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 最寄り駅の中を進みながら、普段よりも歩きやすいなと不思議になったが、見た目のせいでそこそこ避けられている結果だと思い至った。ホームで電車を待つ間も、同じ列の人にはなんとなく距離を空けられた。謝りたくなるが堪える。滑り込んできた電車の窓に映った自分は、相当ガラが悪かった。

 車内は暖房が効いていた。いつの間にかもう十二月で、それなりに厚着の人が増えている。空いていた二人席の窓側に座ったが、乗っている間は誰も隣に来なかった。終点で乗り換え、次の電車の座席でも、隣には誰も座らなかった。

 内心苦笑しながら窓の外を見た。建物の数が少し減って、山の陰が近くに現れる。すっかり住み慣れた遠城家からは、かなり離れていた。兄の住居も逆方向で、俺は今、親が現在住んでいる県へと向かっている。詳しい住所は知らない。兄に一度聞いてみたが、覚えていないと言われた。嘘かもしれない。

 兄は留学予定を取り止めて、返ってきたお金で何回か退院した。そのお陰なのかほんの少しだけ、俺の立場というものについて考えるようになっている。

 母親から通帳を貰ってくると言った俺を、意外にも止めようとしたのだ。

「三春、三春が行かんでも、その、お兄ちゃんが行ってくるから……」

 と、本当に昔の、何かが壊れる前の兄の顔で言って来た。

「いや、でも兄ちゃん、もう約束取り付けてもうたし……それに兄ちゃんが行ってもうたら、言い包められて連れ戻されるんちゃう……?」

「せやけど、三春やって、……お母さんとお父さんからせっかく逃げたのに……今はほら、冬司さんと仲良くして、楽しく過ごしてるんやろ?」

「まあ、それは……そうなんやけど……」

 兄から発せられる慮った言葉に驚きつつ、

「でもほんまに大丈夫やで。一応作戦っちゅうか……多分いけると思う案があるねん」

 不安を払拭するためにもはっきり言った。兄は考えるように眉を寄せて、作戦、と呟いた。

「なにするつもりなん……?」

 本当に心配そうに聞かれたから、俺は大体の内容を話した。兄は頷きながら聞いていて、多分こうなると思うという俺の予想に対し、ちょっと黙ってから複雑そうな顔で肯定した。

「おれも、そうなると思う。……そうなると思うけど、なんちゅうか、嫌やね……」

「あ、そういう感覚、わかるようになったんや」

「感覚がわかるようになった……というか、不快とか拒絶とか言うてもええもんなんやって、わかってきた。ほら、親に言うたら、酷かったやん」

「あー……せやな、うん、メンタルに来る責め方するよな、あいつら……」

 兄と目を合わせて、どちらからともなく苦笑した。

 親が本当に酷かったエピソードをお互いに話した後に、母親に会う日を一応教えた。他にもなにかあっちからの要望などが送られてきた時は、俺のアドレスに転送してくれと頼んだ。兄は快諾してくれて、俺がド金髪にした姿を見てみたいと笑いながら言った。

 全部終わったら見せに来るし、兄ちゃんの通院とかも手伝えるようにする。

 そう伝えて、兄とは一旦別れた。メールの転送などはなく、兄からの要望などもなく、当日の今日、待ち合わせた場所に近付くに連れ、じわじわと緊張し始めている。


 降り立った駅は小さなところだった。人もあまり居らず、改札の出入り口は二つだ。初めて来たが、売店もない。田舎と言える土地だろう。

 親がなぜここに移り住んだかは不明だが、田舎ゆえの土地や家賃の安さが理由かもしれない。なんでもいいが、駅舎の外は住居か田んぼか山という様相だ。待ち合わせの喫茶店がどの辺りにあるのかわからず、改札を出た後に一度立ち止まった。スマートフォンを操作して地図アプリを起動し、目標地設定をしてから歩き出す。

 駅から出ると、土と排気ガスの混じった奇妙な匂いがした。ちょうどバスが発車したようで、田んぼの続く開けた通りを走っていく後ろ姿が見えた。初冬の風が車内暖房で熱くなった顔を冷ましていく。立ち止まっていても仕方がないので、スマートフォンを確認しながら、目的地へと向かう。

 母親にしろ父親にしろ、全然まったく一ミリも会いたくない。あれは親でもなんでもないし、俺が高校卒業と同時に出て行く当日、二度と戻らないと言った俺に対して特に何も返さなかった。兄だけ、追い掛けて来た。一人にしないで欲しいと泣かれたけれど、そんな兄に構える心情じゃなかったし、兄は兄で俺に構える心情じゃなかった。なにもかも、破綻した家庭だった。兄のことばかり言えない、俺だって金がないからと犯罪に走ろうとしていたクズだ。子供が二人もいて、どっちもこれだ。だから遠城が、親なんていなくても妹と二人でちゃんとした家庭を作り上げていることが、どれだけ凄いことなのか俺はわかる。楓ちゃんが明るくて優しい子であることに、遠城がどれだけ努力したのか俺だけはわかる。むこうがわにいるから。轢き殺せば苦労しなくて済むって考えた遠城と、轢き殺されれば苦労しなくて済むって考えた俺は、対岸越しに彼岸を見たんだ。でも生きている。どれだけ親が憎くて会いたくなくて顔も見たくなくても、家を飛び出したあの日のようにはもう逃げない。

 喫茶店の屋根が見えた。目的地周辺だと、地図アプリが教えてくれる。スマートフォンを閉じて、スカジャンのポケットにねじ込んだ。両方の手はそのままポケットの中に入れて、喫茶店に向かって歩いて行く。人は田舎だからか少ないが、駐車場にはぽつぽつと車が停まっている。

 母親には出入り口で待っていて欲しいと頼み、了承を得ていた。扉付近に佇む母親の姿が見えた瞬間に心臓が嫌な速さで鳴った。息を深く吸い込み、吐いて、滲んだ汗をスカジャンの袖で拭った。あっ汚した怒られる、と反射で思った瞬間に肩の力が抜けて、遠城って本当に俺の大事なところにいるんだなと実感した。

 解けた緊張を汗と共に捨てて、扉前にいる母親に近付いた。スマートフォンを眺めていたが、ふっと顔を上げて俺を見た。視線は確実に絡まった。

 俺が目の前に立つと、母親は一歩足を引いて距離を取った。

「よう、久し振りやな」

 出来るだけ威圧的に声を掛けた。母親はあからさまな動揺を滲ませて、鞄の紐を強く握った。

「ひ、人違いちゃいますか……?」

 そう言われた瞬間、心の中でガッツポーズをした。

 俺と兄の予想は当たっていたのだ。

 親が俺のことを覚えているわけがないし見た目を変えてしまえば気付きもしないという、親としては最悪で俺たちからすれば最高の現実が、目の前で青ざめていた。

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