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「ほんまに、すみませんでした」

 深々と頭を下げて謝罪され、俺はかなり混乱したが、

「完全にオレの不注意や。神近かみちかさんの入院費や治療費は、すべてお支払いします」

 そう続けられて遅れながら把握した。バイクの唸るようなエンジン音と真っ白な光を思い出す。俺は轢かれたのだ。彼女に振られた直後、雨が降り出した直後、この男の運転するバイクによって。

 男は遠城冬司と名乗り、枕元のナースコールを勝手に押した。動きを目で追っていくとベッドに下がった名札があって、神近三春かみちかみはると俺のフルネームが表示されている。

 やがて看護師と医者がやって来た。体調を聞かれ、眠い以外は特になにもないと答えた後に、怪我の具合について説明された。利き腕である右腕が折れていて、鎖骨には罅が入っている。打撲打ち身多数、擦り傷が背中から腰にかけて出来ている。ちなみに今は朝の五時。俺が病院に運ばれてから六時間くらい経っている。

 医者の話に相槌を打つ間、遠城は棒立ちでそこにいた。医者と看護師が出て行った後も立ったままで、座らないのか聞いてみると、首を振った。

「話聞きにポリが来るから、座ってもどうせすぐ立つ」

「……ああ……そうか、人身事故ですもんね……警察かー……嫌やなー……」

「自分は被害者やねんから何も言われんやろ、あいつが勝手に轢きよったて言うたらええだけですよ」

 思わず遠城の顔を凝視した。やはり無表情なんだけど、目の中はやけに不敵だった。ツナギのポケットに両手を突っ込んでいる立ち姿からはふてぶてしさが滲み出ている。一応は加害者なのに、あまりにも余裕な振る舞いだ。

 どう見ても苦手なタイプだった。俺はそこそこ優柔不断で、だから彼女にもあっさり振られたに違いない。逆に遠城はモテそうだ。女に苦労することはなさそうだし、自信のようなものが感じられる。生い立ちなんかもまったく違うだろう。嫌な相手に轢かれてもうたとつい思う。

「痛って!」

 遠城から目を逸らそうと身動ぎした瞬間、全身が痺れた。医者の説明を思い出しながら右手を見て、やっと吊られていることに気が付いた。首が回らず、ここも固定されているようだ。腰はとにかく痛い。あと背中が異様にヒリヒリする。

 助けてくれ、と声にならない声で呻くと、

「アホですか? じっとしてろよ」

 寄ってきた遠城が体勢を戻してくれた。近くで見ると中々なイケメンで、敗北感が鞭打ちの体を更に殴った。すべてにおいて負けを感じた。

 一応礼を言うと、遠城は無言で頷いて離れていった。微妙な空気が流れる中、話し掛けようか止めておこうか、やっぱり色々確認したり請求したりしないといけないなと、悶々考え込んでいるうちに警察がやってきて、遠城は会釈だけを残して病室を出て行った。

 戻って来なかったらどうしようと不安になったが警察の用事が済んだ頃に遠城はまた顔を出し、今度はあっちが警察に連れて行かれて俺は病室に一人ぼっちで残された。雨がまだ降っていて、朝だけれど暗かった。


 入院するわけにはいかなかった。というより、入院していてもあんまり休める気がしなかった。病院は人の匂いが多すぎる。子供も大人も溢れていて、常に誰かの音がする。落ち着かない。

 体が痛かったため、とりあえずその日は一日病院にいたが、翌日退院したいと言えばあっさり承諾されて助かった。さっさと身支度を整え、お世話になりましたと担当の看護師さんには挨拶を済ませた。経過観察やリハビリには通う必要があるらしいけど、行かなくても誰も文句は言わないだろう。放置しよう、今決めた。

 さあ帰るか、というところで遠城が来た。またツナギ姿で、ちょっと焦った顔だった。

「神近さん、退院するて正気か?」

「え、うん、仕事とかあるし」

「ほんなもん、有給で」

「あーそういう仕事してへんねん、俺フリーターで……まあ、そういうわけなんで……あ、入院費おおきに……えーと……」

 治療費は教えた口座に振り込んでくれ、と、言うべきなんだけど声に出ない。俺はこういうところが本当に駄目だな不甲斐ないと自虐的な気持ちが湧いてくる。

 遠城は考えるように黙っていたが、

「……一人暮らしです?」

 眉を寄せながら聞いてきた。躊躇いつつ頷くと、頷き返された。何かを納得したのかと思ったけど違った。

「せやったら、オレ暫く、神近さんの介護に通いますわ」

 え、と引いた声が出た。遠城は無表情に近づいて来て、俺の体を支えるようにしながら歩き出す。

 それから話す。

「加害者は完全にオレやし、責任は取らせて下さいよ。完治までの生活費かてちゃんと払うし。あんたはなんか、メンタルがへなちょこっぽいし体調管理テキトーそうやし余計に放置してられへん雰囲気あんねん。なんやったらリハビリとかサボる気やったでしょ、流石にそんなんなあ、なんかあったらまたオレんとこに請求来たり確認電話来たりするんちゃうんけ。勘弁しろや、完治まで大人しく休んでろ。当面の面倒は見さしてもらうから」

 色々諸々ぐうの音も出なかった。遠城は黙っている俺を引きずって、暇そうに停まっていたタクシーに乗り込んだ。

「神近さん、家の住所言うて」

 完全に躊躇った。ええと、とか言って誤魔化すけどもう逃げられない状態だった。神近さん? なんて顔を覗き込まれながら聞かれて限界だった。

「……住所……家の住所な……」

「あ、オレに知られとうないなら」

「いや、ちゃうねん、……あのー、俺さあ……」

「うん」

「い……家、ないねん……」

 遠城の瞬きが止まった。恥ずかしさに死にたくなるが今度は噛んで含ませるように「家はないです」とはっきり口に出した。バックミラー越しにちらりと見たタクシーの運転手はコイツほんまか? という顔をしていた。居た堪れなくなり隣を見ると、口元に掌を押し当てている姿が目に入った。

 明らかに笑いを堪えていた。今すぐ殺して欲しかった。

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