11

 湯から上がった後、誰もいない脱衣所で遠城はぽつぽつと続きを話した。

 まず、後妻さんは行方不明ではなく、今は別の男性と家庭を持っているらしい。でも遠城は関わりがないし、楓ちゃんを押し付けるようにして出て行った相手だから、彼女に会わせる気もない。楓ちゃん自体も会いたくはないと言っている。

「……お父さんが、楓ちゃんの……その、自分の子供かどうか、って言うのは?」

「オレの子ちゃうかって疑ったんやろな」

 あまりにさらりと言われて固まった。遠城は鼻で笑い、浴衣の帯を締めてから体ごとこっちを向いた。

「女苦手なんはそいつのせいやねん。ヤッてはないけど、ちょいちょい手ぇ出されとったんや。オレは親父似やし、どうせ似た顔なら若いほうが良かったんやろ。アバズレの感覚なんぞわからんけどな」

「そっ、れ、めっちゃあかんやつやん、」

「めっちゃあかんやつやな。親父はなんか言われたんか、楓が出来た後に出奔したわ。その女も楓だけ置いて逃げよった」

「なん……いや、……俺それ、聞いてええ話やったか……?」

「オレが話しとんねんから黙って聞いとけばええんちゃう」

 投げ捨てるような言葉だったが、諭されたとわかった。頷いてみせると遠城は目を細め、俺の頭をがしがしと撫でた。

「何にせよ話は終わりや、メシ行くぞ」

 遠城は俺を置いて脱衣所を出て行った。後ろを追い掛けて朝食を食べに向かいながら、先に出て行ったらしいお母さんの話はされなかったなと思ったが、これ以上聞くのは憚られて問い掛けるのは止めた。

 でも、結局後から聞くことになった。


 朝食を食べて、少しだらけてから旅館を出た。多少は観光もしようとバスに乗り、二人で海沿いまで向かった。秋の深まる肌寒い時期の海岸線は静かだった。夏場なら賑わっているだろう海水浴場のそばを、バスは無感動に通り過ぎていった。

 北陸に来ること自体、初めてだ。降り立った崖沿いの観光地には蟹の看板が立っていて、魚介類の土産が豊富に売られていた。楓ちゃんへのお土産は旅館で買っていたため、少し見ただけで、手は伸びなかった。

 観光客の多い、店の立ち並ぶ通りを遠城は避けた。観光用に整備された箇所を外れて、雑草が岩の隙間から伸びる無造作な方向に歩いて行く。必死で追った。自殺は止めようという内容の看板が、いくつかあった。遠城は潮風の吹きすさぶ、遮るもののない場所で立ち止まった。

「まあまあ寒いな」

 ポケットに手を押し込み、縛った髪の先を揺らしながら言う。確かに寒い。潮風の中にある海の臭いがあまり馴染めず、つい険しい顔になる。

「遠城て、人混みとか、苦手……よな?」

「好きちゃうな」

「海は?」

「見てる分には、そこそこや」

 黒い波が浮かぶ海面を見下ろしてから、観光地の方向を振り返る。木の合間に、なんとなくの賑わいが浮かんでいた。ぼんやり眺めていると遠城に右腕を掴まれた。

「行旅死亡人ってわかるか」

 突然問われた。一応頷くと、遠城は俺の腕を引きながら、崖から離れた。

「それのリストをな、偶に……思い出した時に見る」

「そんなん、見れるんや」

「そらそやろ、行方不明やら連絡のつかん相手を探す人間はおるやろ。オレも見る。探す言うか、確認やけどな」

「確認……」

「せや。母親も父親も、どっかで野垂れ死んどらへんかなっちゅう確認」

 崖から充分離れたところで、手も解かれた。遠城はまたポケットに両手を押し込み、観光地へと戻り始める。

 隣に並びながら、

「水死体に、親っぽい人おったん?」

 思い切って問い掛けると笑われた。

「そんなしょうもないこと聞くな、わざわざ身投げスポットに来て海見とったからか?」

「え、う、うん……」

「おらんおらん、静かなとこから海面覗きたかっただけや」

 ちょっと肩透かしを食らうが、安心もする。遠城はまた笑い声を漏らしてから俺の肩に腕を回して、心配性やな、と揶揄するように言った。

 距離の近さに動揺している間に手は離れた。人の多い広場に辿り着いてからは、特に会話をせずに軽く辺りを散策した。


 観光は楽しかった。帰りの新幹線ではお互い疲れ、うとうとしているうちに車窓は見慣れた景色を過ぎらせた。

 明日からは俺も遠城も仕事だ。そう思うと名残惜しくなってきたが、遠城もそうだったのか、夕方の駅前で家まで歩いて帰るかと言い出した。

 四十分はかかるが、了承した。遠城は楓ちゃんに連絡を入れながら、下校中の自転車が行き交う道を歩き始めた。

 どっちも無言だった。俺は元々雑談が得意ではないし、遠城も人がいる場所では色々と話すタイプじゃない。車のよく走るところを歩いているから無音にはならないが、あまりに会話がないので段々焦ってくる。

 何か話さなければと顔を上げた。同じタイミングで、スマホを覗いていた遠城が見下ろしてきた。

「楓が、彼氏の家でメシ食うてくるから、俺らも適当に済ませやと」

「あ、うん、」

「弁当でも買うて帰るか?」

「そう……する」

 遠城は頷き、スーパーの方向へ足を向けた。車の往来が少ない裏道に入り、建物の合間を抜けていく。車や自転車には選びにくいショートカットだ。徒歩の利点だなと思いながらついていき、寺と公園に挟まれた墓地のそばを通り抜けた。

「ここ、母親を最後に見たとこ」

 ぽろりと溢された。返答に困るが、遠城はぱっと俺を見て、俺よりも困った様子で首の裏を掻いた。

「なんか話してもうた、すまん」

「え……いや、遠城が話したいんやったら、その、なんでも聞くけど」

 遠城は苦笑し、背後になった墓地を振り向き見てから、隣にいる俺へと戻した。

「……オレは中学入ったばっかのガキやってな、この抜け道をよう通ってたんやけど、下校中にいつも通りここ来たら、あの墓地前で母親と偶々出会したんや。スーパー近くに行ける抜け道やし、買い物? なんて呑気に話し掛けて、あっちもちょっと行ってくるわー、とか言うて歩いていった。それが最後。二度と戻って来んかった」

 聞いている間に、スーパー近くに出た。遠城は立ち止まり、過去を探るような目で混み合う駐車場を見た。

「家には離婚届があって、半年もせんうちに親父はあの女連れて来た」

「……不倫してた……みたいな?」

「まあ、そういうことやろな」

 遠城は息をついてから、また歩き出した。横断歩道を渡ってスーパー側の道へ行き、

「なんにしろ、親は両方死んだようなもんや」

 握り潰すように言った。

 本音なのか嘘なのか、わからなかった。隣に並んで見上げて、スーパーを見据える横顔に何が乗っているかなんて俺が触れるべきじゃないんだろうなと思った。

 嘘だとしても、そうやって言い聞かせてきたなら、遠城の中ではもう事実なんだろうとも。

「楓ちゃんがええ子に育ってんの、お前が頑張ったからやな……」

 留め切れなかった言葉をぽつりと呟くと、遠城は立ち止まって俺を見下ろした。表情は何も浮かんでいなくて、でもわざと削ぎ落としたんだとわかる虚無だった。

 スーパーに入る客が俺達の隣を迷惑そうに通っていった。それでもじっと、二人して邪魔なところに立っていた。

 

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