傲岸

1

 もう夜にかかる時間とは言え、暗くなるのがずいぶん早い。辺りに陽の光はなくて、夜空には雲がぶつ切りに浮かんでいる。

 深まった秋が一瞬で冬になるのを感じながら、自転車を漕いだ。頬に当たった夜風が冷たかった。

 遠城モータースのシャッターは降りている。日曜だから元々休みだが、飛び込みの修理依頼があると開けていることもある。今日はゆっくりできたらしい。安堵と不安を同時に抱えながら、玄関扉を開けた。

「よう、おかえり。なんや久し振りやな」

 ダイニングにいる遠城が出迎えてくれた。上下ジャージ姿だったけど、それでも充分男前だ。

「ただいま。……仕事ばっかやから、遠城だけやなくて、楓ちゃんとも会わんわ」

 わざとそうしているわけではない。単純に、金がいる。借りた分をさっさと返さなくてはいけないし、他にも、色々。

 その色々を説明しないまま、台所に立っている遠城に近付いた。

「楓ちゃんは?」

「二階で彼氏か友達と通話しとる」

 友達だな、と思いつつ、

「相談があんねんけど」

 ちょうどいいから切り出した。遠城は大根を切っていた手を止めて、横目で俺の顔を見た。

「なんや」

「そろそろ出て行く、って相談」

 遠城は目を逸らし、いつ、と短く聞いた。大根を切る動きが再開される様子を見つめてから、今月中、とできるだけ平坦に返した。

「ほうか。アパート見つかったんか」

「まだ本決まりちゃうけど、冷凍倉庫の上司が、職場近くていい物件あるって、教えてくれて」

「良かったな」

「うん、……それで、」

「ついでに別れるって話になるか?」

 先回りで聞かれた。口籠っていると、鼻で笑われた。

「神近。オレが短気やったら刺しとるぞ」

「えっ、いや、……違う、別れ……たくは……ないんやけど……」

 遠城は切った大根を沸騰している湯の中に放り込んだ。手早く調味料を入れ、弱火にしてから体ごとこっちを向いた。

「ほななんやねん、はよ話せ」

「……、前置きなんやけど」

「なんや」

「俺ほんまにこの話は絶対死んでも遠城にだけは聞かせたくなかった」

 眉を寄せる姿を見てから、俺は口を開いた。楓ちゃんと柊くんと、何よりこんな段階でも話を聞いてくれる遠城のために、最悪な相談をするしかなかった。


 人の多いところは嫌だと言われ、柊くんとコンビニの影で向き合った。背は俺と同じくらいだが体格は良くて、背負った竹刀から察するに剣道部だ。

 柊くんは俺の買ったジュースを受け取り、丁寧にお辞儀をしてから、蓋を開けずに俺を真っ直ぐ見た。

「神近さんのお兄さんが、楓のストーカー……みたいに、なってるんです」

 意を決した相談だった。返せる言葉を探している間に、柊くんは順を追って説明してくれた。

「神近さんと冬司さんが出掛けてはる間、おれは楓を家まで送り迎えしてたんです。それは全然ええんですけど、……送りは暗いし女の子一人は危ないしわかるとして、朝も? とは、思ったんです。せやから楓に聞いてみたら、はじめは濁して教えてくれんかったけど、最近ストーカーみたいなんがいる、って、めちゃくちゃ言いにくそうに話してくれて。先生に言おうとか警察行こうとか言うたんですけど嫌がられて、でも楓は、ストーカーとかおったら即通報、ってタイプな気がして変やなって……それに普通に心配やし、もうおれの独断で先生に相談してみたら、後から楓にめちゃくちゃ怒られたんです。神近さんが出て行ってまうやん、って」

「……ごめん、完全に俺のせいやん……」

「はい、あっいや、……でも、間接的にはそう……なんですよね?」

「うん。俺の兄が楓ちゃんのこと気に入ってもうてたんはわかってたけど、問題がある人やから諸々の話を……俺は、」

「神近さんが冬司さんに聞かれたくなかったらしいって、楓には聞きました」

 頷いて、再び謝罪を口にする。兄からは連絡がある度にこっちには直接来るな、楓ちゃんには関わるな、金なら出すから大学のことだけ考えろと返していたが、道筋を決めても言うことを聞かなかったことは失態極まりない誤算だ。

 そもそもなぜストーカーが出来たんだ大学には確かに行っているんだから虱潰しに探す暇はなかったはず、と考えはするけど明白だった。

 楓ちゃんと出会した時、彼女は制服を着ていた。

 そこから割り出して特定したんだ。

「俺が楽観的やった、ほんまにごめん」

 頭を下げると、柊くんは首を振った。

「神近さんは悪くない、とは、……すみませんおれは言えないんですけど、でも、力になって欲しくて」

「何でもするわ、言うて」

 即答に柊くんは驚いた。何かと思えば、

「楓やら冬司さんに聞いてたより、はっきりした人やなって……」

 そう言ったので苦笑した。

「楓ちゃんと付き合うてるならわかるやろうけど、俺は俺で遠城がめちゃくちゃ大事でなんとか普通に幸せに暮らしといて欲しいねん。それに加えて俺の身内のせいなんやし、俺が動かなあかんやろ。せやから何でもする。兄ちゃんがどこでどうストーカーしたかとか、全部教えて」

 言い切ると、柊くんは真剣な顔になって頷いてから、話し始めた。

 兄は学校周辺を彷徨くようになっていて、楓ちゃんを探している様子だった。でも楓ちゃんは兄の顔を知っているし俺が「関わったらあかん人」と言ったことも覚えていて、なんとか見つからないように登下校している。自宅周辺では見掛けていない。柊くんは楓ちゃんの送り迎えを続けていて、その間に二回ほど兄の姿を見た。校舎周辺の道を歩いていて、不審な動きもせずに、普通に散歩のような雰囲気だから、登下校中の生徒が変に思ったりはしていないように見えた。自分が相談した先生だけは気にして校門に立ってくれるようになったけど、兄はそのことに気付いたらしく、電車通学の生徒が降りる駅前に現れるようになっている。

 話し終えた柊くんは重い息を吐いた。楓が気付かれる前に何とかしてくださいと付け足してから、俺に向けて頭を下げた。

 俺は柊くんに聞いた話を頭の中で繰り返しながら頷いて、今度こそ覚悟を決めた。

 遠城が、遠城たちが、何事もなく暮らすためには、早くあの家を出て俺の問題を片付けるしかない。

 後手後手で他にろくな繋がりもないからって、いつまでも兄の言いなりになって金を出しているだけじゃもうどうにもならないくらい、俺は他人の人生に立ち入ってしまったんだってことを、ちゃんと受け入れなきゃ駄目なんだ。

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