12
やがて遠城が、やれやれと言いたげに溜め息を吐いてから、
「お前のことほんまに轢き殺しといたら良かったな」
突然殺意を向けてきた。
「と……飛び出して轢かれて来よか……?」
びっくりして思わず提案するが、しなくていいと怒られる。
「比喩や、比喩」
「いやでも、……前に言うてた、轢き殺しといたらなって思うって話の……そういう、俺へのヘイトやんな……?」
「あー……まあ、そうなんやけど」
遠城はらしくなく濁し、店舗の入口からは離れて、駐輪場の壁に凭れかかった。隣には並ばず正面に立つと何とも言えない顔を向けられた。少し苦しそうで、つい距離を詰めるが腕の側面で押し戻された。
「オレは、あんま身の上話したないねん。特に母親のこと」
「そ、そうなん、」
「せやけどお前には上手くいかん、それが慣れんから他責してもうて、そうなる自分にアホほど腹立って来んねん。別にお前のせいちゃう。オレの問題や、気にせんでええ」
「……、……いや、でも、悩ませてるんやったら、俺のせいやと」
「ちゃう言うたやんけ、耳ないんか? こっちの整理も待てん早漏のカスが、突っ走ってほんまに事故死しても責任持たれへんぞボケ」
オブラートのなさは慣れているが、遮断するような強い拒絶は珍しかった。でも引きたくなくて、遠城にだったら俺だって色んな相談聞くしなんだってしてやりたいし複雑な過去を聞いても変な目で見たりしないのにと思い浮かべるが、思いっ切りブーメランで返ってくると気付いてしまって結局口を噤んだ。
俺と遠城は、やっぱりどこか遠い。擦り合わせると、擦れ違う。
「……さっさと弁当買うて帰るぞ」
しばらく無言でいた後に、壁から離れた遠城が棒立ちの俺を促した。もういつもの雰囲気で、だから俺もいつも通りに頷いた。
明るいスーパーの中の騒がしい店内放送を聞きながら遠城が話した行方不明の親について考えてみたけれど、轢き殺しといたら良かったという遠城の声が最後に残った。
遠城と向かい合わせで弁当を突付いている時に、楓ちゃんが帰って来た。やたらと上機嫌なので、彼氏の家でご飯を食べてきたからかと思えば違った。
「温泉で何してきたん? 楽しかった? 兄貴が誰かと二人で旅行とか初めて見たわ、土産話ないん?」
遠城は咀嚼していた唐揚げを飲み込んでから、
「神近、パス」
普通に丸投げしてきた。楓ちゃんの視線がこっちを向いた。
「神近さん教えて〜、何してきたん?」
「え、いや、温泉やけど……」
「どんなご飯食べたん? 美味しかった?」
「まあ、うん、美味かったし、めっちゃ量あったよ。あんなに腹いっぱい食うたん、初めてやった」
「神近さん少食やもんなー、兄貴はけっこう食べるしけっこう飲むんやけど」
「ああ、日本酒飲んでた……よな?」
飲んでた、と遠城は短く答えた。弁当が空になり暇になったらしく、頬杖をつきながら俺と楓ちゃんを交互に見た。
「楓はほんま、神近のこと気に入っとるよな」
えっそうかな、と俺が思うのと同時に楓ちゃんは驚いた声を上げる。
「兄貴が神近さん気に入ってるから気に入ってるんやん!」
「はじめはそんなでもなかったやろ、家ない言うからしゃあなし連れて来ただけやんけ」
「だってすぐラブホ行ってたやんか」
不意打ちに噴き出してしまった。米を噴くのはギリギリ堪え、口を手で抑えながら遠城の様子をうかがった。涼やかな顔だった。
「男に興味ある言われたら、まあ行くやろ」
「兄貴あれやで、あれ、店長残念みたいなやつ欠けてるけどさあ」
「なんやそれ」
「えっと……、貞操観念……?」
口を挟むと、それ! と大きな声で肯定された。
「その、テイソーカンネン、欠けてるし後腐れないオナホとしかヤらんかったやん」
