9
遠城。遠城冬司。はじめは本当に苦手だった。口調の圧が怖かったし、整った顔立ちも怖かったし、気の強さも怖かった。何ヶ月前だ。四ヶ月くらいか。もっと前のように感じる。同じところで暮らしていると、境界や時間が曖昧になってきて線引きを見失う。
向き合って布団の上に座った。遠城はほどいた髪を鬱陶しそうに後ろへ流してから、俺の顎を掴んで顔を近付けてきた。触れ合った唇はほんのり酒の味がした。そういえば遠城は、食事中に日本酒を注文して飲んでいた。
口を離し、若干躊躇ってから、遠城の肩を押した。大人しく布団に倒される姿が珍しい。でも、そう、忘れかけるけど俺と遠城は付き合っているのだ。
浴衣の胸元から覗く首筋に舌を当てる。皮膚が熱い。喉仏まで滑らせるて軽く吸うと、息を飲む動きが舌越しに伝わってきた。遠城は大人しい、黙って俺の好きにさせてくる。不意に噛み付きたい衝動に駆られるけどどうにか抑えた。鎖骨の筋には努めて丁寧な愛撫だけを施してから、ゆっくり離れると不意に後頭部を髪ごと雑に掴まれる。
「おいアホ、もっとちゃんとせえ」
ヘタクソと詰られた、のかと思ったが、
「焦れったいんじゃカス、何我慢しとんねん」
そう続けられ、唇に噛み付かれた。遠慮なく入ってきた舌に困惑したのは一瞬で、次の瞬間に俺は遠城の顔を両手で押さえ付けていた。
興奮が取り返しのつかないものだとよくわかる。絡ませた舌を甘噛みされると背骨が軋んで、気付くと息を忘れていた。苦しくなって顔を離しちょっと咳き込んでいる間に、遠城は俺の下から抜け出して自分で帯を解いた。
「ほら、これもやるわ」
コンドームとローションを手渡された。あからさまに動揺してしまって笑われる。持ってきたタオルを敷いている姿はやっぱり手慣れていて、俺は何も言えないまま遠城の過去を勝手に想像した。
視線を寄越され、やっと体を動かした。改めて押し倒すと、遠城は膝を曲げて俺の肩に足首を雑に乗せた。手に取ったローションは冷たい、体温を馴染ませてから中指だけ滑り込ませる。もう全然何もわからなくなってきて本当に大丈夫なのか合っているのか痛くないのか、静かに横たわる遠城に助けを求めて視線を向けるが、目が合わなくてどきりとする。顔を横へ向けて、目を閉じていた。不規則に上下する胸板や布団を握り締める掌の意味するところが拾えない男じゃなくて心底良かった。視線が合わないうちに下を見る。足りない気がしてローションを足すと、肩に乗ったままの足が小さく震えた。
もうええ、と掠れた声に咎められたところで、滑った指を引き抜いた。やっと合った視線に頷いて、遠城は苦笑気味に笑いながら足を自分で持ってくれた。ゴムをつける手が震えていて心底情けない。童貞みたいだなと自虐が浮かぶが、その様子を見ている遠城は特に何も言わないまま俺を待ってくれていた。
萎えないうちにと着け終わるなり滑り込んだが、窮屈さと熱さに動揺する。遠城が漏らした呻き声にも辛さが見えて、馴染むまで待とうと奥まで入れたところで動きを止めた。身を屈めて、散らばる髪を手で踏まないように気を付けて、伸し掛かるように皮膚を合わせる。
心臓の音が聞こえてきた。すぐ近くにある顔を覗き、うっすら汗ばんだ額に口付けた。宥めるように背中を擦られる。もういいか、なんて聞いていいのかわからない。ずっと茹だっている。ずいぶん遠くにいるはずの遠城が、俺の真下で大人しくしてくれる理由を探してしまう。
自分の頭を殴りたくなるけど堪えた。痛いくらいの締め付けが和らぎ、促すように背中を叩かれたところで、体を起こして両足を掴んだ。遠城は少し驚いた顔をした。無表情が多かった遠城が笑ったり驚いたりと感情を寄越してくれることは純粋に嬉しかった。
