第16話

「『天に三竜の舞うとき、幻獣の王は来たる』と伝えられる。まさに、その吉祥の予言の通りか」

 時代遅れの旅装に身を包む一人の男がつぶやく。

「こうなっては、魔都名物の魔雲も形無かたなしだな」とも。


 その見上げる先は、昼日中ひるひなかの魔都の空。他の都なれば、青空が広がっておろうが。ここでは、極彩色ごくさいしきの雲を背景に、赤・青・黄の三色の竜――伝説の神獣――のごときものが見えた。

 

  かつて再会を約し、まさにそれを果たすために向かうところの者――人の一生をはるかに超える時を経たにもかかわらず、未だ生きておれば、これから会えるはずの者――その教えてくれたところによれば、


「地脈――これを予言は竜と尊称しております――も魔雲も、魔都の尋常ならざる魔気の集まったもの。本来、地にあるはずの竜まで天に舞うは、この都の魔気が極点に達した証である。ゆえにこれは幻獣王の到来の前触れというより、その条件をなすものなのです。こうなって初めて、幻獣王の到来が起こりうる、とそう解すべきものなのです」




「アンブロウズ。生きておったか」


「グアンディー翁。実に久しぶりのこと。よくぞ来てくださった」


 二人の声は、その湿り気にとらわれ、一瞬にしてここに満ちるかび臭さに沈み込むごとくであった。それも理由の無いことではない。ここは魔都の下に広がる地下宮の一室であってみれば。


「しかし見る影もない」


 今、まさに客人を迎えるために立ち上がらんとする男は、それさえも多大な労力を要するようであり、未だ、なし終えておらぬ。


「よいよい。座っておれ」


「何のこれしき、と言いたいところですが、ここはお言葉に甘えるとしましょう」


 薄暗いランプの灯明の下、席に腰を戻した男の体は、ほぼ骨と皮ばかりのやせ衰えたものであった。


「グアンディー翁はお変わりないようで、私の方がすっかり老いてしまいました」


「そなたも時の王の庇護に入るべく、誘ったつもりだったが」


「私はあまり不可思議なものは信じぬたちでして。確かに、そうしたものは、この世にたくさんあります。なので、それを避けようとすると却って不都合を感じるほどです。時の王や幻獣の王。そしてここ魔都にもあります。魔幻城や七塔は無論、この世を解明しようとしている六天館でさえその起源は謎に包まれております。

 ただ、魔道に関しては不可思議は無いのです。

 私自身、魔道の才には恵まれてはおりませぬが――六天館への出入りを許されるほどにね――もっとも、これは内緒にしておりますので、今どきの者は知らないし、知れば、さぞ驚きましょうね。

 ただ、六天は私が魔道を研究するにおいて、随分と助けてくれました。ご存じかとも想いますが、そこの館長であるエクストレは、私の研究仲間です。そして、それは今なお変わりませぬ。これも、今の者には内緒ですよ」


 と言ってアンブロウズは薄く笑ったが、それさえも体に痛みをもたらすものらしく、笑顔はゆがんだものとなった。


「不可思議さの無いゆえに、私には魔道に基づく長寿の法こそが確かなものと想えたのです」


「まあ、アンブロウズらしいとは、わしも想うが」


「こたび、ここに来ることができたのは、やはり、時の王の庇護のゆえですか?」


「そうとしか想えぬ。とはいえ、わしはそなたと異なり、あの後、ずっと生きておった訳ではない。時の王の言によれば、わしの体はその本拠たる七元多夜に安置され、かのときに呼び出す、そのように言われておった。そしてまさにそれがなされたのであろう。

 ところで、肝腎のあの者は復活するのか?」


「分かりませぬ。そもそも、『復活の法』は至難の魔道であり、ほぼほぼ失敗に終わるものと見なされております。ネフェルタの才であれば、果たして、それをなしうるのか否か。

 苦痛と引き替えになしうる――それゆえに試みる者はほとんどおりませぬが――他方で才を必要とせぬ長寿の法とは全く異なります。

 ただ、いずれにしろ、ネフェルタを迎える準備は整っております。王の帰還――これは彼からの託されごとでもありました。もちろん、その時まで生きてこれに備えよということではなく、私が死ぬまでの間に、なしうるだけのことをなしてくれ、せいぜい、その程度であったことは明白ですが。

 結局のところ、その望んだ形とは随分と異なるものとなってしまいますが、致し方ありませぬ。幻獣の王になりたい、などという傲岸たる野望にとりつかれましては。

 彼が根拠としたのは、『魔道の才のたまわりは、幻獣の王の意思の顕現である』との伝承。ただ、私に言わせれば、それは、誤った伝承、風説に過ぎませぬ。また、仮にそれが正しかったとしてさえ、『降臨のとき、己が魔都の王たれば、その生身をもって幻獣の王たりうる』と考えるは、拡大解釈もいいところ、実のところ、妄執もうしゅうと言っても過言ではありますまい」


「うむ。しかし、魔都に迎え入れては、却って危険ではないのか?」


「いえ。まったく逆です。いかな上手であれ、印を結べねば、魔道は顕現しませぬ。そして、首のみのネフェルタに、どうやって、それがなしえましょうぞ。

 他の魔道諸派は無論、そして、恐らくは七塔の面々も、魔都の王の再来など望まぬでしょう。ならば、動きましょう。尋常ならざる魔都の魔気のために、その者たちは強大な魔道を放てるのです。

 私は、あの者の頭を揺りかごに入れて、単身、魔都に入るつもりです。そして、そのときこそが、彼の野望のついえるときなのです。

 幻獣の王の降臨のときに合わせるために、復活の法を用いてまで、それを期したまさにその悲願の時においてね。

 そして、私も共に殺されましょう」


「そなたまで、そうなる必要はあるまい」


「いえ、友に対しての最も大きな裏切りをなすのです。これくらいは当然でしょう。さもなければ、この長寿の法のもたらす痛みに加え、贖罪しょくざいの意識に、さいなまれることになりましょうから。

 そして話を戻しますれば、ネフェルタをはばむものとしては、何より翁の魔剣があります」


「長らく使っておらぬゆえ、心もとないが」


「私の心配性ゆえに、翁にご足労をかけたこと、かたじけなく想っております」


「何。ネフェルタにえにしあるはそなたのみではない」


「実は、翁にはもう一つ、お頼みごとがあります。私が亡くなったあと、派をまとめて欲しいのです。中には、あだを討つなどと申して、その挙に出る者が現れるやもしれませぬ。できるだけ、それを抑えて欲しいのです」


「やってはみるが、果たして、わしの言葉に従うか?」


「何をおっしゃるのです。伝説の三公の権威は、衰えてはおりませぬよ。少なくとも、共にその一人であった私がつかさどる、ここではね。

 それに、派の幹部たちには、私の意を伝えておきます。もちろん、聞かぬ者もおりましょう。ただ、強い者が己の意思で動くことは、かまわぬのです。それは、まさにネフェルタが復活の法に入った後に、魔都で繰り返されたことでした。そしてその行動ゆえにいかな運命が待ち受けていようと、それは自業自得とでもいうべきもの。ただ、派のうちの弱き者を守っていただきたいのです。そのために、アンブロウズ派というものを保っていただきたいのです」


「分かった。そのためならば、こいつも役に立とうぞ」


 そう言い、剣の柄にそっと手を伸ばす。


「そんなことは承知しておらぬぞ」


 とのだみ声を不意に剣は発した。


「これ。お前は寝ておれ」


「久しぶりに、そのやり取りを聞けましたよ」


 とアンブロウズは笑いながら言い、翁はといえば、大笑いであった。

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