第1話 へんくつ少女と星見習い

 木から少年が降ってきた。

 どさっという派手な音に驚いた鳥たちが慌ただしく飛び立っていく。


 星をかたどるように奇妙に跳ねた金髪も、爽やかな空を思わせる色彩を宿した瞳も、この辺りでは見かけない珍しいものだった。

 そろそろ夏に入ろうかと言うこの時期に、長袖の軽そうなシャツと、中途半端な丈のズボンを身に付けている。


「いてて」とまだ声変わりも迎えていないような綺麗なアルトでうめいた少年は、なにか軽いものが落ちる音に顔を上げた。


 すぐそばに一人の少女が立っている。年の頃は、だいたい少年と同じ頃だろうか。

 ほんの数センチずれていたら少年に潰されていたのではないかというほどの距離。

 その足元に、藤で編まれたバスケットが落ちていた。

 中から赤く、丸い木苺がこぼれている。


 しかし少年にとっては、木苺もバスケットも意識の外側のものだった。

 ただただ少女を見上げ、見惚れる。


 耳の下で二つに縛られた、黒く、つややかな髪は腰まで届くほど長く、くるみ色の大きな瞳はたっぷりのまつげに縁取られていた。

 淡い黄色のレースがあしらわれた、くすんだ白のワンピースの上から夜空のような紺色のケープを重ねている。

 衣服のすそからは、細く白く、しなやかな手足が伸びていた。


 今は驚きに染められているその顔は、少しでも微笑めば万人を魅了できそうなほどに整っている。

 まるで妖精のように可憐な少女は、やがて眉間に深い深いしわを刻んでみせた。


「あんた、誰」


 鈴を転がしたように可愛らしい声。しかしその口調は、偏屈さの滲むぶっきらぼうなものだった。

 そう問われてもまだ少年はしばらくバカのように呆けていたが、ふいに我に返るとバネじかけの人形のように勢いよく立ち上がる。

 とっさにまた後ずさりかけた少女の手を取ると、勢いのまま必要以上に大きな声で言った。


「キミの願いを叶えてあげる!」

「はっ?」


 少女の声が跳ね上がる。

 そして低くなる。


「は?」


 少年は彼女のそんな態度を歯牙にもかけなかった。

 馴れ馴れしく少女の手を握ったまま、明らかに誤った距離で彼女を見つめている。

 もしかしたら気にしていない、というよりは気づいていないのかもしれない。

 目と鼻の先で苛立たしげに自分を睨みつける少女に、少年は重ねた。


「ねぇ、キミには心の底から叶えたい願いはある?」


 少年の瞳は、雲一つない空のようにきらめいている。

 ずっと探していたものを見つけたとでもいいたげな態度の彼に、少女はさらに眉間のしわを深くした。


 眉をひそめるだけでは心情を表現しきれなくなったのか、薄い唇までもが歪む。

 まるで妖精のような雰囲気はもうとっくに消えてしまっていたが、それでも彼女は愛らしかった。

 そんな少女は、


「キモッ」


 その愛らしさにずいぶん似つかわしくない言葉を吐き捨てた。

 笑顔のまま固まる少年。

 彼の喉から言葉がこぼれでるよりも早く手を振り払うと、少女はバスケットを拾い上げた。

 そしてそのまま何もなかったかのようにさっさと踵を返す。

 早足に歩くその足下で、木苺がぐじゃりと潰れた。


 紺色のケープの裾が軽やかに揺れる。少女の姿がどんどんと小さくなっていく。

 少年は呆然とそれを見送っていたが、ハッとすると急いで彼女の背を追いかけた。

 いとも容易く追いつくと彼女の周りをぐるぐるしながら訴えかける。


「ちょっと待ってよ、なにも逃げることないじゃん!」


 少女は答えなかった。代わりに冷たい一瞥を彼にくれてやる。

 並の子どもならそれだけでくじけてしまいそうな温度だった。

 少年は一瞬怯んだが、くじけはしなかった。

 今度は彼女の前に回りこんでなおも連ねる。


「ねぇってば、願いが何でも叶うんだよ? 少しくらいは気にならないの? ねぇ、ねぇったら!」


 少年が金髪を揺らしながら半ば無理やり視界に入ってきても少女は口を開こうとはしなかった。

 まるで彼が見えていないかのように──そんなわけはないのだが──まったく同じペースで足を運ぶ。

