第7話 とっても明るいあなたの名前
ティアの持つカンテラの灯が、薄暗い廊下でゆらゆらと揺れている。
あの後もうひと悶着があったものの、少年は無事に老人とティアの住まう家に居候することとなった。
なんやかんやと言い合いをしたり仲裁をされたりしながら夕飯を済ませた彼らは今、少年にあてがわれることになった屋根裏部屋に向かっている。
廊下の突き当たりに、そのまま屋根裏部屋へと繋がる階段があった。
先に部屋の中へ足を踏み入れたティアが少年を振り返る。
その姿は淡い月光と星明かり、そして手元のカンテラの灯に縁取られていた。
「ほら、ここがあんたの部屋。ちょっとほこりっぽいけど我慢してよね」
屋根裏部屋には身を畳めば人ひとり眠れそうなサイズのソファと、真っ白なシーツのかかったベッド、そしてそのベッドサイドに棚が置かれているきりだった。
閉塞感があまりないのはベッドに向かい合うように設置された天窓と、ソファの向こうにはめられた大きめの窓のおかげだろう。
「わぁ~……!」
少年は屋根裏部屋に駆け込むと歓声をあげる。
部屋の中央に躍り出てくるくる回り、はしゃぐ。
まるきり子供のような彼の足元を照らすようにカンテラを掲げながら、ティアはため息をついた。
「はしゃぎすぎでしょ。転んでも知らないわよ」
「だいじょーぶだよ! っぅわ!」
ティアに笑いかけるとほとんど同時に少年の足がベッドに引っかかる。
盛大に倒れこんだ少年は、突然自分の身を襲った衝撃に瞬いていたが、それすらも楽しいようですぐにくすくす笑いだした。
笑いながら決して広くはないベッドを転がりだす。今度はベッドから転がり落ちそうだ。
「なにやってんのよ」
「えへへ。屋根裏部屋っていうからもっと天井低くて狭いのかなって思ってたけど、そうでもないね。おっきい窓もあっていい感じ!」
「まぁ、星がよく見えるようにおじいちゃんが作ったらしいから」
「星?」
ベッドから半ば上半身を起こした少年を素通りし、ティアは二つの窓を開ける。
少しばかりよどんでいた空気が外へと逃げていく。
夏を目前にした夜の風はどこかしっとりとしていた。
「おじいちゃん、天文学者だったの。今は引退してるけど」
「テンモンガク」
「星とか月とか太陽とか……とにかく空のことを研究する人よ、確か」
「ティアもあんまり知らないんだ?」
「うるさいわね、手紙にはあんまりお仕事のこと書いてなかったし、私がこっちに来たときにはもうやめてたんだもの」
言葉通りうるさそうに顔をしかめながらティアはどさりと乱暴にベッドに腰かける。
「月明かりと星で十分明るいからもうカンテラ消しても良いわよね」
「うん、大丈夫」
カンテラの灯が消されても、屋根裏部屋は薄明るかった。
眠りについたかのようなカンテラを膝に乗せ、ティアはかすかに吐息をつく。
それは今日一日で嫌というほどつかれた呆れや苛立ちを含んだものではなかった。
その隣へとにじり寄ると、少年は彼女の顔を覗きこむ。
「どうかした? 疲れちゃった?」
「あんたのおかげでね」
憎まれ口を叩きながらティアは少年を軽く睨みつけた。ついでに少し距離をとる。
そしてわざとらしく聞かせるように大きなため息をついた。
「あーあ、なんであんたなんかと一緒に暮らさなきゃいけないんだか。おじいちゃんのお人好しにも困ったもんだわ」
「酷い! あんたなんかとか言わないでよぉ。願いとか叶えてあげられるよ? ほらほら」
「いい加減しつこいったら。最初に叶えてくれなかった時点でもう信じる気になれないわよ。証拠も出せないし」
「ほんとだもん! ほんとに星見習いなんだってば。……そういえばさ、なんであんな良いおじいさんがいるのに『死にたい』なんて願ったの?」
ティアの頭が少年の方を向く。突然殴りつけられたかのような表情。
少年は比較的真面目な顔をしているように思えた。けれど、尋ねる口調は雑談の延長といった様子だった。
ぎゅっと眉間に深いしわをよせ、心底苛立たしそうに彼をねめつけていたティアだったが、やがてぷいと視線をそらしてしまう。
そっぽを向いたまま、わずらわしさを隠そうともせずに吐き捨てた。
「別に、あんたには関係ないでしょ」
「関係ないことないよ。だってボク、キミの願いを叶えるんだから」
「じゃあさっさと叶えなさいよ」
「だからー、誰かを生き返らせてとか誰かを殺してとか、とにかく人の生き死にに関わる事はダメなんだってば」
「あーはいはい、またそれね。言っとくけど、おじいちゃんにバラしたら許さないから」
「わざわざ言わないけどさぁ」
これ以上言っても無駄だと悟ったのか、それとも単に拗ねたのか、少年はそれ以上追求することはしなかった。
ティアはティアでなにか思うところがあったのか、目を半ば伏せてうつむいている。
ぼんやりと薄暗い中でも長いまつげの影が落ちているのがはっきりと分かる。
何も言わずにただ自分を見つめてくる少年を尻目に、ふいに立ち上がったティアは天窓の下へと向かった。
くるみ色の瞳が、満天の星空を映し出す。
青白い光をその身に受けながら、彼女はぽつりと呟いた。
「リゲル」
「へ?」
まるで一人言のようにこぼされた言葉の意味が掴めずに、少年は間抜けな声をあげる。
ティアがゆっくりと振り返った。
そして繰り返す。
「リゲル。あんたの名前。おじいちゃんがないと不便だからなるべく早く考えておけって言ってたじゃない」
「言ってたけど……それ、どういう意味?」
いや? と首を傾けるティアに少年は問いかけた。
自分にとってはないのが当たり前なものだから老人に言われても尚たいして気にしてはいなかったのだが、その意味くらいは知っておきたい。
まさか悪口じゃないだろうな、と思う少年の前で、ティアの唇が小さく開いた。
少しためらうような仕草を見せたあと、彼女は思いきり意地悪に笑ってみせた。
「意味とかないわよ。飼ってた犬の名前」
「犬の!? ちょっと待ってティア意味もないの!? いやないのは良いけど犬の名前なのそれ!!」
「嫌なら明日の朝までに自分で考えなさいよ。できるの?」
「うぐっ……」
少年は言葉に詰まった。みるみるうちに勢いがしぼんで、浮かせかけていた腰をベッドに落ち着ける。
思いつける気がしない。というか考えているうちに眠ってしまう自信がある。
明日の朝まで結論を先送りにしても、結局ティアの案を飲んでいる姿が目に浮かぶようだった。
なんとも情けない少年に、ティアが腕を組んで勝ち誇る。
「はい、じゃあ決まりね。あんたはこれからリゲル。いい?」
「いいんだけど、なんだかなぁ」
「文句言うんじゃないわよ」
握ったカンテラを揺らしてティアは階段に足をかける。
途中で思い直したように立ち止まると不満げに唇を尖らせる少年を顧みて、初めてにっこりと笑った。
苛立ちも嘲りも焦りも含んでいない、まっさらな笑み。
妖精のような浮世離れした空気と年相応な少女の空気とが混じり合う。
どうしようもなく見る人の目を惹きつける笑顔に当然少年も目を奪われた。
「おやすみなさい、リゲル」
「おっ、おやすみ、ティア!」
数瞬遅れた少年の返事は、笑ってしまうほどうわずっていた。
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