7
『仕事の邪魔したいんか? 何の用やねん』
電話に出るなり遠城は怒った。当たり前なのでそれは謝りつつ、不安そうにしている兄を連れてコンビニからは出た。
駐車場の隅に立ち止まり、兄にもちょっと待つよう身振りで伝えてから、
「もうすぐ昼飯の時間やろ、一緒に食べたいんやけど……昼休憩で出てこれへん?」
本題に入ると溜め息が聞こえた。
『お前今日、メンヘラ兄貴に会うてくるて言うてへんかったか?』
「ああ、うん、……そのー、兄ちゃんも一緒に……」
『はっ?』
本気で驚いた声を出された。経緯を説明しようとするけれど、そわそわしている兄が視界の端に映って一旦やめた。
「いやあの、やっぱ代わりにやってくれとかやなくて、ほんまに普通に……えーと、ほぼ唯一くらいの身内な兄ちゃんに、俺の大事な人を紹介したいなー、みたいなやつなんやけど……」
『……やっぱ斜め上のこと言い出したやんけ……』
遠城はちょっと待てと言い、天宮さんに話し掛けた。なんとなく聞こえて来た会話内容は昼休憩のタイミングについてで、後で遠城にも天宮さんにも土下座の勢いで謝ろうと決めながらとりあえず待った。
『お前今どこや』
「バイト先のコンビニ……」
『店指定してええな?』
「もちろんです、従います」
『メールで送るわ。あと……』
遠城は少し声を潜めてから、
『このメンヘラあかんわと思ったら脅して逃げ帰らすぞ』
淡々と物騒に言った。従います、と返すしかなかった。
なんせ兄が楓ちゃんを探して彷徨いている不審者であることに変わりはない。
「三春……?」
電話を切った瞬間、兄は怯えたように話し掛けてきた。
「三春の大事な人て、怖い人なん……?」
「え? いや、……わからん、でも優しいし俺のことめっちゃ気にしてくれるというか……」
「せやったら、いい人やん」
兄はふっと緊張を緩め、どこ行くん? とふつうの様子で聞いてきた。その直後に遠城からメッセージが届き、表示されたリンク先は駅に近い定食屋だった。遠城の家がそれなりに離れていて、兄が把握している範囲内という選択だとはよくわかった。
店名と場所を兄に教えながら、近くのバス停に戻った。ふと振り返り見たコンビニには家族連れがぞろぞろと入っていくところで、昼飯時の空気感になっていた。
遠城が乗ってきた黒い車体のネイキッドバイクに兄は引いていたが、兄が俺にメニューを決めさせる様子に遠城は引いていた。
席決めも中々地獄だった。兄の隣か遠城の隣かちょっと悩んでから遠城の隣に腰掛けると、兄は心細いのかあからさまに消沈した。遠城はやっぱり引いていた。こいつ大丈夫か? という目を兄に向けていた。
届いた唐揚げ定食、豚汁定食、日替わり定食がそれぞれの目の前に置かれてから、遠城が溜め息混じりに俺を見た。
「で、オレは何したらええねん」
「えっ、いや、別になんも……」
「名乗らん方がええやろが、こいつにどう話すんねん」
相変わらずオブラートがない遠城を、兄はぽかんとした顔で見つめた。気持ちはわかった。俺が話すからと遠城には言い、兄へと視線を向け直した。
「兄ちゃん、この人、俺の恋人やねん」
同性だし引かれるかもなと思いつつはっきり口に出すと、兄はなぜか笑顔になった。
「結婚詐欺するん?」
次いだ言葉につい噎せた。豚汁定食を食べかけていた遠城も、驚いた顔で正面を見た。
「いや、兄ちゃん、そういうのちゃうんやって……お金の心配はとりあえずもうないて言うたやろ……?」
「そうなん? せやったら、ふつうに結婚するん?」
「いやそれは、日本やと無理で」
無理ちゃうよー、と兄は軽く言い、
「パートナーシップ制度を取り入れた自治体は三百以上あるやん。法的拘束力はあらへんから遺産相続とかは無理やけど、保険受け取りは可能な場合があるし、家族関連の福利厚生に対応してる会社も増えてきとるよ」
異様に詳しく説明を加えた。
ちらりと隣を見ると、今度は遠城がぽかんとしていた。
「お前の兄貴なんやねん……」
「いや……頭はええというか……とにかく兄ちゃん、結婚もそのパートナーシップもとりあえずする予定とかはないんやけど、この人は俺の恋人やし大事な人やから兄ちゃんに紹介したかってん、そんだけ」
言い切って無理矢理話題を終わらせると兄は特に追うことなく頷いて、日替わり定食を食べ始めた。日替わりのアジフライは揚げ立てで美味しそうだった。
食事を進めながら兄に大学の話を振り、講義内容や春からの留学について聞いた。遠城は黙って豚汁を啜っていたが、兄が留学先で何をすればいいか俺に聞き始めたところで、
「わからんなら行かん方がええやろ」
黙っていられなかった様子で口を挟んだ。
「オレは留学なんてしたことあれへんからようわからんけど、ホームステイ先とかあるんやろ?」
聞かれた兄はさっと背筋を伸ばす。
「え、あ、ある……と、思う」
「そこの家族とか受け入れ先の家主に、神近……三春に何でもかんでも聞いとるみたいなことしたら、追い出されるんちゃうか。そこまでせんにしても評価めちゃくちゃ下がるやろ、そんなんで留学しても金無駄なだけやんけ」
「せやけど、大学の講師が、行かなあかんて……」
「せやったら、三春が行ったらあかんて言うたら行かんことにするんか?」
兄は口を閉じた。本気で困った顔をして、でも申し込みはしてしまった、と唸るように呟いた。
「なんぼでもキャンセルできるやろ。……いや別に、神近さんが行きたいんやったらそうしたらええけど、三春が結婚詐欺とか当たり屋とか言い出すくらいアホほど無理して作っとる金やってこと忘れてしょうもない留学してきたら、こいつが許してもうてもオレは許されへんねん」
兄と同時に俺も遠城の顔を見た。しれっと三春と呼ばれているむず痒さとか兄をちゃんと神近さんと呼んでいるとか、そんなところがわりとどうでもいいくらい、言葉を失った。
「三春のこと、そんなに好きなん……?」
俺が失った言葉を兄が代わりのように口にした。遠城は溜め息をつき、何も言えないでいる俺の頭をがしがしと掻き回して撫でた。
「こいつみたいに、どえらい逆境やけど頑張ろうとしとるやつ、そうそう嫌いになられへんやろ」
そうなんだ、とか、間抜けな返答をしそうになった。
遠城なりに褒めてくれて遠城なりに好きだって言ってくれていることがわかったから、なんて答えればいいかわからなかったし、単純にめちゃくちゃ恥ずかしくなった。
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