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「まあ、そんなわけや。オレのためにもオレはお前を放り出さん」

 遠城は言い切ってから俺の手を離した。俺はなんて返せばいいかわからなくなり、困ってしまった。責任感というか、理念というか、遠城の中で構築されているものの強さはあまりにも遠いのに、あの日のヘッドライトのように眩しかった。

「神近、さっさとメンヘラ兄貴の話すんぞ」

 言われてからはっとする。そもそも、その話をしにきたんだった。

 伝え忘れていた兄の楓ちゃんへのストーカー疑惑を細かく説明した。兄は楓ちゃんの高校付近に出没し、楓ちゃんと柊くんに見つかって、柊くんの方が一度先生に相談したから校門に見張りがついて、そのあとは学生が使用する駅前に現れるようになった。現状はここで、楓ちゃんが通報などをせずにひたすら隠れて逃げているのは、俺の兄だからって理由。

 ここまで話すと、遠城は噛み砕くようにゆっくりと頷いた。

「流れはわかった。そんでお前はどうしたいねん」

 踏みっぱなしだった俺の足を開放してから、単刀直入に聞いてきた。

「……絶対無理やろってのを置いとくんやったら、兄ちゃんには楓ちゃんを諦めて大学に専念してもろて、楓ちゃんには安全な生活をして欲しい、ついでに俺が色々手配せなあかん状態を解消したい……んやけど、とりあえず春まで楓ちゃんを守れれば一旦の解決はできる」

「春まで?」

「うん、兄ちゃん短期留学……やっけな、とにかく春から海外留学に半年くらい行くねん。今が十一月やから、三月までの三、四ヶ月の間、俺が兄ちゃんの部屋に居座って監視すればどうにかなると思う」

 遠城は口元に指を当てて黙った。何かを考えているようなので見守っていると、

「帰って来たあとは?」

 当然のことを聞かれた。

「また俺が監視役になるよ。高校は割れてもうてるけど遠城の家はわからんみたいやから、進学やら就職したら追えんようになると思う。……楓ちゃんて今二年生やんな? 進路は?」

「県外の学校行くらしいから家出るつもりみたいやけど、……それももしかしたら、お前が俺の家にずっとおる前提で決めたんかもな。俺と神近がラブラブで過ごせるように出て行こうって腹積もりかもしれん」

「…………そうなるとまた複雑やん」

「せやな、なんせお前が家出てメンヘラの監視役になりに行ってもうたら、ほな兄貴が一人にならんように家に残るって言い出す可能性はある」

 容易に想像できたので頷いた。ならどうしよう、楓ちゃんが納得するように彼女をなんとか説き伏せた方がいいのだろうか。でも性格や遠城への態度を見ていると兄貴優先の場面が多いから、俺が出て行くって時点でめちゃくちゃ嫌がるのは目に見えている。

 うーん、とつい唸ってしまった。俺の隣で遠城はまた何かを考え込んでいたが、ふとこっちに視線を流した。

「メンヘラ兄貴をオレが本気で脅して、二度と楓に近付かせんようにするんはあかんか?」

「えっ……」

「そこそこ脅せる自信あるぞ」

 やけに自信ありげな強気な発言だ。俺も初見は遠城をかなり苦手だったし怖かったんだから、高い確率で出来るとは思う。兄は俺がキレただけでも怖がっていたくらいだ。暴力には屈するだろう。

 でも、なんていうか、

「お前にやってもらってばっかやん……」

 ぽろりと溢した言葉に、遠城は怪訝な顔をした。

「ええやんけ別に、何が気に入らんねん」

「何がって……」

「相談しに来たんはお前やろ、オレに手伝えって話やんけその時点で」

 いや、と反射的に否定を挟む。

「楓ちゃんの保護とか……ケア? みたいな部分を、遠城にしてもらわなあかんと思って……それにもう俺が兄ちゃんのこととか全部話さな余計状況悪なるやろうし、っていう」

「楓のケアはまあまあぞっこんで献身的な柊のほうが向いてんちゃうか」

「いやそれでも、……その、」

「今度はなんや」

「……遠城に全部やってもらうんめちゃくちゃ情けないやん、今でも大体ヒモみたいなもんやけどさ、なんかもっと、……まともな彼氏になりたいっちゅうか……付き合ってても劣等感ばっかやし全然釣り合い取れてると思われへんし、そんなんお前にも失礼やん……?」

 遠城は口を閉じた。俺は隣を見られなかった。じわじわと、あれめっちゃ恥ずかしいこと言うたかもしれん、と焦り始めた。

 やがて溜め息が聞こえた。三回目か四回目かの溜め息だった。恐る恐る遠城に視線を向けると、予想外に複雑そうな顔をしていて不意をつかれた。

「そういう話か……」

 遠城は呟いてから、こっちを向いた。

「悪かったな、今まで」

 急な謝罪だった。返す言葉に困っている間に、遠城はスマートフォンを取り出し時間を見てから、俺の胸倉を掴んだ。

「えっ、な、なに、」

「脅し方教えたるわ」

「えっ?」

「体で覚えろ、ほんでお前がメンヘラ兄貴ビビらせて二度と楓に近付かんようにしてこい、ええな?」

 遠城の顔は真剣で、凄みがあった。俺は意識しないままわかったと答えて、遠城の手首をぎゅっと掴んだ。

 正面にある目が真っ直ぐに、対等に俺を見つめている気がして、自惚れかもしれないけど少しだけほっとした。

 遠城の隣にいても良いのかもしれないと、初めて思えた。


 朝の通学時間帯は予想よりも混んでいた。ブレザーに身を包んだ学生たちがばらばらと駅の出入り口から現れる。生徒自体の数だけでなく、ショートカットの女生徒も案外多い。学年でリボンや校章やらが色分けされていたりもしないため、遠城や俺でも見付けられないとは思う。だから一度会っただけの兄には、余計に探せないだろう。

 楓ちゃんは柊くんと一緒に、もう一本早い電車で登校した。だからこの人混みの中にはいない。ふう、と思わず息をついた。多分それなりに緊張していた。

 渋谷のスクランブル交差点さながらの混み具合を、俺は少し離れた場所のベンチから見ていた。

 ブレザーばかりの集団に紛れる、私服の男は中々目立った。俺は立ち上がって歩き始めた。

「兄ちゃん」

 声を掛けると、兄は驚いたように振り向いた。申し訳なさそうにしたり、見つかったことに焦ったり、謝ったりするかと思ったがまったく違った。

 兄はぱっと笑顔になった

「三春やん、もしかしてあの女の子連れて来てくれるん?」

 んなわけあるかカス、と声に出しかけたが一旦留めた。

 こんな兄と本当に会話になるのだろうかとすら思ったが、引くわけにもなあなあにするわけにもいかない。

 脅してストーカーを止めさせなくては。物騒なことを考えながら、俺は兄の手を引いた。

 学校に向かう生徒たちがちらちら視線を送ってくる中、俺達は集団の流れからはみ出した。

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