまる。

「まあスト……もとい坂巻に熱烈な親愛の情を示すスタッフが加わったのは大きいよ。おまけに事務としてかなり頼れるし、勝負師としても普通の相手には負けない実力だ、話を聞く限りでは」

「六条門財閥の一員として、必要であればコネクションやお金も融通しますわ。とはいっても、わたくしの家族はみな倹約家で、それほど非公式に多額のお金は出せないみたいですし、わたくし自身も自由に使えるお金はそれほど多くないですけど」

「しっかりしたご家庭で役に立たないね」

「うるせえ。……ところで戦いに関しては、わたくし争いごとはあまり好きではありませんわ。か弱い乙女ですので。坂巻様、どうか非力なわたくしをお守りくださいまし」

「もうツッコまないよ」

「俺だって戦いはあまり好きじゃない。でも、理想のため、師匠と世話になった人のため、戦わなければならない」

 変なところで坂巻のスイッチが入った。

「そうでしたわね。わたくしも真面目に坂巻様を粉骨砕身の思いで補助しますわ」

「ストーカ……ああもういいや、好きにして。僕も姉のために頑張るよ」

 ひたすらあきれるような犬飼をよそに、坂巻の事業はようやく船出となった。


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