 しかし少年はそれでもまだめげない。


 少女と向かい合うように後ろ向きで歩いてみたかと思ったらまた彼女の周りをうろちょろしてみたりしながらしつこく話しかける。

 少女は意地になっているのか、絶対に応じようとはしなかった。


 ただ、完璧な無反応を突き通すことは出来ずに足が速くなる。

 一度は消えていた眉間のしわも再び刻まれる。

 早歩きから競歩へ、競歩から駆け足へ、段階を踏みながら速度を増していた少女はついに走り出した。

 少年を撒こうとしているようだったが、彼は平気で少女についてくる。そのうえ、変わらず「ねぇ」だの「ちょっと」だのと口にしている。


 まるで庭を駆けるように森の木々の間を自在に身軽に走る姿は見事なものだったが、それがただの徒労でしかないのが残念だった。

 ついにしびれを切らした少女が立ち止まる。

 ドンッ、と苛立ちのままに足を踏みならすと、少年に向き直り怒鳴り声をあげた。


「なんっなのよあんた! いい加減しつこいのよ!!」

「ぇっ」


 少女の怒声に、さすがの少年もびくりと肩を上げた。

 しかしそんな反応一つで収まるほど少女の苛立ちは浅くなかったようだ。

 ぐいと大股に一歩踏み込むと、たいして身長の変わらない少年に指を突きつける。

 もう互いの足はほとんど交差するような形になっていた。

 鼻先に香るせっけんと花が混じったような匂いに少年はカッと頬を熱くする。


「馴れ馴れしいのよあんた! 木から落ちてきたと思ったらいきなり手ぇ握ってきて! いったいなんのつもりっ?」

「うぁ、えっと」

「そのうえ願いを叶えてあげるなんて、三歳の子でもそんな嘘つかないわよっ」

「さんっ」


 三歳の子どもと比べられた少年は、ショックに思わず後ずさった。

 呆然とする彼に構わず、まだ少女は文句をぶつける。


「ていうか、なんで追いかけてくるわけ!? ほんとキモい! そのふざけた頭には脳みそが入ってないの?」

「そ、そこまで言うっ?」

「むしろなんで言われないと思えるのよ、この変態っ!」


 変態とまで言われ、ここまでへこたれることのなかった少年がとうとう膝をついた。

 両膝だけでは落胆を抱えきれなかった彼は両手もついて四つん這いの状態になる。


 少女は眉間に深くしわを刻み、これ以上ないほど忌々しげに少年を見下ろしていたが、やがて視線をさまよわせだした。

 冷ややかな態度を貫いてきた彼女でもさすがに可哀想になったらしい。言い過ぎたかもしれない、とも思っているようだ。


 不機嫌な顔つきはそのままに腕を組んだ少女からは、わずかに気まずそうな感じが漂っていた。

 しばらくの間そわそわしていたがいつまでも顔をあげない少年に観念してため息をつく。


「あーもー、さすがに、ちょっと、ほんとにちょっとだけよ? 言い過ぎた……気もするわ。わる、悪かったわよ」


 少年はまだうつむいている。別に駆け引きをしようとかそういう事ではなく、単にまだ落ち込んでいた。少女の言葉も聞こえていないのかもしれない。

 それに焦った少女がパッと彼の目の前にしゃがみこんだ。


 頬を引きつらせながらどうにか笑顔を浮かべる。どんな笑顔でも妖精のようになるのではないかと思われた彼女は、不思議と年相応の雰囲気を身に纏っていた。

 どこか不自然なまでに和らげられた声で言う。


「ほら、話聞くくらいならしてあげるから。ね? 顔上げなさいよ。これじゃあ私がいじめたみたいじゃない」

「……ほんと?」


「ほんとよ、ほんと」とこくこく頷く少女に、少年の表情がぱぁっと明るくなった。

 あまりに無邪気なその反応に、少女の中の罪悪感が刺激される。

 彼女の頬がさらに引きつった。

 ギリギリのところで笑みを保ちながら少女はたずねる。


「願いを叶える~とか言ってたけど、どういうこと? そんなことできるの?」

「うん、ボク、星見習いだから!」


 ついに少女の笑顔が音を立てて崩れた。

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