9、断れぬ頼み

「ヴェロニカ。しばらく城に留まってくれないか」


 ようやくジュリアンと謁見できたと思ったら、そんなことを言われ、ヴェロニカはしばし言葉を失った。


「それは、どういうことでしょうか」

「カトリーナのあんなに喜ぶ顔、久方ぶりに見たのだ。サンドラが離宮に移ってから、ずっと一人だったからな。どうか頼む」

「……陛下の頼みならぜひお受けしたいと思っておりますが……せめて一度、家へ帰らせてもらえないでしょうか」


 子が心配なのです、とヴェロニカは必死で訴えた。けれどジュリアンの表情は変わらない。それがどうした? と言いたげである。


「しばらくの間でいいのだ」

「でも……」

「貴族の子どもの世話をするのは乳母の役目であろう? 親は親交を深めるために外へ出るものだ」


 たしかに普通はそうかもしれない。けれどヴェロニカが育った環境は両親自ら育児に関わることが多かった。ハロルドも同じである。子であるエルドレッドたちも、同じように育ててあげようと決めていた。


「お願いです、陛下。どうか一日だけ……いえ、数時間で構わないのです。息子と娘の顔が見たいのです」

「時には子どもと離れて過ごすのも大切な経験だ」


 ジュリアンはヴェロニカの頼みを一蹴し、王宮に留まることを命じた。


「では代わりに夫と会わせてください。話したいことがあります」

「ハロルドは仕事中だ。今はまだ会わせられない」


 話は以上だと、ヴェロニカは部屋に戻され、国王やカトリーナと会う時以外、勝手に部屋から出てはいけないと言われた。


(どうしてこんなことに……)


 おかしい、と思った。これではまるで監禁である。カトリーナは友人が欲しいと王にねだった。ジュリアンは妻の願いを叶えるために信頼ある臣下の妻に狙いを定め、王宮へ呼び出した。


(普通そこまでして、私を呼ぶかしら……)


 いくらハロルドが頼りになるからといって、ヴェロニカも夫と同じ性質の人間とは限らない。しかも自分は気性の荒い妻として名を広めていたのだ。そんな女を自分の大切な妻の友人として紹介するだろうか……。


(もしかして本当は私が……)


「ヴェロニカ!」

「あなた……」


 息急き切った様子で部屋へ入って来たのはハロルドであった。夫の顔を見て、ヴェロニカは自分が思っていた以上に不安に駆られていたことを知る。


「どうしてこんなに遅かったの?」


 もっと早く来てよ、と安心のせいでつい責める言葉が出てくる。ハロルドはすまないと謝りながら、ヴェロニカを抱きしめた。


「次々と仕事を押し付けられて抜け出すタイミングがなかった」


 もしかするとわざと頼んだのかもしれない。


 小声で付け足された事実に、ジュリアンの顔が思い浮かぶ。


「家にはまだ帰れない。しばらく滞在するよう言われたわ。それと……」


 顔を上げて、ハロルドの目を見ながらヴェロニカは告げた。


「王妃殿下のご友人にもなってくれるよう、頼まれたわ」

「カトリーナ様の?」


 夫の目は動揺を晒した。単に驚いただけかもしれない。


「あなた、一度家へ帰ってくださらない?」

「俺が?」

「ええ。私はまだ当分帰れないみたいだし……子どもたちのことが心配なの」

「そうだな。それは構わないが……」


 ハロルドは迷っているようだった。


「やはり俺から頼んで、きみも一度一緒に帰ろう」

「……陛下はそれを聞き入れてくださる方?」


 わずかな沈黙。陛下と知り合ってからまだほんの短い期間しか経っていないが、ヴェロニカはジュリアンは許さないだろうと思った。逆らえば逆らうほど、彼はあらゆる手段を使って自分の要望を押し通そうとする性格だ。


「私のことは大丈夫。カトリーナ様の話相手になればいいだけのようだから、数週間大人しくここに滞在しているわ」


 結局はそれが一番の近道な気がした。


「ヴェロニカ……」

「エルドレッドとセシリアに元気な顔を見せてあげて。それと私のことも心配しないよう上手く伝えておいて」


 そうだ。手紙を書いておこう。セシリアはまだ読めないが、エルドレッドは最近簡単な本ならば読めるようになってきたので、いくらか安心させてやることができるはずだ。


「お願いね、お父さん」

「……わかった」


 手紙を受け取り、ハロルドはもう一度ヴェロニカに大丈夫かと確認した。彼女は笑って答えることができた。愛する人とようやく会えたことで安心でき、余裕が生まれた。しばらくの滞在くらい、何ともないと思えたのだ。


「あなたも私の気の強さは知っているでしょう? ここにずっといれば、向こうから早く帰ってほしいって思うはずよ」

「無茶なことはしないでくれよ」


 夫はヴェロニカを抱き寄せ、不安の残る声で言った。侍女がいるのが気になったけれど、彼女は強くしがみついて「わかったわ」と囁いた。触れるだけの口づけも素早くすると、今度こそ離れて夫を見送った。


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