「楓ちゃん、あのさ楓ちゃん、オナホとか学校で言うたらあかんで」
「言わへんよ! そんで兄貴はワンナイトオナホばっか相手にしてたのに、しばらく家に置かなあかん神近さんのことオナホにしたやん?」
「してへんわ、ノンケやからハメさせたった」
遠城のオブラートと羞恥のなさすぎる発言に楓ちゃんも俺も固まった。遠城はしれっとした顔のまま立ち上がり、弁当の空箱をゴミ袋に放り込みに行った。
話も立ち消えるかと思ったが、楓ちゃんは遠城を追い掛けた。
「そっ、それはそれやん。どっちがどっちかは関係ないの、しばらく顔合わせる相手とすんのが珍しかったし、そんで、私にもあいつやることなすこと斜め上でオモロいて言うたやん、はじめの方に」
「言うたな。轢いても死なんわ家ないわ金ないわ通院せんわゲイのマッチングアプリがどうとか言い出すわ、こんな無茶苦茶なアホ初めて見たから面白なった」
旅館で俺の好きなところとして挙げられたものが再び開陳された。遠城はやはり普通の顔だ。
「まあ、楓が何主張したいんかはともかく、今はその無茶苦茶なアホと付き合っとるんやからそんでええやろ」
「んー、そう言われると……まーそんでいっか!」
遠城兄妹は納得し合ったらしい。見守っていた俺としては、楓ちゃんは本当に遠城が好きだし遠城は本当に楓ちゃんが好きだと思うが、口に出すとイジられそうなので黙っておく。
二人はまだ何かしら話していた。楓ちゃんの学校の話や、シャンプーが切れかけているという話など、話題はぽんぽん切り替わる。家族だな、とぼんやりとした感想を持つ。この二人は確かに家族で、日々をずっと過ごして来て、話の擦り合わせもさっきみたいにさらっと終えられる。
俺には、やっぱりない感覚だ。俺に無関心な親とは事務的な会話以外の話をした記憶はほとんどない。兄とは普通に話していたし、子供の頃は優しかったが、親がいるところで話し掛けてくることはなかった。
それに今はまったく別の問題が。
「神近はどうする?」
「えっ?」
急に話題を振られて背筋が伸びた。遠城と楓ちゃんが、二人揃って俺を振り返り見ていた。
「あ、えーと、……何の話?」
「年末年始の話や、まだ二ヶ月先やけどな。工場も閉めるし毎年初詣やらなんやら出掛けることにしとる。お前連れてくなら遠出してもええかもなって話をしとった」
「あー……いや……俺、そん時にはもうこの家おらん……のちゃう?」
骨折が六月、今が十月。なら二ヶ月もすれば完治で、今の経過自体がかなり良好だから、早ければ来月には仕事も完全復帰できる。兄の留学については金の目処は立っていないけど、完全復帰直後に休みなしで働けばどうにかなる計算だ。それに、この家にあまりいると、兄が来る可能性が上がる。駅まで来ただけでひやっとしたのに加え、興味を持たれている楓ちゃんが心配だし、さっさと出て行ってここからは離れたところの安いアパートを探す方が良い。
ここまで考えたところで頭を叩かれた。叩いたのは楓ちゃんだった。
「えっなんで叩いたん」
びっくりして聞くと、
「なんではこっちやわ、アホ近!」
普通に怒られた。困惑しながら遠城を見て、怒られた理由をやっと理解した。
遠城の寂しげな顔に心臓が握り潰された。
「あっいや、ちゃうで遠城、腕治っとるやろうから金出してもらう生活は終わっててそのへんのアパートでも借りとる予定やって話で」
「わかっとる、別にええ。食い扶持が減って助かるわ」
遠城はふっと目を逸らし、引き留める間もなく階段を登って行った。
楓ちゃんに思い切り背中を殴られた。
当然の暴力だったので、ごめんと久し振りに口にした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます