問い

酒井 漣

第1話

 問いを立て、それを検証できる能力があれば、人生の深みが増す、と私は、これまでの経験からそのように考えている。世の中での頭の良さ、と言われる概念には、実は二つに場合分けができ、他者から与えられた問題を最短で解く場合と、自ら問いを立て、時間と労力をかけて、その問いに対する回答を検証する場合に分けられる。

前者は、主に義務教育の小、中学校、高校、大学入試までに問われる概念で、問われる内容は、基本、それまでの教育で学習した内容の範囲であり、問いに対しては、必ず、模範解答がある。また、このタイプの問いについては、それまでの学習効果を測る目的があり、必ず、制限時間がある。このタイプの問いに対して、制限時間内に、適切な回答をするためには、基本、問われると推測される内容を記憶すれば良い。高校までの科目で例示すると、国語、英語、社会は、絶対的な記憶量があれば、問いに対する回答のハードルは大分低くなる。数学、理科に関しては、語句を記憶する、と言うよりは、解法のパターンを記憶し、どの問いで、どのパターンが活用できるか、そしてそのパターンから最短で回答が導けるか、を訓練すれば、制限時間内に回答する事が可能になる。

 前者に対し、自ら問いを立て、時間と労力をかけて、その問いに対する回答を検証する後者は、回答に対するアプローチが違ってくる。まず、何を問いとするか、その選定が重要だ。既に第三者の手で解明されている事を問いにしても、その回答は、何らかの形で公表されているので、その内容を読み込めば、問いは解決してしまう。特に、昨今のインターネットの発達により、情報へのアクセスのハードルが下がり、インターネット回線とパソコンなどの情報機器があれば、大抵の情報にアクセスできてしまう。自ら問いを立てる場合は、これまで誰も解明した事がない、新規性が必要になる。自ら問いに新規性がある事を確認するために、時間と労力をかけ、その分野の先人が行ってきた事を調査する。この先行調査と要約される作業に、最低でも一ヶ月、長い場合は半年くらいの期間を費やす。自らの立てる問いに新規性が確認できた所で、次に必要な事は、その問いが解決される事で、どのような効果や利益があるのか、意味付けを行うことだ。問いにいくら新規性があっても、問いが回答できた結果として、どのような効果が期待できるのか、明確でなくとも、漠然と定義できていないと、その問いの価値は低くなる。もちろん、問いに対する回答が、全く別の分野で応用できる事例は、枚挙を厭わない。しかし、一つの問いに対し、最低でも一つの期待できる回答の見通しを立てておかないと、この次の検証の作業で道に迷い、迷子になってしまう。

 自ら問いを立て、その問いに新規性と有益性が見出された後で初めて、その問いに対する検証作業が始まる。その問いと期待できる回答の見通しの間には、直接的な因果関係が見つけられない事が多い。問いから期待できる回答までの論理的な道筋をつけるために、これまでの先人が既に論理的、実験的に証明されている事実を活用する。もちろん、論理的な道筋をつけるための完全オリジナルな論理が自分の中にあり、その論理を適切に説明することで、問いから期待できる回答が導出できるのであれば、その完全オリジナルな論理を説明する事に労力を割けば良い。しかし、一般的な頭脳の持ち主では、完全オリジナルの論理が既に頭の中や文書で構築できている事例は、非常に稀である。その場合は、先人が既に証明している事実を、自らの問いに対し、段階的に適用していく。ここで、先人が既に証明している事実を適用する時の注意点としては、必ず、その事実を自らが理解している事、そしてその適用の範囲を間違えない事だ。先人が既に証明している事実を適用する事は、論理的な道筋をつけるための強力な武器となるが、その武器の使い方を理解していないと、間違った適用となり、論理の飛躍が発生し、期待できる回答に到達できなくなる、また、適用範囲の見極めを誤っても、前述と同様に、論理の飛躍が発生し、期待できる回答に到達できなくなる。先人が既に証明している事実は、用法、容量を守って、適切に適用する必要がある。その問いを解くために、適切な事実を選択し、適用できれば、問いを解き、期待される回答を導出するために、一歩進んだ事になる。しかし、問いに対し、先人が既に証明した事実を適用しても、期待した回答が得られない場合がある。その場合は、その問いに対して、先人が証明した事実を適用させる事が不適切である場合と、先人が証明した事実を適切に適用できていない場合に分けられる。前者の場合は、適用させる事実をもう一度検討し直し、別の事実を適用させる事で、その問いに対する、期待される回答が導出できるか、再度、試行する必要がある。後者の場合は、その問いに対して、どのように事実を適用させればよいか、期待される回答が導出されるまで、試行錯誤が必要になる。適用させる前提条件は正しいか、部分的に適用させる場合、その事実が同じく効果を発揮するのか、よくよく検討が必要である。 

