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 遠城は一旦料理の手を止めてくれた。味噌汁になる予定の鍋の火を緩め、俺の顔を真っ直ぐに見た。

「お前がオレだけやのうてコンビニの英さんやら冷凍倉庫のおっさんやら、誰相手でもなんもかんも話さんのはわかっとるけど、オレ指して聞かれたないっちゅうのはなんでやねん」

「一個ずつ、説明する。まず遠城に協力してもろてどうにかせなあかん問題から言うんやけど」

「おう、なんや」

「俺の兄貴が楓ちゃんのストーカーになってる」

 遠城は一瞬固まったあと、眉間に皺を寄せた。

「なんでやねん、なんでそうなったんや」

「偶々……ほんまに偶々、俺が兄ちゃんと会うとるときに、楓ちゃんに見つかってもうた」

 説明ついでに、リハビリをサボって兄と会っていたのだとも白状する。遠城は深い溜め息を吐き、握った拳で俺の左肩を小突いた。

「呑気にリハビリをサボっとったから、その時に楓と遭遇したことをオレに知られたなかったわけか」

「いや、それはほんまに違う。そもそも楓ちゃんにも知られたなかった、兄ちゃんのことは」

「冷凍倉庫に鬼電したっちゅう、メンヘラ兄貴やろ? そら関わったら面倒やろうけど、顔合わすくらいやったら何もならんやろ」

「そうやなくて、色々事情があんねん。……俺が家探さんかったりバイト掛け持ちしたりめちゃくちゃ金策しとんの、兄ちゃんの学費にほぼ全部突っ込んどる……から、やねんけど、っ」

 言い終わるや否や胸倉を掴まれた。そのまま殴り飛ばされるかと身構えるが、遠城は舌打ちをしてから突き飛ばすように手を離した。

 苛立った表情に息が詰まった。でも、自分が撒いた種でしかない。黙っててごめん。謝罪を挟むと、遠城は何も言わないまま、鍋の中に味噌を溶かし始めた。

「……まあ、そのカス話は一旦置いとくわ。お前の兄貴が楓のストーカーになったんはなんでや」

「それは、そのリハビリをサボって楓ちゃんに見つかった日に、兄ちゃんが楓ちゃんに一目惚れしたんやけど」

「お前の兄貴は一目惚れしたら即ストーカーする犯罪者予備軍なんか?」

「俺のせいもあるかもしれん。遠城と楓ちゃんに絶対関わらせんの嫌で、絶対近付くなってキレてもうたから……俺に隠れて探したんやろうな」

 遠城は鍋から離れ、フライパンを隣のコンロに置いてから俺に横目を向けた。

「お前がキレるとこ想像つかんな」

「俺も、自分でびっくりした」

「……せやけど、楓はストーカーなんかおったら通報やらなんやらするやろうし、彼氏の柊も横におるんやから、対処、くらい……」

 遠城は目をじわじわと見開いていき、

「……お前の兄貴やからか」

 正解を口にした。

「そう、そうやねん。だから俺が全面的に原因で、でも一人ではどうにもできんから遠城に今相談しとる」

「あー……ダルいな、警察沙汰にしたらお前が引き取りに行ったりすることになるんか。ちゅうか、親は? 兄貴の方を可愛がっとるって言うてたやろ」

「更にダルくしてごめんなんやけど、俺が兄ちゃんの学費出してんのはあの人が親のとこから逃げて来たようなもんやからやねん」

「……、そんなんお前が」

 遠城はここで突然会話を切って、俺にパックの豚肉を押し付けた。何、と聞く前に階段を降りてくる音が聞こえて来て、俺は慌ててフライパンの前に移動した。その間に遠城は冷蔵庫に行き、もやしと味付け用のタレを取り出した。

