第9話 町に行こう
昨日と同じ紺色のケープを被り、外出の支度を終えたティアが玄関扉を開いて老人を振り返った。
その隣には大きめのカバンを持ったリゲルが従順な荷物持ちのごとく立っている。
「おじいちゃん、行ってくるね」
「いってきまあす」
「気をつけて行くんじゃぞぉ」
少し間延びした老人の声に見送られ、二人は家を後にした。
家から町へと向かう道は、舗装こそされていないが、何度も使われたおかげで歩きやすくなっている。
振り返ってみると、まだリゲルたちを見送ってくれている老人と、昨日抜けてきた森が見えた。
柔らかく微笑んで手を振ってくれる老人に、リゲルもまた手を振って応える。
ぱ、と視線を前に戻してみるとティアと距離が開いてしまっていた。
「ティア、待ってよ」
「あんたが遅いのが悪いんでしょ」
「だって、おじいさんが手ぇ振ってくれてたんだもん」
リゲルは小走りに追いつきながら言い訳する。
しかしティアはちらりと目を向けるだけで「なら仕方ないわね」とは言ってくれなかった。
その代わりすぐに前をむき直した彼女は、責めるように、そしてぼやくように言った。
「私たちが早く行かないとおじいちゃん、家に入れないでしょ。何回いいって言っても姿が見えなくなるまでずっと見送ってくれるんだから」
言われてリゲルはもう一度振り返る。
確かに彼女の言うとおり、老人は今もこちらを見ていた。
先ほどよりも遠くなってしまった分はっきりとは読み取れないが、どこか心配そうな顔をしている気がする。
「いいおじいちゃんだね」
リゲルがそう囁くと、ティアは少しばかり得意げに「知ってる」と答えた。
他愛のない話をしながら──ほとんどリゲルが話しかけるばかりだったが──二人は町へと向かう。
森を抜けた場所に家があるとはいえ、ならされた道の両側には木々が並んでいた。時折、小動物が動く音や、鳥たちの歌う声がした。
穏やかな空気が流れている。
町は意外と遠いようで、彼らは出発してからもうかれこれ二十分ほどは歩いていた。
「ねぇ、ティア」
「なによ」
「なんであんなに町から遠いところに住んでるの?」
思い出したように問いかけてくるリゲルに、ティアは目を細める。
不機嫌そうに鼻を鳴らす彼女の足音が少し大きくなった。
紺色のケープの裾をいじりながら答える。
「知らないわよ。私がおじいちゃんのとこ来たときにはもうあそこに住んでたもの」
「不便じゃない?」
「まぁそりゃちょっとは不便だけど。私は町の連中嫌いだから好都合よ」
だから聞いたことない、と言うティアの顔は、嫌なことを思い出したように歪んでいた。
他人なら「どうしたの?」と言いたくなるような表情だったが、ティアの不機嫌顔が通常運転過ぎてリゲルは気にしなかったようだ。
「ふーん。そういえば昨日もこっち来たとき~みたいな話してたけどティアって最初からおじいさんと暮らしてたわけじゃないの?」
「……ん」
ティアが小さく頷く。
先ほどとは打って変わって何か物思いにふけるような、複雑な表情をしていた。
その視線は足下に落ちている。
珍しい反応に、リゲルは眉尻を下げた。
「ティア? ……ボク、なんか聞いちゃいけないこと聞いちゃった?」
「そういうわけじゃないわよ」
ぱ、と顔を上げたティアは、元通り不機嫌な表情を貼り付けていた。
面倒そうに細められた目がリゲルを捉える。
「この前の竜災でパパとママが死んじゃったの。それからよ、私がおじいちゃんと暮らすようになったの」
「竜、災?」
復唱するリゲルの首が傾いた。
ティアが眉をひそめる。
そんなことも知らないのか、と口を開きかけ、やめた。
昨日祖父が言っていたことを思いだした。
リゲルはまさにその竜災で記憶を失ってしまったのかもしれない、と。
声にはならなかった空気が、ため息として吐き出された。
「そうよ、竜災。普段は山に住んでるドラゴンが町の方に下りてきて暴れるやつ」
いったん言葉を切って、リゲルを睨みつける。
「まさか、ドラゴンも知らないとか言わないわよね」
「さすがにそれは知ってるよ! 羽の生えた、でっかいあれでしょ。トカゲみたいな」
「そう、でっかいあれ。空飛んで、火ぃ吹いたりするトカゲみたいな奴」
リゲルに引きずられたようになんとも語彙のない言葉遣いをしながらティアはどこか遠くに目をやった。
「竜災ってもともと何年かに一回あるけど、その中でも結構ひどいやつで。私が前に住んでたとこ、ぼろぼろになっちゃったのよ。まぁ、そこまで重要な場所じゃなかったから町とか国の運営にはたいした被害が出なかったみたいだけど」
「そーなんだ」
「うん。もう二年ちょこっと経ってるしそろそろ復興してるんじゃないかしら」
「へー」
聞いているのか聞いていないのか分からないような相づちを打つリゲル。
なんとなく沈黙が続く。
しばらくして、リゲルが「あ」と小さな声をあげた。
土がむき出しだった道に、ある一点から灰色の石畳が敷き詰められている。
「もうすぐ町?」
「そうね、あとちょっと」
そう会話を交わす間彼らの足はすでに石を踏んでいた。
もう少し進んでいくと確かに町が見えてきた。
石造りの建造物が建ち並び、いくらかの露店もある。
露店では主に果物や野菜、肉などが売られていた。ときどき串焼き肉などの食べ歩き用の食品も売られている。
肉の焼ける匂いに、リゲルの顔が輝いた。
「いい匂いするね、ティア!」
「さっき朝ごはん食べたとこでしょ。とっとと買うもの買って帰るわよ」
今にも露店に引き寄せられそうなリゲルにティアはそっけない。
先に行ってしまう彼女を「待って~」と追いかけながら、リゲルは町を見回した。
それなりに朝の賑わいのある町なのだが、なんとなく全体的な空気が薄暗い。
心なしか石畳の道を行く人々の顔色も悪いように思えた。
きゅ、と唇を尖らせたリゲルがティアに囁きかける。
「なんか暗くない?」
「いつもよ。町の連中はだいたい根暗なの」
吐き捨てるような口調に、リゲルは改めて周囲を見た。
この辺りでは珍しい金髪のリゲルが目立つのか、町の住人はちらちらと彼らに視線を投げている。
確実にこちらが気になっている様子なのに、誰一人として声をかけてこようとはしない。ひそひそとそばにいる誰かと囁き合うばかりだ。
確かにティアの言うとおり暗い人たちばかりなのかもしれない。
「声、かけてくればいいのに」
彼らに気を取られて、いつの間にか足が止まってしまっていたようだ。
その間にずいぶんと遠くに行ってしまったティアが、彼を振り返る。
「置いてくわよ」
「ごめーん、今行く~!」
呼びかけに応えるまま、リゲルはティアの元へと駆けだした。
じゃり、と足下で砂がわずかに鳴った。
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