第16話
「『天に三竜の舞うとき、幻獣の王は来たる』と伝えられる。まさに、その吉祥の予言の通りか」
時代遅れの旅装に身を包む一人の男がつぶやく。
「こうなっては、魔都名物の魔雲も
その見上げる先は、
かつて再会を約し、まさにそれを果たすために向かうところの者――人の一生をはるかに超える時を経たにもかかわらず、未だ生きておれば、これから会えるはずの者――その教えてくれたところによれば、
「地脈――これを予言は竜と尊称しております――も魔雲も、魔都の尋常ならざる魔気の集まったもの。本来、地にあるはずの竜まで天に舞うは、この都の魔気が極点に達した証です。ゆえにこれは幻獣王の到来の前触れというより、その条件をなすものなのです。こうなって初めて、幻獣王の到来が起こりうる、とそう解すべきものなのです」
「アンブロウズ。生きておったか」
「グアンディー翁。実に久しぶりのこと。よくぞ来てくださった」
二人の声は、その湿り気にとらわれ、一瞬にしてここに満ちるかび臭さに沈み込むごとくであった。それも理由の無いことではない。ここは魔都の下に広がる地下宮の一室であってみれば。
「しかし見る影もない」
今、まさに客人を迎えるために立ち上がらんとする男は、それさえも多大な労力を要するようであり、未だ、なし終えておらぬ。
「よいよい。座っておれ」
「何のこれしき、と言いたいところですが、ここはお言葉に甘えるとしましょう」
薄暗いランプの灯明の下、席に腰を戻した男の体は、ほぼ骨と皮ばかりのやせ衰えたものであった。
「グアンディー翁はお変わりないようで、私の方がすっかり老いてしまいました」
「そなたも時の王の庇護に入るべく、誘ったつもりだったが」
「私はあまり不可思議なものは信じぬ
ただ、魔道に関しては不可思議は無いのです。
私自身、魔道の才には恵まれてはおりませぬが――六天館への出入りを許されるほどにね――もっとも、これは内緒にしておりますので、今どきの者は知らないし、知れば、さぞ驚きましょうね。
ただ、六天は私が魔道を研究するにおいて、随分と助けてくれました。ご存じかとも想いますが、そこの館長であるエクストレは、私の研究仲間です。そして、それは今なお変わりませぬ。これも、今の者には内緒ですよ」
と言ってアンブロウズは薄く笑ったが、それさえも体に痛みをもたらすものらしく、笑顔はゆがんだものとなった。
「不可思議さの無いゆえに、私には魔道に基づく長寿の法こそが確かなものと想えたのです」
「まあ、アンブロウズらしいとは、わしも想うが」
「こたび、ここに来ることができたのは、やはり、時の王の庇護のゆえですか?」
「そうとしか想えぬ。とはいえ、わしはそなたと異なり、あの後、ずっと生きておった訳ではない。時の王の言によれば、わしの体はその本拠たる七元多夜に安置され、かのときに呼び出す、そのように言われておった。そしてまさにそれがなされたのであろう。
ところで、肝腎のあの者は復活するのか?」
「分かりませぬ。そもそも、『復活の法』は至難の魔道であり、ほぼほぼ失敗に終わるものと見なされております。ネフェルタの才であれば、果たして、それをなしうるのか否か。
苦痛と引き替えになしうる――それゆえに試みる者はほとんどおりませぬが――他方で才を必要とせぬ長寿の法とは全く異なります。
ただ、いずれにしろ、ネフェルタを迎える準備は整っております。王の帰還――これは彼からの託されごとでもありました。もちろん、その時まで生きてこれに備えよということではなく、私が死ぬまでの間に、なしうるだけのことをなしてくれ、せいぜい、その程度であったことは明白ですが。
結局のところ、その望んだ形とは随分と異なるものとなってしまいますが、致し方ありませぬ。幻獣の王になりたい、などという傲岸たる野望にとりつかれましては。
彼が根拠としたのは、『魔道の才のたまわりは、幻獣の王の意思の顕現である』との伝承。ただ、私に言わせれば、それは、誤った伝承、風説に過ぎませぬ。また、仮にそれが正しかったとしてさえ、『降臨のとき、己が魔都の王たれば、その生身をもって幻獣の王たりうる』と考えるは、拡大解釈もいいところ、実のところ、
「うむ。しかし、魔都に迎え入れては、却って危険ではないのか?」
「いえ。まったく逆です。いかな上手であれ、印を結べねば、魔道は顕現しませぬ。そして、首のみのネフェルタに、どうやって、それがなしえましょうぞ。
他の魔道諸派は無論、そして、恐らくは七塔の面々も、魔都の王の再来など望まぬでしょう。ならば、動きましょう。尋常ならざる魔都の魔気のために、その者たちは強大な魔道を放てるのです。
私は、あの者の頭を揺りかごに入れて、単身、魔都に入るつもりです。そして、そのときこそが、彼の野望の
幻獣の王の降臨のときに合わせるために、復活の法を用いてまで、それを期したまさにその悲願の時においてね。
そして、私も共に殺されましょう」
「そなたまで、そうなる必要はあるまい」
「いえ、友に対しての最も大きな裏切りをなすのです。これくらいは当然でしょう。さもなければ、この長寿の法のもたらす痛みに加え、
そして話を戻しますれば、ネフェルタをはばむものとしては、何より翁の魔剣があります」
「長らく使っておらぬゆえ、心もとないが」
「私の心配性ゆえに、翁にご足労をかけたこと、かたじけなく想っております」
「何。ネフェルタに
「実は、翁にはもう一つ、お頼みごとがあります。私が亡くなったあと、派をまとめて欲しいのです。中には、
「やってはみるが、果たして、わしの言葉に従うか?」
「何をおっしゃるのです。伝説の三公の権威は、衰えてはおりませぬよ。少なくとも、共にその一人であった私がつかさどる、ここではね。
それに、派の幹部たちには、私の意を伝えておきます。もちろん、聞かぬ者もおりましょう。ただ、強い者が己の意思で動くことは、かまわぬのです。それは、まさにネフェルタが復活の法に入った後に、魔都で繰り返されたことでした。そしてその行動ゆえにいかな運命が待ち受けていようと、それは自業自得とでもいうべきもの。ただ、派のうちの弱き者を守っていただきたいのです。そのために、アンブロウズ派というものを保っていただきたいのです」
「分かった。そのためならば、こいつも役に立とうぞ」
そう言い、剣の柄にそっと手を伸ばす。
「そんなことは承知しておらぬぞ」
とのだみ声を不意に剣は発した。
「これ。お前は寝ておれ」
「久しぶりに、そのやり取りを聞けましたよ」
とアンブロウズは笑いながら言い、翁はといえば、大笑いであった。
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