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 英さんは二つ返事でバイトを替わってくれた。冷凍倉庫の上司も、リハビリと言えば嫌な顔もせずに出勤調整をしてくれた。俺はけっこう先輩や上司に恵まれているかもしれない。他人ばかりが優しくしてくれるが、他人だからこそか。ろくに友達がいない俺だけど、友達というのはなんとなく波長の合う時につるむ相手だと思っているし、ちょうどいい距離感で居ればお互いに穏やかで優しい付き合いになる気がする。恋人も、あんまり変わりはない。とりあえず呼び出せる、とりあえず会える、とりあえずホテルに行ける、そういう都合の良さがやっぱりあって、釣り合いが取れた愛情の形はわかりやすいし選びやすい。

 遠城は違う。選ばないほうがいいし、選ばれた事実がずっと信じられない。何もかも不測だし釣り合いなんて取れていないし、ちょうどいい距離感がまったく掴めない。知りたいんだけど知りたくない。傍にいて安心することが不安だ。

 そんなことをぐだぐだ考えているうちに時間は経った。

 兄は大学が始まってから電話の回数が減っており、俺はちょっと気を抜いていた。


 色々と話し合って、北陸の温泉地を選んだ。当たり前のようにバイクで行こうとする遠城を俺は止めた。運転技術とかバイクで高速に乗るのが恐ろしいとかではなく、すべてにおいて遠城に依存するような旅行がなんとなく嫌だった。

「ほな、特急にでも乗るか」

 遠城はあっさり言った。電車を乗り継いで北陸行きの特急に乗った後に、俺はじわじわ焦り始めた。

「旅行費、高なったよな。ごめん」

 謝ると、窓辺に肘をついて外を見ていた横顔が、視線だけをこっちに向けた。

「別にええけど。……それよりお前ごめんて思うんやったら、オレの頼みを一個聞け」

「え、な……なに?」

「旅行中はごめんもすまんも言うな、普通に萎えるわ」

「ごっ……、……はい」

 反射の謝罪を飲み込んだ俺に遠城はふっと笑った。

「カレシと旅行しとるだけやろ、謝る場面なんざ浮気してたとか現金全部忘れてもうたとか、旅行って嘘ついてオレんこと殺そうとしとるとかそういう極限くらいやんけ」

「いや、嘘ついて殺そうとしとるんやったら、殺したるわカス、みたいな気持ちやろうし謝りは……せんのちゃうかな……?」

「……、お前偶に素で反論するよな」

「えっ……ご、……いや……」

 遠城は顔ごとこっちを向いた。面白そうに笑っていて、俺はごめんもすまんも言えないので黙った。

 窓の向こうにまだらに紅葉した山が過ぎっていく。そういや遠城の私服を見るのは初めてだ。無地のシャツに薄手のコートというコーディネートは楓ちゃんがご機嫌で選んでいたものだけど、それでも何か、嬉しいような気持ちになる。

 デートらしいデートが初めてだってことに、遅れて気付く。遠城は俺から視線を外し、座席に凭れかって息をつく。

「謝ってでも殺さなあかん時はあるかもしれんぞ」

 そんな物騒なことを言われて、俺は困った挙げ句に手を伸ばして遠城の手を握った。節くれ立った安定感のある皮膚や骨の感触に俺は安心した。遠城はこっちを見ず、普通の横顔のまま握り返してきた。

 轢き殺しておけば良かったと、まだ思われているんだろうか。

 それならそれで全然いいと答えたら、遠城はどんな顔をするだろう。

 無意味に考えながら特急に運ばれ続けた。終点は金沢だけど、俺達は途中で降りて、走り去る車体を見送った。

 ここからバスに乗るのかと思っていると、遠城は首を振った。

「駅まで宿から迎えが来る」

「えっ、そんなんあるん?」

「ないとこもあるやろうけど、送迎ありの宿にしたからな。温泉街観光するにしても、荷物置いてからの方がええやろ」

 遠城は自分のスマホを俺の目の前に翳し、観光するならこの辺、と観光地案内のサイトを見せてくれた。バスでの所要時間つきだ。宿からの迎えはもう駅前に来ている筈だとの説明も加えられる。

