彼岸

1

 久々に来た冷凍倉庫はかなり忙しそうだった。穴を空けた申し訳なさばかりかろくに荷物は運べない後ろめたさも追加され、かなり居心地が悪かった。

 それでも左手で運べる荷物を担当しなんとか仕事を頑張っていたところ、上司に呼ばれて事務室に通された。

 立っていると座るように促され、対面で腰を下ろしたけども良い予感はしなかった。

「神近くん、まずは復帰おめでとう」

「あ、ありがとうございます……」

「まあ、復帰したところで早速呼び出してもうて悪いんやけど、いい機会やし話さなあかんこともあって」

 上司は眉を下げた。もうかなり嫌な予感が込み上げた。怪我のせいとは言え長く休み過ぎたし、戦力外だと思われた可能性が高い。それか担当変更の相談だろうか、事務仕事はパソコンがまともに使えないから無理だしどうしよう。

 戦々恐々としていると腕の経過を聞かれた。握力も膂力もまだ弱いが、特に痛みなどはない。ありのままを伝えると、上司は何度か頷いてから少し距離を詰めて来た。

「神近くん」

「は……はい……?」

「神近一寿かずひささんっていうのは、君のお兄さん?」

 一瞬くらっとした。そうです、と何とか答えた声は他人の声みたいに聞こえた。上司は真剣な顔で首を縦にゆっくり振った。

「神近くんが休んでる間に、何回も電話かけて来はってな」

「えっ、あ、すみませんほんまに、多分あの、俺が病院とかで連絡つかんかったから」

「いや、それ自体はええんやけど……あんな、おっさんのお節介やと思うて聞いてくれるか?」

「なん……でしょう」

 上司は腕組みをし、

「ここ辞めて、違う土地にでも逃げた方がええんやないか?」

 わりとはっきり言った。

「……いやそれは、金もないしけっこう厳しくて」

「せやけど……君のお兄さんに悪いけど、異常やったで。三春……神近くんが居らんかったらなんもでけん、死んでまうやん、みたいなことを事務の女の子に泣きながら話したらしくてな。どないなってんのや? 神近くん、君、大丈夫なんか?」

「大丈夫です」

 即答に上司は驚いた顔をしたけど、大丈夫です、ともう一回言う。

「でも、迷惑をかけてもうたんはわかりました。……、兄にはちゃんと言うときます、ほんまにすみません」

「親御さんとかは?」

「そっちは頼れへん言うか……複雑な家庭というか」

「……ほうか、首突っ込んですまんな」

 上司は腕組みを解いて立ち上がった。まだ座っている俺の肩を労うように叩いてきて、見上げると苦笑にぶつかった。

「神近くん、難しいかもしれんけど、何でも相談してくれてええんやで」

「ええと……はい……ありがとうございます、完全復帰、頑張ります」

「君は働き者やさかい、戻って来てくれたんはほんまに良かったわ」

 ありがとうございます、と今度は頭を下げながら言った。上司は笑い声を漏らして、仕事に戻ってええよ、と促してくれた。

 事務室を出たところで汗が噴き出した。足も若干、震えていた。

 兄の連絡に気付くことが遅れただけでこれかよと、思わざるを得なかったけどどうしようもない話だった。


 冷凍倉庫の帰り道は真っ暗だ。もう九月に入っているが季節も何も関係なく、夕方頃からの勤務だからどうしても深夜になる。バスもない時間で、遠城の家まで帰るにはそれなりにきつい。解体になったアパートはこの近くにあったから楽だった。解体された後は近くの公園で寝ていたり、なんならここの仮眠室を借りたり、コンビニバイトに歩いて向かって時間を潰したりとやりようがあったけど、今は無理だ。

 無理だから、甘えるしかない。

 社用の駐車場に停まったバイクには遠城が乗っている。

「遠城……」

 死にそうな声が出てびっくりした。こっちを見た遠城も驚いていて、バイクを降りて俺のところまで歩いて来た。

「なんや、どうした。やっぱ復帰早かったか?」

 遠城の視線は俺の右手を捉えた。どう話せばいいか、というか別に話さなくてもいいんだった、一番迷惑かけたくないやつが一番近くにおるって最悪やん、色々ごちゃごちゃ考えるけど上司の話を思い出すと思考が止まった。

「神近?」

 覗き込まれて無意識に距離を取った。遠城は一回、二回、まばたきを落としてから、

「……疲れとるんなら、さっさと帰って寝たほうがええやろ」

 慮った距離感で言ってくれた。

 俺は頷いて、歩き出した遠城についていき、バイクの後ろに跨った。エンジン音が駐車場に響き渡る。

 複雑な機械を流暢に操る体にしがみつきながら、遠城、と呼んでみる。返事はない。小声だし、エンジン音が大きいし、当然聞こえていないのだろう。その方が良かったから、俺は呟く。兄ちゃんに、お前んちの番号は言うてへんから。大体どのへんに住まわせてもろてるかは話してもうたけど、住所は教えてへんからお前らに迷惑はかからん筈やから。心配かけて、ほんまごめん。

 バイクはすぐに家へと辿り着く。ヘルメットを脱いで、ありがとう、とバイクを片付ける遠城に言う。遠城ははよ寝てこい、とこっちを見ずに返してからシャッターを開けて工事の中へと消えていく。

 一連の流れを見送ってから家に入った。登り慣れた階段を電気をつけずに上がっていって、眠り慣れた部屋へと滑り込む。遠城の母親の部屋。遠城の部屋と楓ちゃんの部屋は見たことがないし、父親の部屋もあるには違いないけど勿論入ったことはない。俺の立ち入るところじゃない。

 暗闇の中でベッドに転がり、目を閉じると睡魔はすぐに来た。眠い、と思った時にはもうほとんど眠りかけていた。

 階段を上がる音で、少しだけ覚醒した。遠城の足音だ。明日も朝から仕事の筈なのに俺の送迎をしてくれる、無理をさせていると思う。コンビニの方は週二回程度だから楓ちゃんが使わないからと貸してくれた自転車で行っているけど、冷凍倉庫はやっぱり少し辛いかな。自転車で行くとすれば片道一時間くらいだろうか。

 そんなふうに考えていると、部屋の扉が開いた。

 いつもは真っ直ぐに自室へと向かう遠城は、黙って部屋の中に入ってきた。

「な、なに……?」

 遠城は黙ったままベッドに腰を下ろした。俺はとりあえず起き上がり、暗闇の中で遠城の顔を見た。全然見えなかったけど、目が合ったことはわかった。口が開いたのも、わかった。

「……聞くか迷たんやけど、お前、兄貴おるんか?」

 血の気が引いたのがわかった。気付いた時には遠城の肩を掴んでいて、勢いが強すぎてそのまま押し倒していた。

 何すんねんカス、と低い声で詰られたけど構えなかった。

「あの人ここに来たんか?」

 俺の声も低かった。遠城は躊躇った、ように感じた。

 兄の泣き声が不意に聞こえた。幻聴だとわかっているけど背筋が冷えて、叫びたいような気持ちになって、そんなわけにはいかないから拳を振り上げて自分の頭を横から殴り付けた。何してんねん、と焦った声がした。遠かった。遠城ってやっぱ遠いなと、わかりきっていることを実感した。

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