第26話 死の踊り子(前篇)

 私たち十二行の魔都への進み方は、夜明け直後に出発し、昼食前まで進み続けるというやり方であった。ネフェルタ王の体調をおもんばかってのことであった。


 この中には明らかにお近づきになりたくはない者たちがおった。その一人が天幕の内に入って来た。私――ミアが一人でネフェルタ王の食事の世話をしておるときのこと。そう、昼食どきだったのである。


 王は少しずつだが体を動かせるようになっておったが、満足にというにはほど遠く、放っておいたら、貴重な食べ物を床にばらまくことになってしまう。


「ちょっと邪魔させてもらうよ」


 なまめかしい声がそう告げる。そうして、ネフェルタ王の真向かいに座っておった私のかたわらに横座りする。旅の途中ということもあり、椅子は用いず、いずれも敷布の上に直に座る形となる。肌も触れあわんばかりであり、私は想わず少し距離を取ろうとして、逆側に置いておったスープの入った器を危うくひっくり返しそうになる。




 ところで、こうしたとき、本来、対応すべき死人使いは、今は呼べるところにはおらなかった。


 私が世話する時間について言うと、最初は昼食から二、三時間であった。それが、徐々に拡大し、このときには、夜明けから夕食前となっておった。一つには、基本、私には特にすることがなかったこと。もう一つには死人使いに好感――恋愛感情ではなく人として――を抱くようになっておったからである。


 死者の安寧をないがしろにする呪われるべき者――魔都にて死人使いはそう伝えられる――には、あるまじき礼儀正しき男であった。ただ、妙に無口な男ではあった。なので、どういう人物か、その素性はようとして知れなかったが。


 そんな人物にいつも睡眠不足の顔を見せられては、こちらまでげんなりしてしまう。更には旅行中、うつらうつらしておるのを見かけることは良くあったが、落馬までされてしまっては、ということであった。


 今では、死人使いは、毎朝の出発時には同行せず、十分な睡眠を取った後に追いつくという段取りとなっておったのである。


 


 そのふくよかな胸と豊かなお尻、そしてすらりと伸びる長い手足――これらを覆い隠すは、わずかな白布のみ。それで最低限、大事なところのみを覆う。一応、その上から、やはり白の――薄絹の織物――をまとうとはいえ、ほぼほぼ透けておる始末である。


 私も含め十二行の多くが砂よけの外套――その出自・習俗などにより色や形は異なるも――をまとっておる中で、まさに際立つ格好であった。


 自慢げにさらす、そのつやつやとした黒い肌。それは死の踊り子に対する悪い噂――男の精をかてに生きておるとの――のあかしなのかとさえ想える。私は再びついつい見とれてしまっておった。




 最初のときのことが鮮烈に想い出される。この女は私の視線に気付いた。悪趣味にも二つの団子が頭上にある魔都の女童めわらべの髪型に――私が緑木に編んであげたのを見て、それが気に入ったのか――その黒髪を編んでおった。


 その下の童顔にいたずらっぽい笑みを浮かべながら、そのときもやはり私のすぐ側らに来て、なまめかしい吐息混じりにこう告げた。


「残念ね。私の好物は男。そんなに見つめられても、抱かせてあげることはできなくてよ」




 そうして今、


「お嬢ちゃん。そんなに怖がるなって。女は趣味じゃないと以前に教えたろう」


 さくらんぼのような桃色の唇が開き、やはり吐息混じりの声を聞かせる。可愛らしい丸みを帯びた眼の中から、その大きな黒い瞳はやはりいたずらっぽく見つめ返しておった。


「わざわざ警告しに来たのよ。あのやみまといには気をつけなってな」


「闇まとい?」


「なんと言えば、分かりやすいかのう。ほら。分かるじゃろう。ああ。こう言えば良いかのう。あんたがヘーコラしておる奴じゃよ」


「ヘーコラ?」


 そう言われてもピンと来ない。私のあるじといえば、アンブロウズ様となる。ただ、ここにはおらぬし、『闇まとい』との語がつながるとは想えぬ。


 十二行に限定すれば、私に指示している人物は、一人しか想い浮かばない。そして確かに黒装束を身にまとう。その関係をヘーコラとは呼ばぬだろうとの不平を抱きつつも、


「もしかして、忍者さんのこと?」


「忍者。おお、そうじゃった。それそれ」


「何で、忍者さんについて、そんなことを言うの?」


 抱く感情のゆえに、その口調も想わず、つっけんどんなものとなってしまった。その余韻がしばらく空中に留まるなか、返事は無い。少し後悔したが、後の祭りである。


 やがて「何で?」とオウム返しにされた言葉に、いきどおりの感情は含まれておらず、私はとりあえず一安心する。

「あんた、つまらないこと、聞くわね。ついつい何か裏があるかと想ったじゃない。でも、あんたはそういう奴じゃなさそうだしね。それが私の生きがいだからに決まってるじゃない。弟の足を引っ張ることがね」


「弟?」今度、不審に包まれたのは、私の方だった。「なら、あなたは忍者さんのお姉さん?」


「そうなるね」


「でも、足を引っ張るなんて。どうして? 弟さんなんでしょう」


「弟の奴が私の求めに応じてくれないからさ」


「求め? 忍者さんにも事情があるかもしれないじゃない」


「私を抱かないどんな理由があるってんだい。この世のあらゆる男どもは私を抱きたがるのに。その命を代償にしてさえね」


「そんな」


「弟はどうしようもないけちん坊なのさ」


 そう言う表情はお菓子をねだる少女そのものであった。それにつられてか、私の口は想わず本音を漏らす。


姉弟きょうだいでなんて。けがらわしい」


「けがらわしい? なら、あんたはどうなんだい? 甲斐甲斐かいがいしくネフェルタ王の世話をするのは、その寵姫ちょうきになろうとしてじゃないの?  あるいはその働きぶりをアンブロウズに認めさせて、その愛人に収まろうっていう魂胆か?」


「アンブロウズ様は愛人を囲うような人ではありません。第一、この前、初めて会っただけです。それにネフェルタ王は、そんな状態では」


「おお。失敬失敬。二人とも魔道かぶれで半ば人外と化しておるからのう。生身の女のうずきはしずめられぬか。もっとも、私の方は、そうした方が美味しそうで好みだがのう。そなたも珍味は嫌いではあるまい」


「チン味? なんて、はしたない」


 私が想わず声をうわずらせるのにも頓着することなく、


「どれどれ」


 そう言い、女は中腰になる。その動きのために、たおやかな羅が、豊かな姿態に添う。


 ただ、私がつかんで止めたのは、伸ばされた右手の方。それは王の首へと向かっておった。

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