13
早朝から自転車でコンビニに向かった。いつの間にか外は寒く、十月ももう終わりだ。
同じシフトに入っている大学生の後藤さんは既に更衣室にいた。挨拶をしながら制服を着込み、タイムカードを押してレジの中に出る。俺達と入れ替わりで更衣室に戻った副店長は眠そうだった。深夜勤務は辛いとこぼす背中には疲労が見えた。
朝は通勤時間にかかるため、客の数が多い。必死でレジを打っている間に時間は過ぎて、余計なことを考える暇はなくなった。ありがたかった。無心で値段を読み上げてお釣りを数えて、流れ作業のありがとうございましたを口にした。
「そういや神近さん、温泉行ってはったんですか?」
客が途切れるや否や、考えないようにしていたところを後藤さんに聞かれた。
「あー……はい、まあ……」
「ええですねー、彼女とかです?」
「いや……そう……ですね」
脳裏に浮かぶ遠城の顔は、あの寂しげな表情だ。温泉は満喫して、色々な話を聞いて遠城の生い立ちがわかって、それなりにいい感じだったはずだけど自分で駄目にした。
つい溜め息が出た。後藤さんは察したらしく、
「け、喧嘩くらい、付き合うてたらよくありますよ。僕もよく彼女怒らせますし……普通です、普通」
慌てて慰めてくれた。気遣いはありがたかったが、喧嘩ともまた違うので曖昧な返答しか出来なかった。
まだなにか言いたそうだったけど、客が一気に入ってきて話題は途切れた。
俺はもう無心でレジは打てず、今頃はバイクを修理したりカスタマイズの相談に乗ったりと忙しく働いているはずの遠城のことを思い浮かべた。
温泉に行ってからは、もう一週間は経っている。
空気の読めない発言をした俺は、二階に消えた遠城を急いで追った。でも、部屋には入れてもらえなかった。こっちの整理も待てんカスという言葉を思い出しつつ、引き下がるしかなかった。
不用意なことを言ったと自覚していた。この家を出ても遠城と別れるわけではない、と、俺の方は漠然と考えていたが、遠城は違ったのかもしれない。でも別れないにしろ、兄のことがあるからにはずっと続けられる関係でもないか。
翌日に顔を合わせた遠城はいつも通りだった。俺の失言については何も言わず、無表情で朝食の食パンを食べていた。お前も食うか、と聞いてきた声も普通だった。自分で焼くと言えば頷いて、コーヒーだけを用意してくれた。
蒸し返すな、と言われている気もした。バスケ部の朝練に行くという楓ちゃんは俺達の様子をじっと見つめていたけど、普段通りだと思ったらしく口を挟んだりはしなかった。
楓ちゃんを見送ったあと、遠城は食器を片しながら、神近、と静かな音量で俺を呼んだ。
「いつ出て行ってもええけど、勝手に出て行くのだけは止めろよ」
言われた途端に理解した。
遠城は、両親のように行方知れずになるような出て行き方だけはするな、と暗に言っていた。
俺の発言は塞がった傷の上に刃物を当てたような失態だったのだと悟った。
「俺、ほんまカスやん……」
早朝バイトが終わった瞬間につい独り言で自虐した。一緒に更衣室へと戻った後藤さんが、微妙に困惑しながら慰めてくれた。喧嘩をしたと話していた彼女とは別れたらしく、つい無言になってしまった。
「でも神近さん、倦怠期越えるんってわりと大変じゃないですか?」
「まあ……言いたいことはわかるよ」
「こいつ無理やわ、って思うとこが見えてきてまうんですよね。僕というより、彼女がそうやったみたいですけど。カードゲームにハマってアホほど買い込んでたらドン引きされて」
「……趣味の不一致は、こう、……辛いな」
「かと言って趣味が合う子やと、今度は趣味に対するちょっとした姿勢の違いが喧嘩の種になるんですよ」
「どっちも、ちょっとずつは歩み寄る……というか、我慢できる範囲とかを、考えなあかんのやろな……」
後藤さんは頷き、