自ら立てた問いが壮大である場合、先人が既に証明している事実を適用した所で、すぐに期待される回答が導出される事はない。先人が既に証明している事実を利用しても、期待される回答に一歩近づくだけだ。一歩近づいた所で、また、自ら立てた問いと、期待される回答に向けて、先人が既に証明している別の事実を使うもよし、自ら調査、材料を集めて独創的な方法を導出するもよし、何らかの方法で、期待される回答にまた一歩近づける努力をする必要がある。この期待される回答へ一歩でも近づける行為は、煉瓦で家を建てる行為に似ている。煉瓦を一つ一つ、隙間なく、綺麗に並べて土台を作る。その上に同じく煉瓦を重ね、雨風を凌ぐ事ができる堅牢な家を建てる。家の完成を焦って、適当に煉瓦を並べて、見た目だけ頑丈な家を作っても意味はない。その家は、雨が降れば雨漏りがし、風が吹けば隙間風が吹き、その影響で風邪を引いてしまうだろう。この場合、一つ一つの煉瓦を確実に丁寧に積み上げる行為のみが、家という構造物を建てる、唯一無二の手段である。

 自ら立てた問いの大きさによって、得られる回答は異なってくる。先程の家の例に例えると、一つ一つ煉瓦を積み上げる行為は同じだが、期待する結果が、人一人が住める家でいいのか、四人家族が不自由なく暮らせる広さの家なのか、富豪が住む大豪邸なのか、によって、その物を構築するための技術と時間が異なってくる。このような思考実験は、大学の卒業論文、大学院の修士論文や博士論文を執筆する際、分野を問わず、必ず行われる事である。

 大学に入学し、これまでの受験勉強と同じ方法で大学の単位を取り続けた学生が、卒業論文の執筆のために研究室やゼミに配属され、最初に戸惑う事が、自ら問いを立て、期待できる回答の見通しのために、検証を行う事だ。これまでの学校教育や受験勉強では、問いは与えられるもので、必ず回答があった。しかし、大学の研究室やゼミでは、回答のある問いには意味が無い。それよりも、どのような問いと立て、その問いにどのようにアプローチしたかが、重要になってくる。研究室で指導する教授陣も、学生にいきなり問いを立てさせ、検証させるのはハードルが高い、という認識があるので、卒業論文に関しては、教授陣から卒論テーマ、という問いが準備される事が多い。優秀な学生であればあるほど、その用意された卒論テーマに対して、自分が知っている知識を当てはめ、早急に回答を求めようとする。そして、知識を当てはめた結果を、ろくな検証をせずに、卒論テーマの回答として教授陣に提出し、教授陣からダメ出しをされて、玉砕する。ここで重要なのは、卒業論文を執筆するために研究という行為を行う事は、制限時間付きの能力検査では無い、ということだ。大学によっては、卒業論文の発表会が学内で大体的に行われる関係で、大枠での締め切りは存在する。しかし、研究という行為は、たとえ教授陣から与えられたテーマであっても、その卒論テーマに対し、これまでの先人のアプローチを調査、理解し、自分なりに期待できる回答を意識した上で、検証を行う事にある。まさしく、煉瓦を一つ一つ確実に積み重ねて、まずは壁を作るような、根気と確実性が必要な行為である。煉瓦を一つ重ねる前に、この論理に飛躍はないか、逆に後戻りしていないか、を丹念に精査した上で、ようやく煉瓦を一つ重ねる事ができる。

 大学入試までの勉強が短距離走とすれば、卒業論文以降の研究は、マラソンなどの長距離走に例えられるかもしれない。スポーツの大きな括りでは、どちらも陸上競技に含まれる。しかし、百メートルを九秒台で駆け抜ける短距離走と、四十二キロメートルを二時間程度で走る長距離走では、求められる筋力や走法、目的を実現するための練習方法が全て異なる。

 ある程度のレベルまでは、適切な練習を行い、協議に必要な筋力や走法を身につける事で、タイムが伸びる可能性がある、しかし、短距離走の得意な選手が、無理矢理長距離走に挑んでも四十二キロメートルを走り切る前に力尽きてしまうし、長距離走の得意な選手が百メートル走に挑んでも、消化不良のままレースを終えてしまう公算が高い。陸上競技の中には、十種競技という種目があり、その種目の中では、百メートル走と千五百メートル走が用意されており、十種競技の選手は、短距離走と長距離走、両方をある程度のレベルまで揃える必要がある。ただ、十種競技は、キングオブアスリートと呼ばれる種目で、短距離走や長距離走の他に、跳躍種目や遠投種目があり、そもそも競技に取り組むために求められる資質が高い種目である。一般の競技者は、自分の適性に合わせ、短距離走か長距離走かを選択する事になる。