もっと欲しいなと思ってしまうことは、純粋に辛かった。
足を上げさせて深い場所を探った。顎を斜めに反らす姿が真上にいるからよく見えた。でも頭はぼんやりしかけていた。丁寧にしたい気持ちと自分本位に突きたい気持ちが殴り合っていて、その躊躇が緩い律動で深みばかり貫く動きを選んだ。遠城が溺れたような息を吐く。酸素、と単語を浮かべた時には唇を重ね合わせていた。んぐ、とくぐもった声がつながった口の中に響いた。
舌を絡ませながら、不規則に揺れる体を引き寄せた。背筋に伝う汗が熱くて、辿るように指でなぞると強く締め付けられる。同時に舌先を噛まれて顔を離した。ぎろりと睨み付けられたが、汗と唾液に濡れる上気した表情では、煽りにしかなっていなかった。案の定、一気に熱が込み上げた。一旦落ち着こうと体を引いたが、腰に絡み付いてきた両足に引き戻された。
「そのまま、突け、アホ」
掠れた声に目眩のような衝動が湧いた。言われるがまま自分の欲だけを追い掛けて、普段は自分の頭を殴り付けてでも止める強い感情を、後先を度外視して遠城だけに差し出した。
達してから、もちろん後悔した。はっとして下を見ると遠城は自分の手で最後まで上り詰めていて、嗅ぎ慣れた粘ついた匂いが熱気を緩やかに冷ましていった。ごめん、と、言い掛けてどうにか噤んだ。そろそろと身を屈めて抱き締めようとすると、足の裏で肩の辺りを押し返された。
「汚れるから、触らんでええ」
遠城は腕を動かし、手探りで掴んだタオルをばさりと腹の上に置いた。困っている間に繋がっていた箇所がほどけて、そうなると遠城冬司は一気に遠くへ行ってしまう。俺のいるところとはまるで違うむこうがわに。
「……なんで仲良うヤッた後に泣きそうな顔すんねん」
伸びてきた手に頭を撫でられた。どんな顔になっていたのだろうと頬を擦っていると、笑われた。
「賢者タイムってやつか? 直後に失礼なことすんなや、ちょっとは取り繕え」
「ちっ、がう、……俺、は……」
「なんやねん。言うとくけどなあ、オレはなんもかんも見透かせるわけちゃうぞ。顔に出るから多少は図星つけるだけで、口で言うて貰わんとわからんことばっかりや」
「……いや……でも、あかん、」
「何が」
遠城とずっと居続けるには足りないものばかりだ。物理的には近くにいても、好き合えて抱き合っていても、俺は兄のことをどうにかしない限り不安定だ。
でもそれも言い訳だとわかっていた。単純に、自信が微塵もない。
自分に対する愛着がなさすぎて大事にできない、遠城に申し訳ないと思い続けてしまう。
「まただんまりか、カスやなほんま」
断ち切るような言葉に背中が冷えた。思わず伸ばした腕が、立ち上がりかけた遠城を引き留めていた。
数秒視線を絡ませた後に、俺はやっと口を開けた。
「お……俺の、どこが、好きなん」
カスを上塗りする質問だった。遠城は眉を寄せ、溜め息を吐きながらがしがしと頭を掻いて、俺の対面に胡座をかいて座り直した。
「……怒んなよ」
「え、う、うん」
「轢いても死なんかったとこ」
怒りはしなかったが、えっ! と大きな声が出た。遠城は口の端を上げて笑い、
「轢いても死なん、金どころか家がない、意味わからんこと言い出す、ビビりのヘタレやのに妙な思い切りの良さがある。この辺が、ええなと思うた理由や」
指折り数えながら言った。
聞いたくせに俺はしばらくぽかんとしてしまって、お前はどうなん、と聞き返されるまでアホ面を向け続けていた。
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