13

 本当のはじめ、遠城に家まで連れて来られた時にほんの少しだけは、このまま居座ってあそこもここも痛くなってきたとかなんとか言い出して、今以上に法外な治療費をふんだくったりできひんかな、と考えた。その事実が俺にはある。遠城は変に威圧的で口が悪くて大体強気で、それはもうめちゃくちゃ苦手なタイプだったからちょっとは痛い目に遭うてもええやろ、とか、考えたけど無理だった。親がどっちもいなくて、高校生の妹を養っていて、工場を責任者として守っていて、バイクが好きでなんだかんだ世話を焼いてくれて初めて見た爆笑はびっくりするくらい楽しそうで、こいつ不幸にしたらあかんやろ、と今の俺は思っている。だから俺の世話焼くのは早く止めろと。

 俺を轢いた遠城側の事情なんて何も知らないんだから余計に。


 近場の薬局は閉まっていた。当たり前といえば当たり前だ。遠城は溜め息を吐き、明日絶対にもう一回来るようにと言ってから、俺にしわしわの処方箋を手渡した。頷きながら、黙って受け取った。

 すっかり夜になった中を歩いて帰る。何を話し掛ければ良いのかわからず俺はずっと口を開かなかったが、遠城も何も話さない。

 静かな横顔をちらりと見てから、遠城とのやり取りを思い出す。

「……えーと……俺のこと嫌いやから、轢き殺したい、みたいな……?」

 見つめ合っていても埒が明かないし、なんとか無言の空気を打ち破ろうと、勇気を出して聞いた。遠城は握っていた俺の手を離しながら首を斜めに傾けた。

「いや、嫌いちゃう」

「あ……そう、なんや……」

「せやけど轢き殺しといたらなあ、とはなる。……そしたら、どうなると思う?」

 考えてみるが、わからない。素直にわからないと答えれば、

「負い目が生まれんねん」

 答えがさらりと返ってきた。

「負い目……」

「せや。そんなこと考える負い目。ただでさえオレのせいで怪我して全治半年の満身創痍の奴に、轢き殺しといたら良かったな、なんて追加で思うんカスやろ。せやからオレは、お前がまともに生活できるようになるまでの責任取りたい、取らなあかん」

「そ……の、言い分はわかるんやけど、もっと放置されとっても、勝手に治るで」

「お前さ、警察に自分が飛び出したって言うたんやろ」

 言った。実際にそうだったし、轢いた相手の遠城を初めて見た後で、当たり屋よろしく慰謝料治療費ふんだくろうにも一筋縄ではいかなそうで、色々なところが痛くてあまり頭が働かなくて、でも全部言い訳だ。

 結婚詐欺にしろ当たり屋にしろ、恐らく俺は犯罪に向いていない。

 思い切りがない、自分の正当性を主張できない。

 遠城が言ったように自分への愛着がないからだ。

「歩行者側が飛び出した。お前がそう言うたから、運良くその場で轢き殺してへんかったから、オレはめちゃくちゃな前科にはならんかった」

 遠城はポケットを弄った。何をするかと思えば、煙草を咥えた。流れるように火を着けて煙を吐き出してから、項垂れた。

「……せやから神近、もうちょい、擦り合わせる気になってくれ」

「えっ?」

「変な干渉されたないんやろ、それは見とればわかる。せやけどオレにも今言うたような心情があんねん。オレの家におる間だけでええから、もうちょいまともに、療養せえ。オレが口出さん程度で構わんから」

「……、口出さん程度、が、わからん……かも」

「オレが今まで出して来た口を思い出せや」

 病院に行く、リハビリに行く、薬を貰う、無理な勤務は控える。

 思い出しながら改めて並べてみると、世話を焼かれ過ぎ、ということはない気がした。俺が遠慮し過ぎていたのだろうか、適当過ぎたのだろうか、そんなふうに感じる。

「……わかった、ちゃんとする」

 答えると、遠城はふっと煙を吐いた。溜め息のような笑い声のような、絶妙に読ませない息だった。

「ほんなら交渉成立や。薬局行くぞ」

「あ、うん……」

「ついでに話しとくけど、楓の言うことは気にせんでええ。オレは彼氏やろうが彼女やろうが作る気あらへんねん。性欲処理くらいなら付き合うたるけども、お前やってオレとどうこうなりたないやろ」

「どうこうなっても、遠城に迷惑しかかけんやろしな……」

 つい漏らしてから、即座に口を閉じた。背を向けて歩き始めていた遠城は振り向いた。暗さに反応した街灯がふっと着いて逆光になり、表情は覆い隠された。光に交じる輪郭の眩しさは轢かれた時の光景を思い出させた。轢き殺されなくて良かった。過失致死か殺人かわからないけど、遠城が刑務所に入るなんてことになる未来が潰れて助かった。そこまでを考えて息が止まった。

 あ、俺、金とか兄ちゃんのこととか俺の身の上がかなりマズいことを全部抜いたら、こいつのことアリやと思てんねや。

 そう自覚して、咳き込んだ。

「どないしてん、虫でも入ったか?」

「げほっ、いやっ、息忘れてた、っ、げほっごほっ!」

「おいおいほんまになんやねん、大丈夫か?」

 遠城は煙草を左手に持ち替えて、右手で俺の背中を擦った。滲んだ生理的な涙越しに見上げると緩んだ苦笑が見えて、もう一回咳き込んだ。遠城は、今度はまともに笑った。

「はー、お前ほんまおもろいよな」

「なんっ……げほっ、いや、急にごめん、薬局行こう、もう平気やから、ほんまに」

「……まあええわ。ほな行くか」

 こくこくと頷き、煙草を吸い切った遠城に着いていった。フィルターだけをポケットにねじ込む仕草を斜め後ろから盗み見た。項を隠して揺れる長髪や、使い込まれた作業着や、端正だとわかる顔のラインを見てから、自分の足元に視線を落とした。夜の中でもわかるくらいに俺のスニーカーは汚れていて、擦り切れそうで、見窄らしかった。劣等感ってこういうことかもしれん、と思った。釣り合いの取れなさは悲劇なんだとよくわかった。

 そして薬局は閉まっていて、来た道を二人で戻っていって、結局まともに話さないまま遠城家に辿り着く。出迎えてくれた楓ちゃんは笑顔で、遠城はいつも通りで、俺は明日こそ薬局に行ってくると自分から口に出した。

 楓ちゃんと皿を並べていた遠城が俺を見て、なんだかちょっと安心したように目を細めたのは、気付かなかったことにした。


 何にせよ変わりない。すっかり放置していたスマートフォンには兄からの着信が何件も入っていて、俺はメインの職場である冷凍倉庫に復帰すると決めるしかなく、リハビリに通いながらさっさと完治を目指すことが遠城に一番迷惑をかけずに済む道なのだと、今後の方針を完全に固めた。

 全然上手くはいかないんだけど、この時は珍しくやる気だったし先を見据えて頑張ろうって思っていた。

 懺悔にもならへん懺悔やけどな。




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