第5話 魔法と教会とパイ

 驚愕から抜け出せないまま、ティアは乱暴にテーブルに手をつく。


「うそっ、あんた、それじゃあ教会行ったことないの!?」


 つく、というよりは叩きつけるというような勢いに、少年は少しテーブルが心配になった。もし日常からこの打撃を浴びているとしたら、壊れる日も近いのではないだろうか。

 そんなどうでもいいことを考えながらも、少年は何度もコクコク頷いた。


「うっ、うん、ないけど……」


 どうして名前の話からそんな話に飛んだのか分からず首をかしげる少年に、ティアは愕然とする。

 困り果てたような顔をしながらも、老人が説明してやった。


「この国では子が生まれるとみな教会で名をつけてもらうんじゃよ。おぬしはそうではないのか?」

「うん。だってボク星見習いだから」


 つられたように困った顔をしながら言う少年に、老人は小さな目を見開いた。

 少年に名前がないことを知ったときよりも驚いた様子で何かを言いかける彼を遮るように、少年が「あ、」と声をあげる。

 その空色の瞳は火の燃える窯へと向けられていた。


「ねぇ、おじいさん。なんかちょっと焦げ臭い気がするんだけど、大丈夫……?」

「しまった、もう焼けてしもうたのか」


 指摘された老人は我に返ると慌てて窯に駆け寄る。

 取り出されたパイは、少年が言った通り表面が少し焦げ付いていた。

 老人は「あーあー」と残念そうにしながらも手際よくパイを切り分けていく。

 それをちらりと横目に見ながら少年がティアに耳打ちをした。


「ね、焼けるの早くない? まだ五分とか、十分とかしか経ってないと思うんだけど」

「は? ……まさかあんた、魔道具も知らないわけ?」

「んんんんんん」


 信じられないものを見る目で見られ、居心地が悪くなった少年はつま先をぐりぐりと床にこすりつける。

 後ろ手を組んでもぞもぞする少年を改めてありえない、という目で見た後、ティアはため息をついた。


「ほんとに何にも知らないのね。どうやって生きてきたの?」

「生きてきたって言うか、ボク星見習いだから……」

「またそれ? もういいわよ」


 うっとうしそうに吐き捨てながらティアは少年の隣に座り直す。

 別にあえて彼の隣を選んだ、というわけではなく、わざわざテーブルの向こう側に回るのが面倒だっただけのようだ。こぢんまりとした家にあるテーブルの座席は、あまり多くない。

 むすっとした態度で頬杖をつくと、少年の顔を見ないままにティアは口を開いた。


「そのまんま、魔法がこめられた道具のことよ。さすがに魔法は知ってるでしょ?」

「うん。この世界の人たちがかみさまの真似事をするときに使うやつだよね」

「なにその言い方。間違ってないけど。魔法って使える人は使えるけど、使えない人の方が多いでしょう? だから、魔法を使えない人でも魔法みたいなことができるようにって作られたの。だいたい日常生活でちょっと便利、くらいの能力しか無いけど。もう、ほんとにあんたなんなの? この国で魔道具のない家なんてないくらいなのにそれを知らないなんて」


 言い連ねる彼女は、今までで一番嫌そうな顔をしていた。

 かといって『嫌そう』という一色だけが広がっているのではなく、もっと様々な、複雑なものが混じっている。

 なぜか彼女が心配になって、少年は足の間に手をつくようにしてティアを覗きこんだ。


「ティア?」

「なによ」

「なんか嫌そうな顔してる」


 弾かれたようにティアが少年を見る。

 その瞳は大きく大きく見開かれていて、傷ついたような光がちらついていた。

 しかしぎゅうっと強く目をつむった彼女が再び目を開いたとき、その光はどこにも見当たらなくなっていた。

 ティアは、また少年から目をそらす。


「だって、魔法なんか大っ嫌いだもの」


 呟くように落とされた言葉は、どこかが痛むのを無理やり隠しているような響きを持っていた。

 もう一度彼女の名前を呼ぼうとした少年を遮って、ティアは強引に話を戻す。


「うちにある魔道具は、氷や水がなくても物を冷やしてくれる棚と、物を早く焼いてくれる窯。あそこ、窓際の棚と、向かって左の窯がそう」


 ティアがそうあごで示した先には何の変哲もなさそうな棚と窯があった。

 棚は他のものと違って木材そのままの色ではなく、アイスブルーに塗られているが、パイを焼いていた窯の方はそんな色の違いすらなかった。


 間違えそうだな、なんて思いながらも少年はティアの横顔を覗き見る。

 無理をしていそうな空気は一欠片も見つからず、ただただいつものように不機嫌そうな表情だけが可愛らしい顔に乗せられていた。

 問いかけようと少年が声をかけるよりも早く、両手にパイの乗った皿を持った老人が振り向いた。


「すまんなぁ、ディアが初めて連れてきた友達じゃから、早くパイを焼いてやろうと思ったんじゃが。びっくりしすぎて焦がしてしまったわい。表面さえ少しこそいでやれば大差はない程度じゃったから我慢してくれ」


 言いながら彼はティアと少年の前に皿とフォークを並べる。

 パイは焼きたてに相応しくほかほかと温かな湯気を立て、添えられたバニラアイスをゆっくり溶かしていた。

 彩りにミントが飾られたそれは、見るからに美味しそうで少年は喉を鳴らす。

 甘い匂いが鼻先まで漂ってきていた。

 さすがのティアも眉間のしわを消し、嬉しそうに頬を緩めている。

 老人がにっこりと優しく笑った。


「色々と気になることはあるが、まぁ召し上がれ。話なんて食いながらでもできるからの」

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