 階段を降り切った楓ちゃんが、ダイニングの扉を軽やかに開けた。

「あれ、二人で料理してんの? 珍しー」

 聞かれていなかったか不安になりつつフライパンに油を垂らす俺の横で、遠城はよく見る無表情を楓ちゃんに向けた。

「こいつがこの時間におんの久し振りやろ、手伝え言うた」

「あ、たしかに! 神近さん腕良うなって来たと思ったら仕事ばっかやもんなあ」

「もういつでも放り出せるくらい元気になりよったわ」

「えー、ずっと一緒でも別にええやーん」

 楓ちゃんは食卓につき、そのメーカーのタレ好きー、と明るく言った。

 横目で遠城を見る。素早く合った視線に、話は後で、と牽制された。無言を了承として返し、フライパンの中に豚肉を放り込む。

 料理ができないわけではないが、遠城と場所を交代した。冷蔵庫から作り置きのきんぴらを出せと言われたので従い、三人分を器に出してさっさと食卓に置きに行く。

「神近さんて、好きな食べ物なに?」

「え? えーと……なんやろ、食えるもんやったら、なんでも……」

「食の解像度低すぎひん? なー兄貴、神近さんに美味しそうなもん食べさせるツアー行こうよ」

「それこの前の温泉でやったようなもんやろ」

「あ、そっか」

 遠城兄妹が話しているうちに遠城の隣へと戻った。手際良く肉を焼いてもやしを追加している様子をまじまじと眺め、全然手伝えていないが手伝っている風を装っておく。

 料理はすぐに仕上がった。更に盛られたもやしと肉の炒め物を食卓に運び、三人分の味噌汁もそれぞれの場所へと置いてから、特になんでもない顔を意識して作って自分の席についた。

 遠城も座ったあとに、夕飯を食べ始めた。楓ちゃんは機嫌が良さそうで、友達と電話していたからかなと思ったが、俺と遠城を交互に見ているので違うとわかった。楓ちゃんは俺たちが仲良くしていると嬉しいし、ブラコンを自称したからには遠城がまともに恋人を作ったことが嬉しいし、それはストーカーなんてされていても変わらなくて自分よりも優先する事項になっている。

 なんとかしなくてはいけない。楓ちゃんが悲しんで、傷付くような事態は絶対に避けなければいけない。

「神近」

 はっとして顔を上げる。遠城はゆったりと味噌汁を啜ってから、鋭い眼光で俺を見た。

「久々に顔合わせたんや、散歩でも行くか」

 何が言いたいかはわかった。無言で頷き、念のため楓ちゃんの方へ顔を向ける。彼女はむくれつつ首を振った。

「私は行かへんって! デートやろ、二人で行ってきな!」

 言質を取れたので安堵し、ほな二人で、と遠城に話し掛けた。遠城は無表情で頷いてから、視線を楓ちゃんへと移動させた。

「遅なるやろうから勝手に寝ててええぞ」

「オッケー、ごゆっくり!」

 楓ちゃんは笑顔で親指を立てた。二人でいちゃついてくると思っている顔で、更に安堵した。


 遠城より先に外に出たが、意外と空気が冷えていた。上着を取りに戻ろうとしたところで遠城が玄関先に現れた。手には俺のぼろぼろパーカーを持っていた。

「あ、おおきに」

「なんぼ金ない言うても、上着くらい買えや」

「まあ……そのうち」

「絶対買う気ないやつやんけ」

 遠城はパーカーを投げ寄越した。ありがたく着込んでからとりあえず歩き始めるが、どこに行くかはまったく未定だ。あまり人に聞かれたくない話をする自覚があるため、声の響く外は避けたい。

 そう話すと、遠城は考えるような重たいまばたきを落とした。

「オレにはラブホかカラオケしか思い付かんな」

「ラブホ……は、やめよう」

「カラオケのが安価か」

 いや、と反射で否定を挟んだ。

「話の途中で、その、……催したら困るやん」

「ぶっ……」

 ははは、と軽やかな笑い声が続いた。ちょっとびっくりして見上げると、明るい笑顔にぶつかった。遠城はジャケットのポケットに手を押し込んで、ほなカラオケな、と笑い混じりの声で言った。

 遠城がまともに笑うところを久し振りに見て、やっぱり好きだなと呑気に思った。

 

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