22、王様の過去

「不安だと?」


 どういうことだとジュリアンが聞き返す。


「あなたには奥方が三人もいた。もちろんそれはあなたの意思ではなくて、周りが決めたことかもしれない。カトリーナ様も、それは理解なされていた。それでも、自分以外に妻がいるという環境は、孤独で辛いものよ」


 子を産む、ということが最も大事な役目ならば、それが果たせなかった場合彼女は役立たずということである。夫の愛を失うかもしれない。周りにも責められる。


 そんな中で、心の拠り所となったのがハロルドへの想いだったのだ。


 もしあの時彼と一緒になれたら……そんなあり得たかもしれない未来を想像することで、カトリーナは自分の心を慰めていたのだろう。


「ずいぶん、カトリーナの肩を持つではないか。そなたの愛する夫を、あいつは心の中でずっと奪っていたのだぞ。悔しくないのか」

「悔しいわよ。嫌に決まっているじゃない。……でも、カトリーナ様の気持ちもわかるもの」


 同じ男を愛する者としては、勝手に人の旦那のことを想うなと腹立たしく思う。けれど妻となり子を産んだ母としては、カトリーナの置かれた境遇に同情する気持ちがわく。


「あなたの振る舞いを見ていると、余計に可哀想に思ってしまうもの」

「なんだと?」


 私とて苦しんでいたのだぞ、と憤慨するジュリアンに、ヴェロニカは冷たい一瞥をくれる。


「あら。だってあなた、後宮を作って毎日いろんな女性と楽しんでいたのでしょう?」

「それは……」

「しかも時には臣下の前で戯れて……そんな夫の姿を見せられて、不安にならない方がおかしいわよ」

「……あの頃は、もうどうにでもなればいいと思っていた」


 ジュリアンがカトリーナと婚約したのは十四の時だ。結婚したのは十六。若くして即位した彼はまだ周りの者たちに支えられてやっとの状況だったが、カトリーナのことを大切にしようと心に誓ったそうである。だが――


「カトリーナと婚約を結んで、ちょうど一年後、隣国からサンドラを妃に迎えるよう言われた」


 平民や貴族などの下賤な血を入れない、王族同士の婚姻を、とサンドラの母国から持ち掛けられたらしい。


「私は最初断った。妻はカトリーナ一人だけでよかった。そなたには信じられないかもしれないが、その時の私はカトリーナ一人だけを愛することに、深い意味を見出そうとしていたんだ」

「……それでも周囲が許さず、結局サンドラ様を迎え入れることになったのね」

「ああ、そうだ」


 疲れたように彼は噴水の縁に座り込んだ。そなたも座れと催促され、一人分の距離をとってヴェロニカも座る。


 先ほどまで晴れていたのに、今は分厚い雲が空を覆っていた。


「私だけでは、この国を守るのに心もとないと思ったのだろうな。親類となれば、いざという時に力を貸してもらえる。逆も然りだが……結びつきを強めるにはちょうどよかった。断るにしても私はまだ若く、重臣たちを説得するだけの知恵や知識を持ち合わせていなかった」


 淡々と語るジュリアンの言葉がかえって痛々しく感じた。


 彼はその時、まだ本当に子どもだったのだ。


「彼らは今まで、私のために心を砕いてきてくれた。すべて私のためだと思っていた。でも、本当はそうではなかった。この国のためだった。私はそのための駒でしかなかった。その時初めて、王という身分の重さを突き付けられた気がした」


 ジュリアンという一個人ではなく、王という地位でしか見ていないことにその時の彼はショックを隠しきれなかった。利用された、という思いもあったのかもしれない。


(彼がどこか危うげに見えるのは、これまでの生い立ちが原因なのね……)


 辛い道だとは思う。同情する気持ちもなくはない。けれどやはり――


「私からすれば、甘えているように見えるわ」

「そなたは本当に、手厳しいな」


 もはや慣れたというようにジュリアンはため息をついた。


「だってそうでしょう? 辛い立場を背負っているのは、サンドラ様もカトリーナ様も同じなのよ?」


 だいたい。


「いろいろ事情があるのはわかったけれど、結局あなたがカトリーナ様以外の女を抱いて子を作ったことに変わりはないわ。カトリーナ様やサンドラ様からすれば、最低な男って感情を抱いてしまうのは当たり前のことよ」

「なっ、だからそれは!」

「仕方がないんでしょ。そんなの、みんなわかっているわよ。理解したうえで、あなたに嫁いできた。何も言わず、あなたに抱かれて、子どもを身ごもった」

「……そんなの、私が国王だから何も言えないだけだ」

「もちろんそれもあるでしょうね。でもね、決してそれだけではないと思うわ」


 カトリーナとはそんなに付き合いがあるわけではない。けれど優しい性格――他者を気遣うことのできる女性だ。王の伴侶として育てられてきたのだから、ジュリアンが抱えている苦悩に気づかないはずがない。


「私が言うのも変かもしれないけれど、初恋の相手くらい、許してあげなさいよ。一人くらい心の片隅に住まわせてあげて、知らない振りをしてあげる。……それでようやく、あなたの今までの行いと釣り合いが取れるってものなんじゃないの?」

「……それはずっとか?」

「えっ?」


 押し殺した声でジュリアンが尋ねる。


「私とて、最初は見逃してやろうと思った。すぐに……いつかは忘れてしまうと思ったから……。だが、あいつはいつまで経っても忘れない。ずっとずっと覚えている……」


 ずっと。まるで呪いのように。


「カトリーナが優しいことなど、言われなくても知っている。だからこそ……頼りない私をいつも黙って支えてくれたからこそ、苦しみを共に分かち合ってくれたからこそ、私はカトリーナを愛そうと思った。後宮を取り壊し、サンドラも子を一人なしてからは離宮で過ごしてもらって、三人目の妃だった娘も他の好いた男と添い遂げさせてやって、それで今度こそ、私はカトリーナだけを愛そうと決めたのに……」


 カトリーナはあの手紙をずっと大事に持っていた。夫ではない別の男からもらった恋文をずっと……。


「子どもができたというのに……もう私はカトリーナだけを愛しているというのに……カトリーナはずっと、今でも、その心に別の男を住まわせていた」


 乾いた声でジュリアンは笑った。


「その男がまだ名も知らぬ男であったらよかったさ。だがな、相手は私の護衛を務めていたハロルド・セヴェランス。当時私が最も信頼していた相手だ」


 前を向いていたジュリアンの目が、ヴェロニカの方へ向けられる。


「ヴェロニカ。私はカトリーナだけではない。ハロルドにも裏切られた気がしたんだ」


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