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少しなら話してもいいやと、遠城を見た。
「うちの親、兄ちゃんに過保護で……俺のことは放置してて、……なあ、遠城」
「なんや」
「俺の名前、三春って、言うんやけど」
「知っとるわ」
「うん、えーと……兄ちゃんが一寿で、俺が、三春やねん……」
遠城は少し止まってから、
「二がおらんな」
正解を呟いた。
「そう。どんな名前にするつもりやったかは、知らんけど、……俺の前に、死産したらしいねん」
「永久欠番か」
「うん……それが、女の子やったとかなんとか、……で、ほんまは男女一人ずつが良かったけど、三回目が俺で、がっかりして放置、みたいな……」
「ふーん、カス親やん」
秒で切り捨てられた。悩む素振りも気遣う素振りもなかった。あまりにも遠城らしくて、俺は笑ってしまった。
「まあ、その、遠城が言うたみたいにカス親やからさ、三春も三人目で春生まれやからって意味らしいけど……これは別に変ちゃうか……とにかく、温泉旅行は、兄ちゃんだけ連れて行っとった。俺は、家で……」
ここで言葉を止めた。遠城が、もういいと言いたげに手を振ったからだ。その手は俺の頭をぐしゃりと撫でた。
「カス親の話させて悪かったな」
と謝られて、俺には謝るな言うた癖にと思ったけど、謝罪の重みや意味合いが違うとはわかったから、頷いて受け取った。遠城はずっと頭を撫でていた。彼氏扱いというか子供扱いだったけど、意味がわからないくらい安心したから、黙って撫でられ続けてしまった。
温泉街を観に行こうかと遠城に誘われたが、また明日にしようと一旦断った。来たばかりのときは豪華さに恐怖していたが、遠城と話して落ち着いたこともあり、せっかくなので館内を見てみたかった。
遠城は了承し、机に置かれていた館内案内図を引き寄せた。
「バーとかカラオケとかもあるみたいやな。……せやけど、ここ選んだ理由はこっちや」
無骨な指先が案内図の上を滑り、温泉施設と書かれたところで止まる。いくつか温泉の写真が貼られていた。温泉旅館に来たことはないが、なんだか種類が多いなとはわかった。
「館内至る所に風呂場があるんやと。暇せんやろし、適当に回るか」
「……サウナまである……」
「サウナて怪我にはどうなんやろな」
「あ、湯治」
遠城との旅行嬉しさにすっかり忘れていた。ぱっと顔を上げると、驚いた顔にぶつかって、俺も驚いた。
「ど、どないしたん、遠城」
聞いてみると、目を逸らされた。
「……いや、急に呼び捨てにされたんかと」
そう言われてから、あっと思った。遠城冬司。フルネームを口に出してみると、睨まれた。
なんだかちょっと、いやかなり、かわいかった。
「冬司」
今度は呼び捨ての意図で口にした。遠城は眉を寄せ、なんやねん、とぶっきらぼうに返してきた。うわめっちゃかわいいやん、とか、言うと怒られるだろうから言わなかったけど、身を乗り出して眉間の皺にキスしたら結局怒られた。
「アホなことすな、温泉行くぞ」
「う、うん……」
部屋にあったタオルや浴衣を持ってさっさと歩いて行く遠城を追い掛けた。
廊下はやっぱり豪勢で、でも慣れて来たから恐ろしくはない。館内にはあっちが何の湯でこっちが何の湯との表示がちゃんとあった。どれから行くのか聞いてみると、好きなところを選べと言われた。
「え、いや、俺は」
「いいから決めろ」
「えー……えっと……」
困りながら、目についた表示看板を指した。遠城は頷き、表示に従って歩き始める。
辿り着いたところ、館内で一番大きな大浴場だった。
サウナやら庭園の見える巨大な浴槽やら、露天に続く扉も浴場の奥にあった。
「ひ……広すぎん……?」
