第6話 友達なんかじゃない

 老人の焼いた木苺のパイは素晴らしく甘く、幸せな味がした。

 パイ生地はとても軽く、木苺のフィリングはほどよく甘酸っぱい。まるで店で売られている物のようだった。


 少年は夢中になってパイを頬張る。彼ほどではないが、ティアも嬉しそうにパイを口に運んでいた。先ほどまで少年に問い詰めようと思っていたこともすっかり忘れてしまっているのかもしれない。


 そんな二人を微笑ましげに見つめていた老人が、おもむろに口を開いた。

 その瞳には、やけに真剣な光が灯っている。


「のう、おぬし」

「んぐむぬ?」

「いったいどこから来たんじゃ? 教会で名をもろうておらんということは、この国の人間ではないじゃろう」

「むぐぐ」


 頬をリスのように膨らませた少年はしばらく答えなかった。

 特に焦る様子もなくもぐもぐと口の中のパイを味わい、それから皿の横に出されたミルクに手をのばす。マイペースな彼に、ティアの眉がひそめられた。


 それでも律儀に彼の言葉を待つつもりらしく、彼女はフォークを置いて頬杖をつく。

 少年はミルクのコップから口を離すと、ぷはっ、と息を継いだ。

 にっこりと笑う。


「上から」

「は?」

「上から来たんだ、ボク。空から来たの」


 その表情は嘘をついているようには見えなかった。

 とびきり顔を歪めたティアは「ほら言ったでしょう、こいつは頭がおかしいのよ」と訴えかけるような視線を祖父に投げる。


 しかし、老人は長いひげに触れながら難しい顔をしていた。

 まさか少年の言葉を本気にしてしまったわけではないだろうな、とティアの胸が不安で曇る。


 可愛い孫娘の胸中に気づくことなく、老人は何かを考え込んでいた。

 少年は答えたっきりまたパクパクとパイを食べている。

 家の中が変に静かになった。


 半ば溶けたアイスクリームをどうにかフォークですくおうとしている少年に、老人は、ふ、と笑う。

 何か諦めたような、納得したような笑顔だった。そんなわけないよな、と一瞬でもなにかを信じかけた自分を馬鹿にするような。


「そうか。じゃ、ご両親は?」

「いないよ? ボク星見習いだから」


 老人がこっくり頷く。

 ティアはうさんくさそうに眉間にしわをよせた。


「またそれ? ほんっとしつこいわねあんた」

「だってほんとのことだもん」

「だったら証拠を見せてみなさいよ」

「ようし!」


 売り言葉に買い言葉で立ち上がった少年は胸元辺りの高さで両手を握る。

 しかしそれもつかの間、彼は情けない顔でティアを見た。


「……なにすれば証拠になると思う?」

「知るわけないでしょっ!」


 ひどいひどいちょっと考えてくれてもいいじゃん! 考えるもなにもないわよ星見習いとかいうのがそもそもわけ分かんないって言ってんのよ! だーかーらー、などと口げんかを始める二人を老人が止める。


「まぁまぁ。のぅ、おぬし」

「ん?」


 呼びかけられた少年は無邪気に首を傾けた。

 そんな彼に、老人がことさら優しげに笑いかける。


「おぬしさえ良ければ一緒に暮らさんか?」

「はっ!?」


 先に反応したのは当然のようにティアだった。

 これ以上なく目を見開いて、自身の祖父を凝視する。明日世界が滅ぶと告げられたときでも彼女はここまで驚かないだろう。


 なにか言いたいのに、言葉が見つからないらしい。陸に打ち上げられた魚のように口をはくはくさせている。

 少年はきょとんとしていたが、やがてゆっくりと言葉の意味を理解して飛び上がった。


 その拍子にテーブルに膝を打ち付けて声にならない悲鳴をあげる。

 しかしすぐに回復するとティアがしたように両手をテーブルについた。


「ほんとっ? いいの!?」

「駄目ならわざわざ言わんよ」

「わぁい、やったあ! ティアと一緒にいられる~!」


 舞い上がってその場で奇妙なダンスを踊り出す少年を放置して、ティアが怒鳴る。


「ちょっと、おじいちゃん本気!?」

「本気じゃ。こんな冗談は言わんわ」


 心外そうに眉をひそめる老人に、ティアは地団駄を踏む。


「じゃあ頭がおかしくなっちゃったの!? 私は嫌よ、こんなのと暮らすの!!」


 ぎゃあぎゃあとがなりたてる孫娘を老人はどうどうとなだめ、そばに呼び寄せた。

 憤懣ふんまんやるかたないといった表情をしながらも、素直に寄ってきた彼女に耳打ちをする。


「この前ドラゴンが暴れたろう。もしかしたらそのときに家も親も記憶すらもなくしてしまったのかもしれん」

「……」


 ティアは仏頂面のまま少年に目を向けた。

 まだ嬉しそうに踊っている少年からはそんな悲壮感は欠片も感じられない。

 だが、家も親も失った記憶ごとなくしていたとしたら。

 黙り込むティアに、老人が続ける。


「だとすればおぬしと似たような立場じゃ。人嫌いのおぬしが気に入らんのも分かるが、どうか飲み込んではくれんかのぅ」

「おじいちゃん」

「それに、せっかく可愛い孫娘に初めてできた友達じゃ。世話も焼きたくなるというもんじゃろう」

「だっから友達なんかじゃないってばっ!!」


 ひときわ大きな声で祖父を怒鳴りつけるティアに、ようやく少年が正気に戻った。

 奇妙な踊りをピタリとやめ、不思議そうに彼女を見る。


「ティア、大丈夫?」

「~~!! だぁっれの、せい、だとっ」

「ちょっと照れとるだけじゃ。気にせんでいい」

「そっかぁ」


 ほけほけと笑う祖父のでたらめに、再びティアの怒声が炸裂したのは言うまでもない。

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