12

「あー……久々に爆笑したわ、なんなんそれ? ナメられんようにイキり始めた高校生男子みたいやな」

 遠城は笑い終わった直後に罵倒してきた。俺の知る遠城に戻って安心したが、オブラートのなさには地味に傷付いた。

「私が選んだのに!」

 黙る俺の代わりに楓ちゃんが吠える。遠城は呆れたような息を吐きながら、俺の隣の椅子に腰掛けた。

「イキり始めた男子高校生やけど、似合てへんことはない」

「いや……俺は正直、だいぶあかんと思うけど……」

「髪型やろ。ぼっさぼさで引き籠もりのニート丸出しやんけ」

「…………せやな」

「急におしゃれに目覚めたとも思えんし、どっか行く予定でもあるんか? せやったら尚更、美容室行ったほうがええやろ」

 ジャブ罵倒を挟みつつ真面目にアドバイスをする遠城を見る。いつも通りの作業着にいつも通りの長髪で、雑に縛られた黒髪はちょっと癖がついている。顔はいい。これでそこそこ私服がダサいなら好感度がちょっと上がる。

 遠城は視線を合わせてきたが、すぐに下へと落とした。ギプスの取れた右腕を見ていたので軽く持ち上げ、もう大丈夫アピールをすると指を伸ばしてきたので慌てて避けた。

「二ヶ月洗てへんねん、触らん方がええよ」

 楓ちゃんも触ろうとしたしな、やっぱ兄妹なんやなと、二人を同時に視界に入れながら思っていると手首を掴まれた。ぎょっとした。遠城は無表情のまま、掌まで手をずらして軽く握った。突然の握手に困惑していると握り返せと命令された。

 なんやねんと思いつつ握り返すと、遠城は微かに眉を寄せた。

「……、それ全力か?」

「え、ああ……まあ、あんま力入らんけど……骨はくっついたらしいし、そのうち良うなるやろ……」

「リハビリ予定は?」

 黙るわけにはいかないすぐに嘘をつかなければ、と思った時にはもう遅い。遠城はでかい溜め息を吐きながら俺の手を離し、夕飯を作り始めていた楓ちゃんの方を向いた。

「楓、こいつちゃんと薬とかもろて来てたか?」

「え? ……あ、薬局行ってへんやん!」

 バレた。遠城はでかい溜め息をもう一度吐いてから俺に掌を差し出した。今度はなんやねんと思いながら握ると、

「ちゃうわ処方箋寄越せカス」

 直球で罵倒された。

「あー……処方箋、処方箋な……」

「お前まさか捨ててへんやろな」

「そこまでは……うん……」

 遠城の手を離して椅子から立ち上がり、ジーンズの後ろポケットからくしゃくしゃになっている処方箋を取り出した。遠城は三度目のでっかい溜め息を吐き、額を押さえながら下を向いた。

「……ん、こっちはなんや」

 屈んだ遠城の姿を目で追い、血の気が引いた。担当医が用意したメンタルクリニックのリストだ。開かれる前にすばやく引っ手繰ったが、明らかに隠し事をする怪しい動きになってしまった。

「……おい、なんやそれ。見せろ」

「いや、遠城、こっちはええねん」

「良うないねん、足出た分の請求書か? はよ寄越せ」

「ちゃうちゃう、ちゃうねんて、そのー、担当の先生が良かれと思って渡してくれたやつで、うん、ほら、リハビリにええ接骨院とかのリストやし、俺が持ってたほうが」

「それやったら余計に寄越せや、お前絶対行かへんやんけ」

 詰む。終わりを感じる。メンクリのリスト見せたらどうなるかわからん。

 限界のあまり黙ると遠城は手を伸ばしてきたが、

「兄貴ー、とりあえず処方箋から済ませたら?」

 楓ちゃんが割り込んでくれた。天使に見えて縋るように視線を送ると、親指を立てながらウインクされた。

「ごはんまだでけへんし、二人で薬局行って来なよ! 夜散歩のデートとかええやん、その間に仲直りもしなや!」

 あ、俺と遠城くっつけよう大作戦やった。そう理解しつつ、うやむやにできたことには本気で感謝しメンクリのリストはジーンズの後ろポケットへと再び突っ込む。遠城は動きを目で追ってきたが、処方箋だけを手に立ち上がった。

「行くぞ神近」

「……あ、やっぱ俺も、行かなあかん……?」

「当たり前やんけ、お前……お前ほんまに何なん?」

「何なんって……神近三春です……」

「あかんお前と話しとると頭痛なってくる、とにかく行くぞアホ」

 左手首を掴まれ、そのまま連行される。いってらっしゃーい! と楓ちゃんが明るく送り出してくれて、かなり暗くなった外は昼間ほどの暑さはない。

 バイクの二ケツで行くのかと思ったが、遠城は工場に寄らず道を歩いていく。

「バイク乗らへんの?」

「右腕、力入らへんねやろ」

「まあ……ギプスで固定されてた時より不便まである、けど、掴まれんことはないで。痛んでも別に、えーと……折れた直後より、全然マシやろし……」

 遠城は溜め息をまた吐く。掴んだままの俺の手首を離して、立ち止まってこっちを向いた。俺も足を止める。夕方と夜の間の中で、数秒無言で見つめ合う。

 何とも言えない空気が流れていく。

「な……なに?」

 堪らずに声を掛けると、遠城は躊躇った、ように見えたが口を開いた。

「神近お前、なんでそこまで自分に対して愛着ないねん」

 時間が止まった。いや、逆向きに流れた。兄を取り囲む親。おかわりのない少ない夕飯。入れなかったバスケ部。無関心な顔で記入された高校の入学書類。丸めて捨ててあった大学のオープンキャンパス案内書。

 無意識に足を引いていた。遠城が即座に伸ばした手が、俺の肩を掴んで留めた。俺の背後を車が通り過ぎて行って、咎めるようにクラクションを鳴らされた。

 遠ざかる車に視線を向けた。辺りはじりじりと暗くなっていく。何も答えない俺を遠城がずっと待っている。

 でも俺は、俺達は、同じところに立ってはいない。遠城は俺とはなにもかもが違う。

 大事な妹や優しい従業員やちゃんとした仕事があってそれを守りながら誠実に生きている、むこうがわの人なんだ。

「……俺は、単純に、めんどくさがりなだけやで」

 肩を掴む遠城の手をやんわり外す。

「せやけど……雑過ぎて心配させてたんやったら、ごめん。リハビリもちゃんと行くし、はよ治してはよ出て行くよ。遠城に迷惑はかけんから」

「……、オレそういう話しとるつもりちゃうけど」

「万が一、ほんまのほんまの万が一やけど、楓ちゃんが言うてるみたいに……その、家族みたいなもんやとか、そういう意味で俺の世話焼いてくれとるんやったら、……そっちのほうが、俺はきついねん、ごめん」

 遠城の顔が見られなかった。ずっと俯いていて、ここで殴り飛ばされても仕方ないなと思っていた。

 しばらくして動いた遠城は、俺の右腕を掴んだ。触るのが怖い、と思っているような、ひどくおぼろげな手付きだった。

「遠城……?」

 つい視線を上げると、遠城は首を振り、あのさ、と自分にも言い聞かせる重さで言った。

「オレは、世話焼きとか情が深いとか、そんなええヤツちゃうねん」

 手を握る力が強くなる。

「あの時お前を轢き殺しといた方が良かったかもしれんて、思うような人間なんや」

 俺と遠城はまた見つめ合った。すぐ近くで見つめ合っているのにむこうがわにいて、ばらばらで、途方に暮れながら対岸の火事を眺めていた。

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