ハロルド 見合い

 ジュリアンは十六歳になると、カトリーナと正式に結婚した。式は王都の大聖堂で盛大に挙げられた。白い花嫁衣装に身を包むカトリーナは誰よりも美しく、ハロルドは遠くから彼女の幸せを胸の痛みと共に願った。


(これでよかったのかもしれない)


 自分にとっても、カトリーナにとっても。


 ハロルドはそう思うことで、前へ進むことにした。これまで彼女からもらった手紙や書きかけの恋文も、すべて捨てた。そうしてカトリーナのことを忘れるように仕事に没頭し、順調にその成果を認められていった。


 そんな彼に、ある日見合い話が舞い込んできた。


 相手は辺境伯の娘。王家の騎士団とは違い、独自の騎士団を持って力をつけている辺境伯を野放しにしないよう、王家の信頼が厚いハロルドの家と結びつけて、今一度国王への忠誠を誓わせるという狙いがあった。


 いっそジュリアンの妻の一人に、という話もあったそうだが、大事な娘は一人の伴侶に嫁がせたいというリンドバーグ辺境伯たっての願いにより、クレッセン公爵がハロルドの家に持ちかけたのだ。


 ハロルドに早く所帯を持たせたいという公爵の思惑もあったのだと思う。


 どちらにせよハロルドが断る理由も特になく、相手のご令嬢と会うために、遠い辺境の地へと足を運んだ。


「は、初めまして。ヴェロニカと申します」


 ハロルドとろくに視線を合わせぬ調子でその娘は挨拶をした。


 ヴェロニカ・リンドバーグ。


 十六になったばかりだという彼女はまだどこか幼く、宮廷の貴婦人とは程遠い印象を抱かせた。


 しかし彼女の方からしても、自分は得体の知れない男だ。不安と緊張で上手く話せないのは当然かもしれない。


 そう思ってハロルドは自分から彼女に話しかけた。年頃の娘が好む話。菓子や花。ヴェロニカはどれも真剣に耳を傾けてくれた。その様子があまりにも必死でジュリアンは少しおかしかった。


「王都は、どんな所でしょうか」

「そうですね。ここよりは暖かく、過ごしやすいと思います」


 せっかくだから、と城の外を案内してもらいながら話していたが、まだ所々に雪が残っていた。春先とは思えない光景だった。


「夏は暑いから大変かもしれませんが……」

「我慢しますわ」


 きっぱりとした口調で彼女は答えた。足元から顔を上げれば、こちらを真っ直ぐと見つめる目とぶつかった。


 冬の季節を思わせる澄んだ空に、肌を刺すような冷たい空気を和らげる日差しに照らされて、彼女の白い肌、背中まである黒髪が美しく輝いていた。


「ヴェロニカ様」

「何でしょう」

「王都は確かに過ごしやすい所ですが、恐ろしい所です」


 彼女は不思議そうにハロルドを見つめた。どうしてそんな話をするかわからないのだろう。


「私と結婚するということは危険な目に遭う可能性もあります。それを踏まえて、この話を受けるかどうか、もう一度よく考えてほしいのです」


 彼女の父親は娘思いだ。彼女がどうしても嫌だと言えば、きっと考え直してくれるだろう。


 もしかすると、どこかで断ってほしいという思いもあったのかもしれない。そうすればカトリーナ一人を想い続けていられるから。


 見合い相手を前に失礼なことを考えていたハロルドは自己嫌悪に陥った。やはりこんな調子で受け入れるべきではない。そう思ったハロルドに、ヴェロニカが「どうして」と声をかけた。


「ハロルド様は私が耐えられないと考えているようですが、それは違いますわ」


 どこか怒ったような口調で、真っ黒な瞳は燃えるように輝いていた。目を逸らすことは許さないというに見つめられ、ハロルドは自ずと圧倒されていた。


「私はリンドバーグ辺境伯の娘です。彼の妻である女の娘です。騎士の夫になることがどういうことか、きちんと理解しています。あなたが危険を伴う仕事に就いていること、私が人の悪意に晒されて生きていくかもしれないこと、すべて覚悟した上で、私はあなたと結婚します」


 すでに決定事項のように話すヴェロニカにハロルドはぎょっとする。


「そんなっ、もう一度よくお考えになられた方が……」

「もう決めましたの」


 ヴェロニカははにかむように微笑んだ。そうすると気の強い顔立ちが、一気に可愛らしく見えた。


「それに夫婦というものは一方に守られるだけの関係ではありません。ハロルド様が危機に陥った時は、私が助けてみせます」

「それは、どうやって?」

「それは……」


 と言って、ヴェロニカは言葉につまる。しばらく黙り込み、やがて「剣を振り回して?」と自信なさげに述べるので、ハロルドは思わず笑ってしまった。一気に娘の頬が赤くなる。


「あ、あの! 決して嘘ではなく、いざとなったら私が盾になってでもハロルド様を守るつもりですから!」

「そうですか。それは頼もしい」


 笑ってしまったことを謝りながら、ハロルドは一つ訂正した。


「お気持ちは嬉しいですが、そこまでしてもらうほど、私は弱くはありませんよ」

「そ、そうですわね。ごめんなさい。私が言いたかったことは、つまりその……」


 一生懸命言葉を探すヴェロニカを優しい気持ちで見つめながら、ハロルドはそっと彼女の手を取った。


「あなたには、私の帰りを待っていてもらいたい。お願いできますか」


 ヴェロニカはしばし呆然とした様子でハロルドの顔を見ていたが、やがて何を当たり前のことを、と言いたげな顔をして、しっかりと頷いた。


「ええ、もちろんです。ですからハロルド様も、必ず帰ってきてください」


 ヴェロニカの手がハロルドの指先を包み込んだ。冷たくなった指先が、彼女の体温でゆっくりと温まっていく。


(この娘となら――)


 たった一度の出会いだったが、ハロルドはヴェロニカとの結婚を決めた。


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