 手際が余りにいい。ちょっと呆然としている間に、遠城はさっさと駅から出て行った。慌てて後を追い掛ける。

 予約した温泉宿の名前の書かれた小型バスはわかりやすいところに停まっていた。遠城が予約名を告げると直ぐに乗せて貰えて、中には男女の二人組、女性四人のグループが既に乗り込んでいた。

 遠城と空いていた二人席に収まった。女性グループをなんとなく目で追ってから、ふと英さんのことを思い出した。

「あのさ、遠城」

「ん?」

「英さんが、コンビニで話し掛けて迷惑そうやったから、謝っといて欲しいて言うてた」

「あー……あの人ほんまに空気読めるんやな」

 それはそうだと思う。同意すると、遠城は呆れたような視線を向けてきた。

「ちゅうか、お前も気付いとったやろ。オレがあんま女のこと得意ちゃうって」

 気付いていたと言いかけて止めて、でも余裕で看過されるから溜め息を吐かれた。

「まあ、あの英さんて人は嫌いちゃう。話し掛けて来たんも、神近くんの怪我の具合どうですか、みたいな話題やったしな」

「えっそうなん」

「お前がなんもかんも大丈夫です言うて教えんからやろ。気遣いと嘘が下手すぎて逆に心配されとんねん」

 オブラートのなさに閉口する。ごめん……と思うけど口に出せず、そんな俺を見て遠城は額に手を当て大袈裟に首を振った。自分のアホさが居た堪れない。

 微妙な空気の中で送迎バスが発車した。宿までは遠いわけでもなく、ぽつぽつと雑談を交わしている間に辿り着いた。

 予想以上に豪勢な温泉宿の玄関前で立ち尽くしていると、遠城に不審な目を向けられた。

「ここ、高いんちゃうん……?」

「は? 相場普通くらいのとこやぞ」

「そう……なんや」

 温泉宿に来たことがないから相場も何もわからない。遠城に促されて中に入るとロビーもいやに立派で戦々恐々とする。シックな色のソファーが窓辺に置かれていて、踏み締めたカーペットは異様に柔らかい。受付を済ませた遠城が俺のところに戻って来たが、部屋案内にと仲居さんもついてきて荷物を持たれて困惑する。

 全然落ち着かない。無意識に伸びた手が縋るように遠城のコートをがっちり掴んだ。遠城はちらっと俺を見下ろした。仲居さんが部屋まで案内してくれたところで、慌てて遠城から手を離した。

 部屋も広く思ったが、居間と寝室、ちょっと外に出られるベランダ程度のわかりやすい造りだったため、瀟洒な館内よりは落ち着いた。

 やたらと柔らかい座布団に座り、お茶を淹れてくれた仲居さんが退室した後にやっと、肩の力が抜けて行った。脱力ついでに机に突っ伏した。茶を啜る音と、湯呑みを机に置く音が聞こえた。

「神近お前、温泉来たことないんか」

 ない、と素直に答えた。顔だけを動かして対面にいる遠城を見上げると、困ったような焦ったような、あまり見られない表情が見えた。

「遠城はあるんか……」

「そらあるわ。楓の高校合格祝いとか、工場開ける前に働いとった職場の慰安旅行とか。そもそも高校の修学旅行でも泊まった記憶あるぞ」

「俺、そういうのあらへんし……」

「……家族旅行もか?」

「俺は行ってへん」

 遠城は身を屈めた。机に乗せた腕に顔を置き、俺の目を覗き込んできた。

「お前の親て、どんなんやってん」

 俺が聞こうとして聞けなかったことを遠城は聞いた。

 親な、と呟いた自分の声は低かった。

 

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