第3話 小さな家

 今度は、少年の笑顔が剥がれる番だった。

 みるみるうちに眉がハの字に下がり、空色の瞳は動揺を宿す。

 真っ白になった脳内にかろうじて残る少女の台詞を、ぎこちなく繰り返した。


「死なせて、って言った?」

「言ったわ」

「……え、えぇぇぇええっ!? なんでっ、どうして!?」


 少年はワンテンポ遅れて飛び上がる。

 後ろに下がるようにして飛んだため、少女との距離が微妙に開いた。だいたい一、二メートルほど。

 その一、二メートルの先で、少女は相も変わらず気難しい顔をしていた。


 自分の発言を撤回する様子も、冗談だと鼻を鳴らす様子もない。

 ただただうっとうしそうに、くだらないことを何度も言わされてうんざりしているというような調子で言う。


「死にたいからよ。決まってるでしょ? バカじゃないの、あんた」

「いやっ、いや、いや! だから、なんで? なんで死にたいなんて言うのさ!」

「なんであんたに言わなきゃいけないのよ」

「いや、だって」


 少年は目を白黒させて言いよどんだ。まさかこんなことを願われるとは思っていなかった。

 まごついてあわあわするだけの彼に、少女は吐息をこぼす。


「どうせ叶えられないからぐだぐだ言ってるんでしょう。当然よね、星見習いだなんてそんなの、あんたの妄想でしかないんだから」


 少年の息が止まった。

 少女の中にあった苛立ちの炎がまるで雨に降られたかのように小さくなる。怒りの代わりに、彼女は失意を浮かべた。

 長いまつげの影が、陶器のように滑らかな肌に落ちる。


 よもや少年の言葉を本気にしていたわけではないだろうに、少女は確かに落胆していた。

 たった今この瞬間に泣き出してしまってもおかしくないような彼女に、少年は言葉をなくす。

 心臓を食い荒らそうとする後ろめたさに襲われて口を開けない。


 そんな彼のことなど知るわけもなく、少女はパッと表情を切り替えた。

 元のように眉間にしわをよせると、少年を睨みつける。


「いちおう話は聞いてあげて、言わなくてもいい願いまで答えてあげたんだからもう良いわよね。あーあ時間むだにした。早く帰らないとおじいちゃんが心配するわ」


 後半は一人言のように呟くと、彼女は身を翻した。

 この話は、いや、お前に付き合ってやるのはこれで終わりだと言外に告げている。


 しかしそれを悟れるような少年ではなかったし、そんなことで諦めるような少年でもなかった。

 そもそもそんな人間だったなら少女が我慢しきれずに彼を怒鳴りつけることなどなかったのだ。


 懲りずに少年は少女を追いかける。

 足音と気配に気づいた少女が、信じられないものを見るような目で振り向いた。


「嘘でしょ、あんたまだ追いかけてくるの」

「だってボクはキミの願いを叶えるって決めたから!」

「気持ちわるっ、勝手に決めないでよそんなこと! ていうかどうせ構って欲しくて嘘ついてるだけのくせに」

「嘘なんかついてないし!」


「じゃあさっさと叶えなさいよ! 言ってあげたでしょ!」

「むり! 人の生き死にに関わることは駄目なの!」

「その設定今付け足したでしょ!」

「違うもん!」


 ぎゃあぎゃあと言い合いながら、結局二人は並んで森の中を歩いている。

 走って引き離そうとすることも忘れるほど、少女は彼をやりこめることに夢中になっているようだ。


 その横顔はどこか生き生きとしていた。

 際限なく続くと思われた口げんかが、はたとやむ。

 森を抜けたのだ。


 木漏れ日よりも眩しい、直接降り注いでくる日の光に少年は目を細める。

 隣で少女が苦虫をかみつぶしたような顔をした。

 視線の先には、周囲の景色にスッと溶け込んだ自然で嫌みのない小さな家がある。温かな雰囲気の、ほどよく蔦が這った住み心地の良さそうな家。


「うわ、家についちゃった」

「ここキミの家なの?」

「そう言ってるでしょ。もう最悪、あんた連れてここまで来ちゃうなんて」


 少女は今にも舌打ちをしそうだった。

 なにもそこまで嫌がらなくても、と今まで散々嫌がられてきた少年がようやく肩を落とす。

「あんたなんか連れてきたら、おじいちゃん絶対……」と、少女がなにかぼやこうとしたとき。

 こぢんまりとした家の扉が開いた。


 中から一人の年老いた男性が顔をのぞかせる。

 少し長めに伸ばされた髪はもう真っ白に染まりきり、同じく白いひげをたくわえていた。背中はゆるやかに曲がっているが、それでも少女や少年よりもう少し背が高いように見える。


 周りのしわに埋もれてしまいそうなほどに小さな瞳は柔らかな光をたたえていて、よく見ると少女と同じくるみ色をしているのが分かった。


「おかえり、ディア。……おや。そっちは、」


 愛しげに細められていた瞳が、少年をとらえた瞬間これでもかというほど見開かれる。

 戸惑う少年の隣で、少女は居心地の悪そうな、げぇ、と舌を出したいけれど出来ないでいるかのような表情を浮かべていた。

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