第37話 六天館1――阿呆がここにも

 ところは六天館の一室。ときは昼下がり。


「ちいとばかり、酒をご馳走しようか?」


 背後から声が聞こえる。


 その長い鼻から提灯をぶら下げ、うつらうつらしておった天狗。翼と飛行の関わりについての研究中でのことであった。あぐらをかく前の机の上には、さまざまな翼や羽の形が描かれた紙が散乱していた。自らもまた背に持つ白翼に似たものもあれば、ほど遠いものもある。


 寝ぼけ眼ということもあり、すぐには相手の言っていることが分からぬ。ようやく意味をくみ取れたのちのこと、是非にもと答えようとして、想い留まる。何か悪い予感がしたのだ。その声に想い当たるところがあり、相手の姿を確認することなく、こう答える。


「あ、いや。遠慮しておこう」


「どうした? いつぞやまでは、わしの勧める酒を天からの甘露に劣らぬと言うて喜んでおったのに」


「その酒がどこから出るかを知ったゆえにな」


「わしの体からだが、何か文句があるのか? 酒の精たるわしよ。当たり前のこと」


「いや。出て来るところが出て来るところだから」


「ほれ。遠慮するなって。ほれ。シーシー」


 その者は、妖精であった。姿形すがたかたちは人間の幼児の如くである。大きさは手の平に乗るくらい。黒アゲハの如くの見事な四枚羽を背に持ち、それをパタパタさせて、天狗の顔あたりに浮かんでおった。そうして、なぜかというか当然というか、全裸である。


 そうしてなしたことといえば。そこもまたちんまいおちんちんを右手で持って、天狗の方へ勢いよく放尿する。


 他方天狗はといえば、何しとんじゃ、クソガキが、と怒鳴るかと想いきや、もったいないとばかりに想わず手で受ける。そう、それこそまさに甘露に劣らぬ名酒であった。哀れ。お酒大好きの天狗、更にはゴクリとばかり、ノドがなる。ただ、最低限の矜持きょうじは持ち合わせておるらしく、手の平を返し酒を床にこぼす。


 その様を見て反省したのか、酒精はより一層近くに寄ると、羽で天狗の頬を撫でるごとくにはばたかせる。天狗はほほえましく感じ、またくすぐったいこともあり、想わず表情を和ませる。そこでプスッとばかり音がし、それと共に臭い屁――ならずのふくよかな酒の香りが部屋に満ちる。更には、


「むっ。不覚。待っておれ。次はしっかり実を出すから。極上の酒粕じゃ。これで絶品の酒のつまみも想いのままじゃ」


 そうはさせじと天狗はその片足をつかまえる。


「コラ。変なところを持つな。この態勢でビチグソを出したら、わしの体も顔も汚れてしまう」


 逆さまに持たれておったのである。


「羽を傷つけたくないんでね。我慢してくれ。折角だ。一つ頼み事がある」


「何じゃ。また、わしの羽を調べたいのか?」


「いや。別件だ」


「なんであれ、それが頼み事をする態度か。早う足を放せ。さすれば答えてやる」


 仕方ないとばかり、天狗は応じる。怒りのためであろう、顔を紅潮させた酒精は、二度とつかまるものかと、かなり距離を取って浮かぶ。


「それで、何じゃ」


「エクストレ館長の発表は聞いただろう。問答会を開くって」


「ああ。それが何か? 若造のそなたは初めてだったか?」


「まあ、確かに六天の中でも古株であるあなたに比べれば、よわい百を越す私もそうかもしれぬ。ただ、さすがに問答会は出たことはありますよ。『酔生夢死』にてなすと付言されてますよね。それで、こりゃ、何ぞやと想いまして」


「ああ。なるほど。そっちが初めてか。はぐれ幻獣が加わるのよ」


 天狗は理解しかねるようで、更に首をかしげる。その様を見た酒精いわく、


「ほれ。幻獣というのは夢の中でしか、我らと接し得ぬのよ」


「夢・・・・・・?」


「おうさ。夢の中で問答会を開くのよ」


「全員で同じ夢を見れるんですか?」


「ああ。幻獣たちにその意があればな。そしてそのお手伝いとして、わしの酒も活躍するのじゃ。心地よい夢に導くためにな。フヒヒ。皆して、わしの小水を飲むのじゃ。館長どのには、日頃の感謝も込めて、特別製の濃ゆい奴を馳走する予定じゃ。望むなら、そなたにもお裾分けするぞ」

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