「こんなもんちゃうか?」
比較対象が俺の中にはないのでわからない。でも妙に気後れしながら入った温泉はちゃんと気持ち良かった。怪我に効いているのかどうか、湯から出した右腕を眺めていると、ちゃんと浸けろと遠城に怒られた。
人は疎らにいた。でも俺達のように誰かと連れ立ってはおらず、彼女や奥さんと二人で来た雰囲気があった。
遠城は大浴場の窓を眺めていた。特急に乗っていた時も、こうやって外を見つめていた。窓の向こうは丁寧に作られた庭があった。まだらに染まりかけている紅葉が、秋空の下で揺れていた。
「外見んの、好きなん?」
声は思いのほか響いた。遠くで湯に浸かっていた男性がちらりとこっちを見たのがわかった。
遠城は振り向かないまま、そういうわけでもない、と静かに言った。
他に人のいる場所で話したくないんだなと流石に察した。
露天は普通に寒かった。ちょっと浸かって直ぐに出て、浴場の端にあったジャグジー風呂に入ってみた。勢いが強くて、中々痛かった。遠城は気に入ったのか、俺が吹出口から離れたあとも無表情で座っていた。
その後に、階層の高い場所にある展望風呂に行ってみた。こちらは人が居なくて快適で、無言が多かった遠城はぽつぽつと言葉を漏らした。
檜で出来た浴槽は不思議な匂いだった。熱い湯の中にいるのだが、森の中に放り込まれたような感覚で、そこから地上を見下ろすと更に脳が混乱した。どこにいるのか不明になり、下を覗くのは直ぐに止めた。
「腕、どうや?」
「わからんけど、ええ感じやと思う」
「ほんならええけど」
遠城は後ろでお団子にしている髪を、手持ち無沙汰そうに弄る。はじめの大浴場で洗っていたから、濡れて重そうだ。
せっかく隣りにいるから手でも握ろうかと思うけど、人が入ってきたので諦めた。
そのタイミングで俺達も風呂から上がり、髪を乾かしてから廊下へ出ると、窓の外は案外暗くなっていた。
遠城はスマホを覗いた。夕飯は部屋まで持ってきてくれるらしい。時間ももうすぐだから、部屋に帰ることにした。
予想はしていたが食事もやっぱり豪勢だった。御造りに天ぷらに鍋物にと、こんなに食えるかと言いたくなる充実ぶりで、しっかりデザートまでついてきた。
膨れた腹を抱えながら寝室を見ると、いつの間にか布団が敷かれていた。直ぐにでも寝られそうだったけど時間はまだ早い。
「遠城……」
このあとどうする、まで言うつもりだったが口を閉じた。
お団子にしたままの髪を解く仕草が目に入り、そういえば二人きりなんやった、と今更考えた。
遠城は俺を見た。無言で見つめ合ってから、俺は立ち上がった。いつものように考えて言葉を選んで話すのは多分違う。何も言わないまま傍に腰を下ろし、浴衣の生地越しにそっと背中を抱いてみると、遠城はふっと息をついてから俺の肩に頭を置いた。笑い声が遅れて聞こえてきた。
「な……何笑ってんの……」
「あんなあ、オレ、ほんまはタチやねんか」
「え?」
「ふっ、ははは、まあわからんわな」
「わ、からんけど、なにそれ……?」
「チンコ突っ込む側って意味」
反応が遅れて固まった。遠城はまた笑ってから、顔を上げて俺の顎を甘噛みした。抱かせろという話だと思い、どう準備などするんだろう任せて良いのかいやでも正直抱きたいと半分混乱していたら、景気付けのように背中を叩かれた。
「ほら、ヤるやろ」
「え、あ、」
「お前がタチでええ、こっち来い」
遠城は立ち上がり、布団の方へと歩いていった。
その後ろ姿に追い付いて背後から抱き締めたのは、なんというか、こいつめっちゃ俺のこと好きやん、と思ってしまったからだった。
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