第39話 目覚まし道師2
午前の旅程を終えた昼下がり。既に配られておった平たいナン――道沿いの町で仕入れたとのことであった――を半分ほど食べて昼食とし、ほっと一息ついた後のことであった。
「おじさんの嘘つき。今日もコマ回しを教えてくれるって、約束したじゃない」
そう言って、子供が泣きながら走り去った。最前、笑顔で近くに寄って来た。といって、特に邪険にした訳では無い。ただ、その近づいて来る理由が分からぬから放っておいただけだ。
だから、子供は苦手なのだ。そう想うも、念のため、もう一度、紙束を見返す。昨日のところには、午前中に進み、以降は休み。それ以外には何も記されていない。少しさかのぼると、三日前に、「忍者が帰って来た」との記録。これは俺自身が書いたものだった。
書き漏らしたのか? といって、昨日の己をあまり責める気にもなれない。年端も行かぬ子供との約束。記すまでもないと考えても、不思議はない。
最悪な気分だった。
またか。俺は物心ついたときから、ずっとこれに苦しめられて来た。これが引き起こす一悶着。そして人に嫌われる原因ともなった。
そう。俺は目覚めるたびに、記憶を失う。ただ、全ての記憶を失うわけではなかった。俺が俺として――随分と妙な言い方だが――目覚めた日の記憶はある。
いつ、俺が俺として目覚めるかというのに決まりはないようであった。五日連続で俺――これが最長記録であった――ということもあったが、目覚めたら一月以上経っていた、なんてこともあった。
それもあって、俺は目覚めについて関心を持たざるを得ず、いろいろと調べるようになっておった。各地に残る古い文献や伝承など。正直言って、期待外れであった。そのほとんどは、どうやれば朝すっきり目覚められるか程度の、いわゆる健康法に類するものであったから。
ただ、やがて、俺はそうした伝承の中に一つの救いを見出した。そう。ネフェルタ王の
俺はもしかしたら、このために生まれて来たのではないか。そう想った。というより、あえてそう想い込んだ。それから、俺は目覚まし道師を名乗った。
そして信じられぬことだが、俺はそのネフェルタ王の十二行に入ることができた。あと、少しのはずだった。
しかし、既に結果は出た。どこがどう間違ったのか? 伝承歌そのものがインチキだったのか? あるいは、あれは正しかったが、あの死人使いが俺の使命を横取りしたのか。ただ、いずれにしろ、ネフェルタ王が目覚めた今、俺のなすべきことはない。
一応、紙束に各地で集めた爽快な目覚めのための祈祷文なり呪文なりのようなものを集録しておいたのだが、全て無駄となった。
俺は仲間の下に戻った子供の方を見やる。五虫と称する男女五人組で、魔道をこととするらしい。
ここら辺が、離れる潮時か。最早共に進む意味は己にはない。とすれば、今回のことは良いきっかけか。
普段なら、あえて、こちらから言うことはないが、子供を泣かせたままでは、気分が悪い。その者たちのかたわらに行き、謝罪しつつ、こちらの事情――記憶の問題を打ち明けた。
このまま去ろうと想っておったが、なぜか同情されてしまう。泣いた子供からは、『おじさん2号』というあだ名をつけられる始末だった。どうやら、コマ回しを教えた俺がおじさん1号ということらしい。おそらく、その別の俺は俺と違って――ええい、どこまでもややこしいな――子供好きなのだろう。
かたわらで話を聞いておった二人
――揺りかごの女はやはりムムムと言い、大変だのうと付け加える
――青鬼の方には、もし目覚めについて調べたいなら、六天に来るが良い、と誘われた。
少し離れたところに腰掛けておった忍者は――果たして、話を聞いておったか否か定かではないが――こちらを興味深げに見ておった。
俺は、去ると告げるきっかけを失い、きびすを返す。その際、泣いた男の子よりは少しばかり年上に見える少女から、彼女が魔道で育てたという薄い桃色の一輪の花をもらう。
「花の蜜がおいしいの。吸ってみて」
戻る途中で吸う花の蜜は、ほのかであるが確かに甘い。
「変なあだ名つけやがって」
とひとりごちる俺は、口の中が妙な味が変わるのを知る。どうやら、我知らず、涙の一粒二粒を垂らしておったらしい。
虚空伽藍 ひとしずくの鯨 @hitoshizukunokon
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