 重要な事は、勉強という行為で一括りにされている大学受験までの勉強と、自ら問いを立て、それを検証する研究、どちらが自分の資質に向いているか、早い段階で理解する事だ。自分の資質にあった取り組みを行えば、その後の人生は幾分、明るいものになる。大学受験までの勉強が得意な人間が、仮に、自ら問いを立て、それを検証する研究に取り組む場合は、期待される回答を短いステップで仮立てし、自らの能力である最短ルートで回答を導出することを、何度も繰り返せばよい。ステップを踏むごとに研究の本質的な回答に近づき、気づいた時には、自ら立てた問いに、何らかの回答が出ているだろう。自ら問いを立て、それを検証するのが得意な人間が、時間制約のある受験勉強や資格試験に取り組む場合は、その回答までの最短ルートを体感として憶えればよい。ここで言う、憶えるとは、最短ルートの丸暗記ではない。丸暗記では、問題の細部を変更された場合、太刀打ちができない。この問題が出された場合、どのような知識が必要で、その知識を手足のように使いこなせる事を、憶える、と定義する。その知識を無意識に使いこなせるレベルまで昇華させれば、時間制約のある事象にも対応が可能であろう。

 ここまで、他者から与えられた問題を最短で解く場合と、自ら問いを立て、その問いに対する回答を検証する場合について述べてきたが、一般社会で仕事に就くと、この二つが混同された状態で存在している事に気付く。主に文化系の大学に入学し、卒業論文で問いに対する検証の訓練を行わず、大学入試までの他者から与えられた問題を最短で解く事に特化した人間と、卒業論文、修士論文、または、博士論文で、自ら問いを立て、その問いに対する回答を検証する方法を身に着けた人間が、会社の中で混在する事になる。前者の人間は、後者の人間の段階的な検証がまどろっこしく感じ、早く答えを得たいと考え、後者の人間は、前者の人間の早く回答を求めようとする姿に、思考の底の浅さを感じる。仕事の上で、同じ問題解決にアプローチしているはずなのに、意見が食い違い、空中分解してしまう事もある。

一番良いのは、後者の人間が、他者から与えられた問題を最短で解く場合と、自ら問いを立て、その問いに対する回答を検証する場合、今回の仕事の中で、どちらを活用すればいいかを見極め、適切な方法を選択する事だが、世の中で両方の方法を同じレベルで使いこなせる人間は、極端に少ない。凡人のレベルでも最適解を導出するには、十五分程度、自分の思考の中で、問題に対し、他者から与えられた問題を最短で解く場合と、自ら問いを立て、その問いに対する回答を検証する場合、両方を比較し、うまく行きそうな方法を選択する事だ。残念な事に、仕事をすると痛感するのだが、時間は有限で、仕事は納期が決まっている。限られた時間の中で最適解を求められる事が多いのだが、仕事上の問題が本質的な場合、締め切りを再設定して、検証のプロセスを強くする必要がある。そこを見極め、問題に対し、先程の二つの方法を自分の思考の中で、仮に動かしてみるのだ。十五分と時間を区切ったのは、凡人では、十五分程度が本当に集中できる最長の時間だからだ。凡人の場合、十五分以上、試行錯誤して結果が得られない場合、その後、検討にいくら時間をかけても、得られる結果は、十五分と時間を区切って検討した場合と、大差はない。十五分検討した後、自分が考えた検討結果を、できれば上司、上司がいない、または、信用できない場合は、知見のある第三者に聞いてもらい、方向性が正しいかどうか、判断を仰ぐのが良い。上司、または、知見のある第三者は、これまでの社会経験で、その分野に関する暗黙知を有している場合が多い。それらの者に検討結果を確認してもらえば、その検討結果が間違っている場合は即座に否定されるだろうし、その検討結果が合っている場合は、その方向で事象を深掘りするよう、指示が出るはずだ。この十五分の検証を繰り返す事で、納期のある仕事に対しても、必要十分な検討を実施し、限りなく完成度の高い仕事の結果が得られる、と私は考えている。

 自ら問いを立て、その問いに対する回答を検証する能力は、無くても生活はできるが、この能力がある事で、物事をより深く、精密に理解する事ができる。自ら問いを立て、その問いに対する回答を検証する能力は、典型的な例では、学位論文を書く過程で身に付けられるが、必ずしも学位論文を書かなければ磨かれない能力ではない。自らの日常生活において、ふと気になった事柄に対し、問いを立て、期待できる回答を想定し、検証を繰り返す事は、いくらでも可能である。ここで、自ら立てた問いが、壮大で、一生かかっても取り組むべき問題である場合、その人間は非常に幸運である。そのような問い回答するため、日夜研究に励んでいるのが、大学の教授陣である。あなたも、その仲間入りをしたのだ。自ら問いを立て、その問いに対する回答を検証する能力を磨き、自らの人生を豊かにしてもらいたい、と私は切に思う。

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