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 久々に会った英さんにギプス取れて良かったなー、と労ってもらった。四連休していたらしく、どこかに行ったのか聞いてみれば旦那さんと温泉旅行だと教えてくれた。

 そこ流れで彼女は、ふと俺の腕を見た。

「ええやん、その腕に温泉」

「え?」

「湯治よ湯治、骨折した後の治療に温泉ってあるあるちゃう?」

 聞いたことがあるようなないような、困惑しつつも頷くと、英さんは店舗用のスマホを翳した。温泉を調べているらしく、いくら客が途切れて暇だからって大丈夫かと焦ったが、個人使用自体は店長が中々緩いところなので客に聞かれたと言えば怒られない。いい職場だ。

 英さんは関西地方の温泉をいくつかピックアップしてくれた。行くかはともかく、ありがたくメモ帳に書き留める。そのタイミングで客がぱらぱらと入ってきた。

 会話は止めて業務に戻る。廃棄を調べる時間も近く、レジを任せて俺は弁当の並ぶ一角に向かった。その間に客は増え、それなりに忙しくなって、時間がいつの間にか過ぎていく。

 夜シフトの二人が来て、退勤を押した。英さんも今日はもう上がりで、一緒にバックルームに引っ込んだが、その瞬間に勢い良くこっちを向いた。

「行くならあの、バイクのイケメンくんとやろ?」

 断定口調だった。黙ることで肯定になって、英さんは笑みを浮かべた。

「轢いた方と轢かれた方っていう、ちょっとアレな出会い方やけど、友達出来るんはええことやんな。私も旦那とは若干変な出会い方したからちょっとわかるで。印象には残るし、最悪な第一印象やから、全然そんなことないやんってわかったら好感度上がるんよな」

「あー……まあ、それは一理ありますね……」

「イケメンくん、無愛想やけど真面目っぽいし、ええ人そうやん」

「ええやつですよ」

 即答できたことに自分で引く。英さんは笑い声を上げて、さっさとコンビニの制服を脱いだ。

 二人で話しながら外に出て、俺は自転車を押し、英さんはそのまま徒歩で歩き始める。住処は徒歩圏内らしい。スーパー寄って行こかなと話す横顔に夕方の気怠さが乗っている。

「英さんて、旦那さんとの出会い方、どんなんやったんですか」

 気になって聞いてみると、

「駅のホームで突き落としてん」

 中々物騒な返答が来た。

「えっと、英さんが、旦那さんを?」

「そうそう、ちょうど私が社畜やった時でなー。貧血と寝不足の合わせ技でふらっと来たんよ、そしたら目の前で列に並んでた旦那にぶつかってん。あの人そのまま落ちよった」

「で、電車、来てなかったんです?」

「そこそこ過疎っとる駅やったしな。落ちた旦那やなくてそのままぶっ倒れた私が病院送り」

 かなりのブラック企業だったようだ。今の明るい英さんが信じられないくらいに憔悴していたのだろう。それは当時の旦那さんから見ても明白で、ぶっ倒れた彼女に付き添って病院までついていったらしい。

 英さんは懐かしそうな目で道の向こうを見た。スーパーの方向だ。ちょうど分かれ道に差し掛かり、お疲れ様でしたと頭を下げると、あのバイクの子、と返ってきた。

「イケメンやしつい話し掛けたりしたけど、嫌そうやったから謝っといてくれへん?」

「え、ああ……別に、嫌やったわけちゃうとは……」

「でも、今までも顔で女に寄って来られて迷惑したことあるんちゃう? ちょっと話しただけやけど、そんな感じしたわ。せやから気遣わせたかなと思て」

「……まあ、女の人のこと、苦手そう……ではありますね……」

「私みたいなフツーのおばはんとは、見えとる景色が全然違うんやろうね。それは神近くんにも思うけど」

 立ち止まっている俺達の近くを自転車が走り抜ける。英さんは黙った俺を見上げて、目元を緩めた。

「何があったんか知らんけど元気出しなや、出されへんならやっぱ湯治行ってきな。シフトくらい、温泉旅行で休んだ分は変わるから」

 ほなね、と最後に付け加えてから、英さんはスーパーに続く道を歩いて行った。数秒は見送った。俺はそんなにわかりやすいだろうかと思いながら自転車に跨り、もう半分くらいは自宅になった遠城の家へと漕ぎ出した。

 見えてきた玄関近くにあまり見慣れない人影が立っていて、一瞬兄かと警戒してしまったが、工場の事務員の天宮さんだった。

「あ、神近くん、おかえり」

 やんわり笑いながら挨拶をしてくれた。優しげな雰囲気が全身をくまなく覆う、穏やかな男性だ。遠城の父親の友達か何からしいが、詳しい話は然程知らない。

 自転車を降り、ただいまも違う気がして戻りましたと返す。天宮さんは首をゆっくり縦に揺らし、申し訳なさそうに眉を下げた。

 何かと思えば工場の中に忘れ物をしたとのことで、うっかりシャッターを締めてしまったために家の中から工場へ戻りたいようだ。

「冬司くんも楓ちゃんも、ちょうど出払ってんねん。神近くんが帰って来てくれて良かったわ」

「ああ……いえ、……えっと、遠城はどこに……?」

「お得意さんとこに、バイク修理の見積書を渡しに行ってん」

 なるほど、と相槌を打ちながら自転車を片付け、鍵を取り出し玄関を開けた。天宮さんは敷居を跨ぎかけたが、何故か引いた。

「神近くん、シャッター開けて来てくれへんか?」

「え、いいですけど、……あの」

「浩太朗さんの家に入るん、気まずくてな……」

 浩太朗さん。突っ込んで聞くかどうか迷っている間に、

「冬司くんらのお父さん」

 天宮さんは言った。予想通りだったから、頷きだけで済ませて家に入った。ぐるっと回って工場内に滑り込み、シャッターを開けると天宮さんは笑顔で感謝してくれた。

 絶対聞かない方が良いと思いながら俺は、事務室で忘れ物を鞄に入れている天宮さんに近付いた。

「あの、……遠城のお父さん……と、お母さんて、どんな人やったんですか」

 天宮さんは振り向いた。ちょっと困っていて、あっやっぱり出過ぎた質問やったと後悔したが、天宮さんは手招きして俺を事務室の椅子に座らせた。

「神近くん」

「は、はい」

「……、君、どこまで知っとるん?」

 どこまで。どこまでって、何を。遠城と楓ちゃんは二人暮らしで、保育園の頃の楓ちゃんは遠城が送り迎えをしていて、両親のことは全く覚えていないらしくて、ということは少なくとも彼女の年齢分くらいは両親が不在ということで。

 そう考えている間に天宮さんは理解した。俺がほとんど何も知らないということを。

「多分、僕やのうて冬司くんに聞いてみたほうがええね」

「……そう、ですね」

「彼が話すんやったら、君は君で、ちゃんと聞いてあげなあかんよ」

 釘を刺されたとはわかったけど反射で頷いていた。天宮さんは少し驚いた顔をしてから、僕の話はしとくわ、と柔らかく言った。

「浩太朗さんは僕の先輩やねん。……高校時代に交流があったわけやないけども、成人後の無職の時に偶々出会って、この工場に拾ってもろたんや。仕事が見つかってからは辞めたんやけどな、その後に嫁さんも出来て、色々あったけど……冬司くんが可哀想で、ここに戻って来た」

 天宮さんはふつりと言葉を切った。

 後は遠城に聞けと、無言の視線に諭された。

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