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入居していたアパートが大家さんの逮捕で解体になったのは三ヶ月前だ。なんでもクスリをやっていたらしい。入居者に配布していなかったかの確認もされて、配布されていた奴は二人もいて、代わりの管理人が見つからないまま親戚筋に土地が売られたかなんとかで、解体が決まった。
俺は家なしフリーターになり、何もかも限界だった。
「神近さん実家遠いんです? 和歌山とか?」
あけすけに聞いてきた遠城に、実家はない、と限界状態の一端を更に告げる。
「ない?」
「ないよ。親がどこ行ったかも知りません」
「天涯孤独で家なしとかヤバない? 生きる意味あらへんやん」
「……遠城さんてオブラートとか知らんの……?」
遠城はそれに答えないままうーんと唸って、口を挟まず待っていたタクシーの運転手にどこかの住所を告げた。ホテルやらネカフェやらに放り込まれるのかと思ったが、違った。平日昼間の空いた道をタクシーはすいすい進んでいって、住宅街の中程にある自動車の修理工場の前へと辿り着いた。
遠城モータースと書かれた看板があった。隣を見ると、無表情で親指を立てられた。
「オレの家やねん」
「実家?」
「まあ、実家。せやけどオレと妹しか住んでへん。部屋余っとるしあんたのこと暫く泊めるわ、介護ついでや」
遠城はてきぱきと金を払い、タクシーを降りた。他にどうすることも出来ないから俺も降りて、シャッターの閉まっている工場前に佇む遠城の斜め後ろで立ち止まった。いやなんで住むとこ見つかってんねんと思いながら工場を見上げる。小ぢんまりとしていて、真後ろに二階建ての住居があって、多分だけど工場と直結している。家族経営で細々とやっている雰囲気がこれでもかと伝わって来る。
あ、いや、妹しか住んでへん言うてたわ。三秒で忘れて三秒で思い出した言葉を脳味噌に刻みつつ、遠城さん、と声を掛ける。振り向いた遠城は彼女おるん? と聞いてくる。
「な、なんですかその質問」
「いや、妹に手え出すのは構わんけど修羅場になんのは止めろよって話のための質問」
「出すように見えるん……?」
「見えへん。彼女に秒でフラれそうなヘタレに見える」
オブラートが搭載されていない人間なのだと理解した。そして俺はそういうタイプが死ぬほど苦手だ。並びたくないくらいにはイケメンだし、ていうか轢いた側の癖に横柄な態度なんやねんとも思うし、俺はこのすべてを口に出せないくらいヘタレだから図星が極まりとにかく苦手だ。
ぐうの音しか出ていない間に折れていない左手を掴まれ、家の中まで連れて行かれた。やはり工場と直結しているらしく、あっち側は工場、と説明を受ける。一階部分は小さなダイニングと風呂場があるだけのようだ。
遠城は基本の住居は二階だと話しながら靴を脱ぎ、玄関から続く短い廊下を真っ直ぐ歩き、階段をぎしぎしと登り始める。
ついていくが、階段は案外急で少しふらついた。右腕が使えないから余計にバランスが取りにくい。どうにかして登り切ると、遠城はこっちを見ながら廊下の途中で待っていた。
「この奥の部屋、神近さんが適当に使て」
指さされた方向は廊下の突き当たりで、ひとつだけある扉は閉まっている。勝手に開けて良いのかどうか迷っていると遠城が歩いていってノブに手をかけた。開けるまでに、ほんの一瞬だけ間があった。その理由はすぐにわかった。後ろ姿の遠城がぽつりと漏らした。
「居らんようになった母親の部屋やねん」
開いた扉の向こうはカーテンが閉められていて、薄暗かった。その中でセミダブルサイズのベッドが目を引いた。他にも化粧台や広そうなクローゼット、型の古いテレビとDVDがいくつか放り込まれたテレビ台にと、人がしばらく生きていた気配があった。
遠城は中に入り、カーテンを開けた。明るくなった部屋は余計に誰かの匂いが強く立ち上った。
俺が何も言わないからか、遠城がふと振り向いた。
「知らんおばはんの寝とった部屋が嫌なら、他のとこでもなんとか空けるけど」
「え? いや、それは大丈夫」
なんせアパートがなくなってからは、元彼女達や無理のきく友人の家を転々としていた。親は大概冷たくて貧乏アパート暮らしだったし、実家もなにもないどころか今では行方不明の音沙汰なしだ。そんなわけで自分の入る余地のない空間には慣れている。
ここまで話して、また笑われるかと思ったが遠城は無表情だった。縛った髪の先を揺らしながら前を向き、せやったらええわ、と独り言のように言っただけだった。
「妹には事情話しとくし、とりあえず今日は適当に休んでや。なんかいるもんある?」
「あ、えーと、ほな充電器……タイプCのやつ……」
「あらへんの? よう電池もったな」
「……病院の充電器借りてた」
「その前は?」
「…………バイト先の充電器勝手に使てた」
遠城は体ごとこっちを向いた。今度は笑っていたけど、別にええやと何故か思った。人には人の事情があると、この部屋を見て感じたからかもしれないし、親がいないのにちゃんと暮らしている部分は嫌いじゃないと思ったからかもしれない。
まあでもそんなん感傷みたいなもんで、結局俺も遠城も、ひたすら隠したいとこに踏み込まれたくはないんよな。
わかるんはだいぶ後の話やけども。
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