ハロルド 別れ

 けれど運命は残酷で、実に呆気なく二人の仲を引き離した。いや、もともと結ばれる間柄でもなかったのだから、上手くいかないのは道理だったのだ。


 クレッセン公爵が娘の思いつめた表情に何かをかぎ取ったのか、カトリーナをジュリアンと結婚するまで屋敷に閉じ込め、誰にも会わせないようにした。


 そしてさらに公爵はハロルドが護衛騎士を務めるようジュリアンに推薦した。


「ハロルドは真面目で、思いやりのある人柄です。きっと、陛下のために尽力するでしょう」


 ジュリアンは親代わりのように支えてきてくれた公爵の言葉を信じ、ハロルドをよく呼び寄せ、話をねだるようになった。


「ハロルド。今日はどんな愉快な話を聞かせてくれる」


 ジュリアンは最初ハロルドを臣下としてではなく、友のように接していた。


 今までそのような存在がおらず、一度は友人らしい友人を作ってみたかったらしい。普段そういったことを許さぬ公爵も今回はなぜか許してくれた、と話す彼の顔は何も知らなかった。


「ハロルドには婚約者はいるのか」

「……いいえ、まだおりません」

「そうか。ではまだ婚約者のいないそなたに言ってもわからぬかもしれないが……人を愛するということは難しいことだな、ハロルド」


 ジュリアンはサンドラを娶ることで、カトリーナを傷つけることをたいそう嘆いていた。


「口ではどうとでも言える。カトリーナは仕方がないと私を慰めてくれたが、私がしようとしていることは、結局彼女を傷つけ、裏切る行為に他ならない」


 サンドラに対しても申し訳ない、と若き王は亡き王妃譲りの美しい顔を曇らせた。


「血筋などにこだわらなければ母国を離れず、私と結婚する必要もなかったというのに……。父上が生きていてくだされば、まだ、どうにかなったのかもしれないというのに」

「陛下……」


 己の未熟さをジュリアンは誰よりも理解し、思い悩んでいた。


「すまない。臣下の前で弱音を吐いては、不安にさせてしまうな。どうか忘れてくれ」

「……いいえ。どうか私の前だけでも、弱音を吐いてください。気の利いた言葉は返せませんが、少しは楽になりましょう」


 ジュリアンはハロルドの言葉にじっと耳を傾けていたが、やがてふっと微笑んだ。


「私に兄はいないが、きっといたらそなたのような存在なのだろう」


 ありがとう、ハロルド。


 その言葉に、彼は耐え切れず顔を伏せた。


(カトリーナ様と逃げるということは、この方を裏切るということでもある)


 屈託なく、眩いばかりの信頼を寄せてくるジュリアンに、ハロルドの心は押しつぶされていく。


 ――やはり裏切ることはできない。


 ハロルドは眠れない夜を繰り返し、そう決断した。断腸の思いであった。今も健気に自分を信じ、助けを待つカトリーナを裏切ることに、彼はいっそ殺してくれと思うほどだった。


(せめて、直接会って別れを告げたい……)


 後悔のないように。未練を残さないように。


 ダメもとでハロルドは公爵に願い出た。


「おまえの性格は私もよく理解している。特別に許そう」


 だが少しでも変な真似をしたら、と公爵は脅しをつけてハロルドを屋敷の中へ招き入れた。


「ハロルド!」


 少し見ない間にカトリーナはずいぶんとやつれたようだった。まるで重い病気を患ったかのような儚い雰囲気に悲痛さが増す。けれど彼女はハロルドの顔を見ると、一気に頬を薔薇色に染め、目を輝かせた。


「どうしてここへ?」


 無邪気に自分を見つめる目が苦しい。……しかし彼女に告げなければならない。


「……お別れに参りました」


 カトリーナはその言葉ですべてを察したようだった。呆然とした様子でハロルドを見つめたまま、ぽろぽろと涙を零す。


「そう……やっぱり、できないのね」


 カトリーナは目を閉じて、ハロルドの胸に顔を埋めた。彼は拒みもしなかったが、抱き寄せることもしなかった。


「わかっていたの。こんなこと許されないって……。でも、あなたは優しいから、わたしの馬鹿なお願いを跳ね除けもせず、きちんと考えた上で覚悟を問うてくれた。本当に逃げたいのか、わたしに聞いてくれた」

「……私も、同じ気持ちでした」


 カトリーナが屋敷に閉じ込められるまでは逃走用の計画を練っていた。ジュリアンと出会うまでは屋敷から彼女の救出を試みていた。


 彼女を自分の手で幸せにしてやりたかった。彼女の愛が欲しかった。彼女を愛している。誰よりも深く。


「ええ。わかっています。だからもう、それだけでいいの」


 温もりが消える。カトリーナのほっそりとした指が、ハロルドの頬を優しく撫でた。美しい瞳はハロルドだけを映していた。


「カトリーナ様……」


 呼びかけに応えるように、カトリーナはハロルドに口づけした。愛している、と囁いた。わたしのこと忘れないで、とも。


 忘れることなどできない。呪いのように、彼女の言葉はハロルドの心に刻みつけられたのだった。


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