第34話 十二行1

 サジンは半ば呆然とせざるを得なかった。


 つい先ほど、皆が夕食の準備をしておるのを、少し離れたところで見ておる己に気付いた。そして、そのすぐ後に、揺りかごの女が来て、「忍者さん。やっと戻って来てくれたのね。でも、半月もの間、どこに行っていたの?」と聞いたのだった。


 すぐに答えることができなかった。記憶が無いのだ。


 とりあえず、「知ればそなたの身に危険が及ぶことになろう」と告げると、果たして、それで納得したのか否か分からぬが、口癖なのだろう、「むむむ」などと言いながら、彼女は去って行った。


 半月もか。己は何をしておったのか? これまでも、何度かはあった。しかし、こんなに長いのは初めてであった。己は深刻な病を抱えておるのか? しかも、それがますます悪化する如くの。何かの拍子に治るのではないかと、期待しておったが。


 こんなことでは、この仕事は続けられない。そう判断せざるを得なかった。記憶が無いだけでも大きな問題だが、しかも、己は十二行を離れておったという。これは任務の放棄に他ならぬ。




 アンブロウズ様にはずいぶんと良くしていただいた。信頼してくださり、派に入れてくれた。


 己は、里を捨てたあと、日銭を稼ぐために用心棒稼業を主な生業としつつ、各地を転々としておった。ただ、まさに雇い主次第の仕事であり、流れ者ということで足下を見られ、はした金で暗殺などのひどいことをもちかけられることも多々あった。そんなものは御免こうむると、こちらの方から見切りをつけては、再び流浪する。これを繰り返すばかりであった。


 わびしさをまぎらわすためもあり――また、野宿のときの番犬としてということもあり――俺は犬を連れるを常としておった。そいつが、魔都にたどり着いたとたん、他の犬の臭いを追ってなのか、地下宮に入って行ったきり、出て来なくなったのだ。仕方なく事情を話し、アンブロウズ派のうちにも犬好きはおれば、共に捜すということになる。そう、これが、まさに機縁となった


 おかげで、生活もずいぶん安定し、己をなんて幸運なんだと想いもしたが、それも、ここまでか。


 子供のはしゃぐ声がし、そちらに目をやる。五虫という変わった名で自らを呼ぶ五人連れ。揺りかごの女はあの者たちと仲良くなったらしく、今もそのかたわらにおった。一瞬、自らの里にての幼少期が想い浮かぶが、急ぎ心の底に封じ込めた。


 問題はこの任務である。本来なら、アンブロウズ様に至急連絡し、代わりの者を派遣してくれるよう頼むべき状況なのだが。ただ、それをなせる者がここにはおらなかった。なすとすれば、己か揺りかごの女しかおらぬ。


 といって、我はネフェルタ王護送の任があるから離れられぬ。それでは揺りかごの女をとなるが、ネフェルタ王の世話を頼んでおる以上、やはりここを離れさすのは望ましくない。何より己がこんな状態では。また、自意識を失い、任務を放棄せぬとも限らぬのだ。そうなると、アンブロウズ派の者が誰もいなくなり、まさに最悪である。


 加えて、本件、自派の者にさえ他言無用と、アンブロウズ様に釘を刺されておった。なので、街道すじの宿駅におるであろう、派の誰かに頼むという訳にも行かぬ。


 この任務にたずさわる派の者が二人のみということからしても、恐らくアンブロウズ様は内密にことを進めたいという想いがあるのであろう。あるいは、派内の者にこそ知られたくないのか。己は魔道師でないということもあり、ネフェルタ王の復活――そのことの意味の重大さが良く分かっておらぬのかもしれぬ。


 護衛の任に就くのが実質的に己一人と聞いたときには、そこまで信頼されておるのかと、喜びもしたが。あのときが、まだ記憶が飛ぶなんてことはなかった。そうして想えば、これは単なる病ではなく、ネフェルタ王に関わるゆえ? そんなことはあるのか? 


 水天女が、恐らくは水を入れておるであろう革袋――彼女はその魔道を用いて空気中より水を生じさせることができた――をたずさえて、やって来ようとしておるのが目に入り、右手を挙げて制す。意は伝わったらしく、彼女は戻った。


 もう少し、この件に集中したかったのだ。それに、恐らく同じことを聞かれるのだ。そしてやはり答えられることなどない。


 ネフェルタ王の呪い? そういえば、揺りかごの女も奇妙なことを言っておった。ネフェルタ様は首のみのはずと。気味が悪すぎる話だ。あの女もやはり同じ呪いに掛かっておるのか? そういえば、あの直後では無かったか? 己の記憶が途絶えておるのは。


 いずれにしろ、この件もアンブロウズ様に相談せねばなるまい。


 そして、必ずアンブロウズ様は迎えの者を送ってくれているはずだった。己の記憶に自信が持てぬ今、その計画を聞いたのか否か、正直、判然とせぬ。


 ただ、魔都に近付くほどに魔道の力は増す。となれば、己では力不足となろう。十二行の中にも魔道が使える者はおるようだが、それを頼りにするアンブロウズ様ではあるまい。今たどっておる道――街道筋からはずれたひなびた道――は、アンブロウズ様から直々に指定されたものであった。ならば、ここを進んでおる限り、いずれ迎えが至るのは間違いない。


 そうして、少しは整理がつき、ネフェルタ王の天幕に様子を見に行くことにする。


 その進行方向に立っておった女と目が合う。すれ違いざま、何の意か、にんまりとの笑みをその者は浮かべる。妙に色っぽい格好をした女で、確か死の踊り子であると。しかもこいつは我の姉などと良くわからぬことをのたまわっておった。こいつも、やはり呪いにかかっておるのか。我らは、そのゆえに錯乱しておるのか?


 そうして、あの死人使い。我にはあの者をこの十二行に引き入れた記憶もなかった。しかし、あの者がおらねば、どうやってネフェルタ王を目覚めさせるというのか? 


 考えが再び堂々巡りに陥りそうになり、記憶の無い状況でいくら考えても詮無いこと、と想いなすべく務めることにして、天幕に入った。

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