「神近さんてなんやろ、ふわふわして見えるけどめっちゃリアリスト? ですよね」
褒めか貶しかわからない感想を言った。
「リアリスト……そう見える……?」
「はい。いや、僕からしたら十歳は上の人なんで、余計そう思うんかもしれないですけど」
「まあ、でも、夢とか……将来の展望とか……ないな、うん、そういう意味やったら、リアリストかもしれへん」
「え、彼女さんと結婚とかは?」
「あー……したくても、なんか、色んな意味で無理ですね……」
話しながら外に出た。後藤さんは踏み込みきれない様子で、色々あるんですねと話を締めくくった。
これから大学に行くという彼を見送ってから自転車に跨った。遠城家、ではなく、このまま一時間ほど漕ぎ続けて冷凍倉庫に向かう。勤務時間よりは早めに到着するが、コンビニからもらった廃棄の弁当を休憩室で食べる予定だからそこそこいい時間にはなる。
冷凍倉庫からの帰りももちろん自転車だ。がっつり深夜で一時間以上漕ぎ続けるが、仕方ない。いつまでも遠城に送り迎えさせるわけにはいかないし、右腕の具合はかなり良いし、怪我の休養で衰えた体力を取り戻さなくては休みなし勤務が難しい。
それに、急に出て行って行方不明という状態にだけはなりたくない。遠城のために俺が出来ることなんて本当に少ないから、せめて誠実でありたいと思う。
だから俺はペダルを踏んだ。一時間かけて冷凍倉庫に辿り着き、弁当を食べて働いた。忙しいと思考時間は削られて、それも今の俺にはちょうど良かった。感情を抑えようとして自分を殴る暇もないくらいじゃないと、まともに生きていける気がしなかった。
真夜中までたっぷり働き、自転車に乗って遠城家に戻った。もう午前三時前で、明日も朝昼シフトのコンビニに行ってから冷凍倉庫に向かうから、睡眠時間は四時間くらいだ。シャワーは朝に浴びる。もう眠っている二人を起こさないように階段を登り、部屋の中へ滑り込んだ。
遠城の母親の部屋は、いつ入っても時間が止まっている。今ではほとんど使われないビデオテープに、アナログのままの分厚いテレビ。背表紙の褪せた本が棚の下段で静かに息を殺している。
その中のベッドに横たわり、目を閉じて、聞いた過去の中にいる遠城を探す。置いて行かれた子供の遠城が、どんな思いだったのか考えてみる。でももちろん何もわからない。こいつ無理やわって思うとこが見えてきてまうんですよね。後藤さんの言葉を反芻しながら、睡魔の中に思考ごと飛び込んだ。
十一月に入っても俺は忙しく働いた。遠城兄妹の顔を見る時間は大幅に減って、兄は大学が忙しいらしく偶に来る連絡はなんの科目を取れば良いかというような、大学に関するものばかりだった。お金は振り込んだ。遠城が生活費を出してくれているからなんとか貯めた分と、返済出来る範囲内で金融機関から借りた分で、どうにかした。
腕はもう前までのように動かせた。そろそろ出て行くという話をしようと、思っていた矢先に俺のところに人が来た。
冷凍倉庫は休みで、朝から夕方までコンビニで働いた日のことだ。タイムカードを押して更衣室から出た途端に、出入り口前で待っていた相手に掴まった。
「神近さんですか」
「そう、ですけど……」
彼は制服で、ブレザーで、袋に入った竹刀を背中に下げていた。
「おれ、柊正貴です。楓……遠城楓の、彼氏です」
突然の訪問だった。なんで俺のところにと不思議になりつつ、挨拶を返すと詰め寄られた。
「あの」
「な、なに……?」
「神近さんのお兄さんの話なんですけど」
俺はどんな顔をしただろう。柊くんは目を見開いて一歩下がってから、相談があるんです、と慎重な声で告げた。
まったくいい相談じゃないことは明らかだった。俺は黙って、頷いた。
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