第84話 重い十字架

 僕はそのおもちゃに触れてみる。


「これ………僕はこのおもちゃで遊んだ事ありますよね………」


「そうよ、それは星七が好きだったおもちゃよ………」後ろから声が聞こえる。


 僕はそのおもちゃをしばらく触ってみた、心の中に懐かしさが溢れてくる。僕は後ろを振り向いた、琴音さんがベッドに座りポツンと佇んでいる。ベッドには天蓋が付いている。それを見た瞬間僕の脳の中には、まるで映像の早送りのような動画が再生される。僕はベッドに吸い寄せられるようにフラフラと歩いて琴音さんの前にきた。そして琴音さんへ抱きついた。


「僕は………僕は………良い子でいたよ………頑張って良い子で待ってたよ………」


「ごめんね星七………迎えに行くのが遅くなって………」


「お姉ちゃん………」僕の涙腺は完全に崩壊した。


「う………う………うわ〜………」僕は琴音さんの胸で泣き続けた。


 どれくらい泣いていたんだろう、僕は琴音さんに抱きしめられたまま、時間が過ぎるのを容認した。泣き止んだ僕を琴音さんは優しい表情で見ている。



「初めて星七が来た時、私は面倒で嫌だった。何でも思い通りになってたから凄くワガママだったの、そんな私なのに星七はお姉ちゃんって懐いてくれた。周りが大人ばっかりだったから不安だったのかもしれないね、でもまとわりついて来る星七が煩わしかった」琴音さんは僕を撫でながら優しく話した。


「一ヶ月ほど経った頃買い物に出かけたの、私はかなり星七が鬱陶しくなってたの、帰ってきて松田さんが荷物を下ろしているのに私はさっさと家へ向かって階段を上がった。星七は必死についてきた、門の前に来た時星七は『お姉ちゃん』そう言って私の背中に触れたの、私はイラッとして振り払った。星七はよろけて花壇の横から下へ落っこちてしまった。私は愕然として動けなくなった。ここから落ちたら大怪我か死んでしまうかもしれない、私は恐怖で震えた」琴音さんは思い出したように少し震えている。


「松田さんは慌てて星七の所へ走って行った。星七は運良く丸く剪定された植木の上に上手く落ちたみたいで奇跡的にかすり傷で助かったの………」少し言葉に詰まった。


「あの優しい松田さんが、鬼のような顔で怒ったわ。私は何度もお尻を叩かれた………でもそれを見た星七は『お姉ちゃんをいじめるな!』そう言って松田さんの手に噛み付いた。そして私の前で両手を広げて震えていた。『お姉ちゃんをいじめるな!』そう言って泣いてた………」琴音さんの目から大粒の涙が溢れている。


「私は自分のわがままで、とんでも無い事をしてしまったと思った。もし星七が死んでしまってたら、そう思うと恐怖になってガタガタ震えた、でもそれを見た星七は『お姉ちゃん、大丈夫?」そう言って心配そうに私の手を握ってくれた」琴音さんはズッと鼻を鳴らした。


「ママは帰って来て松田さんから話を聞くと顔色が変わった、そして私に『あなたが落ちて死ねばよかったのよ、あなたみたいな娘はもう要らない!』そう言ってそれから口を聞いてくれなくなってしまった。私は毎日泣いてた、でも星七はそんな私に『大丈夫?』そう言っておもちゃを持ってきたり、おやつを持って来たりして私が泣きやむまで、一生懸命看病するみたいにそばにいてくれた。私はそんな星七に心を開かれて目覚めさせられたの、それから私は一生懸命星七の世話をした。一緒に遊んだり、ご飯を食べたり、お風呂に入ったり………気がついたら星七が大好きになってた………」琴音さんは涙を拭きながら少しだけニッコリした。


「星七は『お姉ちゃんを、僕のお嫁さんにする』そう言ってくれたのよ、嬉しかったわ………覚えてないでしょうけどね」


「やがて半年が過ぎ、星七のママが迎えに来たの。星七のママは入院しててやっと星七に会えると喜んで来たのに、帰るのを嫌がった。そして泣きながら私から離れようとしなかった。私はママから『星七ちゃんを返してあげなさい』そう言われて、『きっと迎えに行くから良い子で待ててね』そう言った。星七は『良い子でいるから絶対に迎えに来てね』そう言うと泣くのを必死に我慢して帰って行ったわ………」


「僕が良い子でいないといけないと思っていたのは………」


「私は星七がいなくなったら寂しくて毎日泣いてたの、そうしたらママが『あなたも良い子にしてなくちゃあ、星七ちゃんに合わせる顔がなくなるわよ』そう言われた。だから私も良い子で頑張ったの、だから今の私があるのは星七のおかげなのよ………」


「琴音さんも頑張ったんですね………」僕は少しだけ笑った。


「ママが言ってた、もしあの時セナちゃんが死んでいたら、私とあなたは一生大きな重い十字架を背負って生きる事になってたでしょうね、きっと幸せになる事なんて許されなかったでしょうね、お金や財産があってもそれで解決できない事も沢山あるのよ、そう言ってた」


「そうですか、僕は生きていて良かったんですね………」


「星七が生きていてくれて良かった、だから私の命はいつでも星七の代わりに差し出すわ」


「そんなことはダメです、それで僕は喜びません、悲しくなるだけです」


「星七はいつでも、いつまでも、私に優しいのね」琴音さんは指で涙を掬うように拭いた。

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